【映画2005】字幕改善運動
現役の字幕翻訳者落合寿和氏がblogで、「キングダム・オブ・ヘブン」字幕改善嘆願署名を紹介しつつ、字幕翻訳者(つまり戸田奈津子)と配給会社(つまりFOXなど)を告発。一部の映画系サイトなどで話題になっている。
テレビなどで翻訳者が「字幕翻訳は時間がない事が多い」と嘆く様子を見聞きしますが、それには同情して、作品そのものの製作に関わった人々の苦労や思いは無にする。不思議な話です。
「キングダム・オブ・ヘブン」の誤訳騒動についてはこちらが詳しい。一部の記述については、ちょっとナーバスかなとも思うが、「嘆きの壁」と「壁」の混同など、いつもの戸田字幕らしい無神経さが見られる。
作家に編集者がいて、新聞に校閲部がいるように、映画会社も自身の商品を傷つけるこういった愚かしい字幕をチェックする担当者がいないのは、ほんとうにおかしい話だよね。
そのblogに対して、映画配給会社である東宝東和のひとから、長文のコメントが届いた。
非難の矛先を向けられている「業界の第一人者」というのは戸田奈津子さんのことでしょうが、もちろん戸田さんとも仕事をしています(最近では「コールドマウンテン」「卒業の朝」がそうです) 戸田さんに頼むのは単純に字幕が上手いからです。たしかにこの方は軍事用語とかスポーツには疎いので、それなりのフォローが必要ですが「字幕でドラマを作っていく」上手さは群を抜いている、と私は思います。たしかに映画館で観ていて「この映画は戸田さんに向いてないのに」と思う場合もありますが、それは頼むほうがいけない。
「字幕でドラマを作っていく」上手さ……。。たしかに科学論文ではなくストーリーを伴う娯楽作品である以上、ドラマを盛りあげていける技量は必要だ。そのことはわかるんだが、この書き方では映画オリジナルとは独立した「ドラマ」を字幕が作っているようにも読める。いまどき、映画を見る人が、そんな字幕で作られるドラマを見たいかどうか、怪しい。
その昔、ぼくらはモーリス・ルブランの「怪盗ルパン」シリーズに熱狂した。ポプラ社から出たシリーズのすべては、原作を抄訳という形でダイジェスト……どころか、翻案、再構成した南洋一郎の存在が大きかった。
ルパン物を楽しみたければ、恥も外聞もなく子供物を買ってきて読んだほうがいい。とくに、ポプラ社の南洋一郎版をおすすめする。これは絶対におもしろい。大胆にデフォルメされているから翻訳とはいえないが、ルパン物の醍醐味が最高の形で凝縮されているのだ。今回、読み返してみて、感心を通りこしてあきれてしまった。なにせルブランの原作よりもおもしろいのだ。南洋一郎は天才ではないだろうか。 (瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』より)
これは事実だ。かつてオリジナルよりおもしろい翻案ものはたしかに存在した。映画字幕においても「Here's looking at you ,kid.」を「君の瞳に乾杯」とするのが傑作だとされていた時代もあった。「ミスターブー」は広川太一郎の吹き替えで名作になった。
しかし、当時とくらべ、さまざまな情報があふれかえる現在はそういう時代だろうか。
たとえ余分な枝葉を切り落とし、高いリーダビリティと、ドラマティックな展開を盛りあげようとも、抄訳は抄訳というだけで、だまされた感じがする時代なのだ。字幕というのはただでさえ、抄訳なのだから、「北へ10歩いく」という内容が「北へ7歩いく」という内容に書き換えられたとしても許容できるが、「北へ10歩いく」が「北西に7歩いく」となってはかなわない。
北西のほうにおもしろいものがあったとしてもオリジナルとちがうことは問題だ。
かつてはポッカレモンに果汁が入ってない時代があった。しかし、いまではそれは許されない。たとえ、原点に冗漫なところやセンスの悪いところがあったとしても、それを削ったり、修正したりせず、「オリジナル全長版」と銘打たなければ、ニセモノと捉えられる時代だ。この時代に広川太一郎を超える存在は現れるはずもない。
「サランドラ」や「サンゲリア」という意味不明なタイトルをつけたり、「全米38州で上映禁止! いま恐怖の頂点を極めて、戦慄のジョギリ・ショックがやってくる!」だとか、映画の内容と関係ない宣伝文句で有名な、日本のエクスプロイテーション・フィルムのスタンダード、東宝東和に脈々と継承される伝統なら、興行優先で「字幕でドラマを作っていく」戸田字幕を評価するのかと、思えてしまう。
さらに、このコメントを書いた東宝東和の方は、「私は東宝東和の字幕制作を担当するようになって10年ですが、今まで落合さんに仕事をお願いしたことがないのは、落合さんの字幕を上手いと思ったことがないからです。」とか、「誤訳は直せるが、日本語の下手なのは直しようがない。」とか、お書きになって、問題の強引なすりかえをはかっている。
まるで「落合氏は自身のひがみから、戸田奈津子を糾弾している」といっているのに、ひとしい。こういった下手な字幕翻訳者の意見など、片腹痛いという文脈をたどっていけば、英語がわからない一般観客の意見には耳を貸さないってことになる。配給側からこのようなレスポンスがくることは滅多にないのだが、それだからこそ、透けて見える問題の本性がしんどく感じられる。
mixiでこのようなテキストを書いたところ、「翻訳のクオリティを問う際に誤訳の数を問題にする現在の風潮はおかしいのではないか」という趣旨のコメントをいただいた。たしかにネット上で、戸田字幕を糾弾する多くのテキストには、首を傾げたくなるものがある。減点法で鵜の目鷹の目で作品を見ることに、問題はあるだろう。それでも本来、疑うこともなかった字幕という商品のクオリティに対し、多くの意見が集まっている現状はいいことだと思う。
そのコメントを書いた方も、「誤訳以外に評価すべき部分を語る」のは難しいため、こうなるのではないかと書かれている。たしかに字幕の仕事を減点法ではなく、加点法で評価するのは難しい。単なる同情の視点ではない、戸田字幕の美点を教えてくれる人が現れてほしい。
そして、ほんとうの敵は戸田奈津子ではない。これもわかっている。SFやファンタジー、戦争映画など、本来、戸田奈津子が得意としないジャンルを発注し、完成した字幕に対し、きちんとチェックする機能がない映画会社なのだ。
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