【社会科見学】赤山地下壕と海軍航空基地跡
人生ではじめての稲毛駅に降り立ったのは午前7時50分であった。家から1時間40分。遠かった。mixiの社会科見学系のコミュニティのイベントだ。集まったのは11名。2台のクルマで、館山を目指す。
館山の「たてやま夕日海岸ホテル」に到着したのは午前10時40分。やはり遠い。というか、房総半島のこんなさきっぽに来たのは、生まれて初めてだ。今回のイベントはこんなさきっぽだから意味がある。

第二次世界大戦に関係した戦跡をめぐる旅なのだ。首都防衛の重要な要塞だった館山に残る戦時の遺跡を案内してもらう。
現地をガイドしてくれるのはNPOの「南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」の方。

座学では日本地図をさかさまにして、そのへそに当たる南房総、館山の地勢を解説。
まずはホテルの宴会場で座学。太平洋の黒潮の中に突き出した町、館山の地勢の紹介から始まり、八犬伝で有名な里見氏の時代から、江戸、明治、そして、カリフォルニア州モントレーであわび王となった館山出身の小谷源之助の業績と、大戦による日系移民排斥の史実を踏まえ、語られていく。
さらに関東大震災で大きな被害を受けたあと、隆起した土地にできた飛行場の話。大戦末期の特攻艇「震洋」との話とつづく。

小さなウミホタルをゆさぶる

明かりを消すと神秘的な青い光が見える
最後は神秘的なウミホタルを見せてもらう。ウミホタルは本体が光るわけではない。刺激を受けたときに放出された体液が冷光を放つのだ。乾燥させても水をかければ、ふたたび光ることから、戦闘に役立つとして、館山の小学生たちは、戦時下で採取させられたそうだ。

さんが焼き定食
ホテルで「さんが焼定食」をいただく。さんが焼きは地元の料理で、つみれを紫蘇の葉で包んだもの。現在はアジで作られることが多いそうだ。

バスに乗って、「館山海軍航空隊の赤山地下壕」へ。凝灰岩質砂岩の岩山をくりぬいた施設で、記録や証言がほとんど残っていない上に、終戦後はキノコ作りに使われたり、備品は米軍や地元の人々の手で運び出されたために、わからないことが多いそうだが、東西300メートル、南北100メートルの範囲の地中に全長1.6キロと広がった内部は驚くほど広大で天井も高く、迫力がある。

司令部や、兵舎、病院、発電所として利用されていたようだ。

とにかく規模がおおきい。予想していた数倍もある感じ。完全に侮っていたよ。ローマ帝国の時代からインフラを作らせたら、兵隊をしのぐものはないのだが、セメント吹き付けの工法がほとんどなかった時代に、これほどのものを作ったかと思うと、ちょっとめまいがするくらい。


削っただけの壁面は地層がくっきりと見え、ある種の神秘性さえ漂う。

斜めに走る地層の不思議な文様

天皇のご真影を収める奉安庫のあと

四方八方が、紙の史実だけではわからないリアリティである。この空間にいるだけで不思議な興奮が生まれてくる。

つづいてむかったのは「かにた婦人の村」にある「噫(ああ)従軍慰安婦の碑」だ。
座学でも紹介されたが、「かにた婦人の村」というのは戦後、さまざまな事情により、知的、精神的、身体的に障害を持ち、社会復帰が困難な女性たちが保護され助け合って自活していく施設だ。もともとは売春防止法をきっかけとして婦人保護事業の一環として生まれた。
この村に住んでいた城田すず子は、慰安婦として台湾、サイパン、パラオの慰安所で身を売り、戦後は米兵相手に売春をしていた。彼女の語った体験をもとに建てられたのが「噫従軍慰安婦の碑」だ。

ここにたどりつくまできつめの坂を15分くらい歩いてくる。

海岸の手前に航空基地
ちなみにここから海上自衛隊館山航空基地が見える。ガイドさんに教えてもらった話だと、この滑走路が往年のテレビドラマ「Gメン75」のオープニングで使われたものだそうだ。「うひょおお! 歩きてぇ」の声多数。
距離の短い滑走路のため、ジェット戦闘機が使えない。現在、飛行機の離発着は行われず、たくさんのヘリコプター(SH-60J)が訓練を行っていた。

戦闘指揮所。戦前の横書きでは右から左に文字がならぶのが一般的。このように左から右に並んでいるのは、海軍流だそうだ。

作戦室。
上記の「碑」がある山は128高地と呼ばれているのだが、その地下には本土決戦抵抗拠点として作られたと思しき地下壕があり、洲ノ埼海軍航空隊の戦闘指揮所と作戦室が見学できる。これもまたみごとな壕だ。


竜のレリーフ

指揮所の奥の天井には約3メートル四方のサイズで、コンクリートで制作された龍のレリーフがある。その意味について、語るものはいないが、ちょっと感じ入るものがある。
つづいて、洲ノ埼海軍航空隊射撃場跡へ。入り口部分しかないようなトンネルというか、バーミアン仏像のあった壁龕(へきがん)のようなものが4つ続いている


洲ノ埼海軍航空隊は飛行機の整備技術を教える養成機関であった。戦闘機の機種にある機銃は、あやまってプロペラを打たないように、プロペラの回転方向と射線をずらすようにしている同調機銃なのだが、この施設は、機銃の調整をするために作られたという。


つまりこの穴に向かって、機銃を打ち込んでいたのだ。

町の中に戦争の遺物。

さらに「戦闘機用掩体壕」へ。大切な戦闘機を空襲から守るために作られたのが掩体壕だ。住宅の並ぶなかにこのような戦跡がぽつんとあるのが不思議な印象。

中は、畑にするためか盛り土がされており、底上げされた形になっている。

ここが本日最後の目的地。1945年9月2日、戦艦ミズーリ号において、降伏文書調印式が行われた翌日、米陸軍第8軍第11軍団が上陸した海岸へ。敗戦後、日本占領のため、米軍が最初に上陸したのはこの土地だったのだ。

館山なんて、訪れたこともなかったけれど、今回訪れたあらゆる戦跡はどれも印象深く、たった60年前に起こった事実を、体験として見せてくれるものばかりだった。

こういった戦跡のすべてが、保存、案内、周知されるようになったのは、比較的最近だという話を聞くと、思うことも多い。戦跡の存在こそ、リアルにさわれる戦争の歴史だ。戦争は本の中で語られるものだけではなく、生活ととなりあった現実だと実感できる。
その後、ホテルでいったん解散。有志で夕飯&温泉!
鋸南町にある「ばんや」というところにいく。漁協が経営している施設で、魚料理をみんなでつつく。魚はうまいが料理としては微妙という感じで、まぁ、しょうがないか。ここで何かを頼む場合は、単品の刺身を定食にしてオーダーするのが、よろしいのではないかという結論。
お風呂はよかった。しっかりと炭酸を吹き込んだお湯。湯の中で手足を動かすとあっという間にあぶくが出てくる。
むちゃくちゃあったまって、いい気分さ。
