【読書】「僕の叔父さん 網野善彦」
「歴史学は意識を解放するための方法でなきゃならないんだよ。よく知りもしない相手に自分の常識を押しつけるのは、絶対によくない。ぼくは今日の常識が明日の非常識に変わってしまう光景を何度も目撃してきたからね。今日の常識に依存して歴史を解読しようという君の態度は、ぜんぜんいただけない」
網野善彦という歴史学者が歴史に対してどのような態度で接していたかを端的に示した本書の記述である。
本書は宗教学者、中沢新一が義理の叔父にあたる歴史学者、網野善彦に捧げた、真摯かつ驚きに満ちた追悼文だ。
網野善彦の業績について、いまさら書くのも気が引けるが、大雑把に書かせてもらう。地道な調査と研究を踏まえたうえで、明治以降や戦後の硬直化した日本の歴史観をあらためてとらえなおし、その時代を生きた人の息吹が感じられる史観を生んだ人。それが網野善彦である。「影武者 徳川家康」の隆慶一郎など、網野史観はさまざまな影響を及ぼしている。
中沢新一が5歳になろうとしていたころ、叔母と結婚するため、山梨の家に挨拶に来た駆け出しの歴史学者、網野善彦。その出会いのときから、ふたりのあいだで交わされ、積み重ねられてきたことばが、本書にはあふれている。
ぼくには、やおい系の心理というのはもちろん、分からないんだけど、本書にはなにか、そういうものを刺激する甘やかな香りさえ漂っているような気がする。
「そういうとき私たちは、おたがいの年がずいぶん離れているにもかかわらず、いつも対等な立場で、いろいろな問題を語り合った。抽象的な論理を扱うことにかけては、私のほうが上手だったが、すぐさまその高慢の鼻は、牛の歩みのように重く確実な、網野さんのくりだしてくる事実の前でへしおられた。」
なによりも山梨県にある中沢新一の実家が、こういったことばの揺籃なのだ。著者の父や父の弟といった登場人物がいつも議論している。その議論の中に、触媒として、投げ込まれた形になる網野善彦の姿が、ときにユーモラスに描かれる。
どこまでいっても俗物なおれだが、こういったことばを重ねていく人間関係には、ほんとうにあこがれてしまう。
やっぱりね。デモをしている学生が機動隊に石を投げているニュースから、「飛礫(石投げ)」の遊びの話になり、日本中世の悪党文化に思いをはせ、やがて、網野史観のひとつの源流となっていくさまは、ぞくぞくするほど刺激的で楽しいんだよ。
網野善彦の本は何冊か読んでいたが、ぼくは網野善彦という人を知らなかった。この本のおかげで、その史観の背景にあった「人間の眼」を感じることができたのは、せつなくたまらない。
巻末にいたる、網野と中沢のルーツにいたる考察はほんとうに興奮して読んだ。
| 僕の叔父さん 網野善彦 | |
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