【舞台・観劇】IRON
友人の薦めてくれた芝居が池袋の東京芸術劇場であるとのことで、かけつける。
作・演出の泊篤志は、大学卒業後、セガ・エンタープライゼス(当時)に入社。ゲームのシナリオを書いていたという。飛ぶ劇場という劇団そのものが北九州出身だ。「IRON」というタイトルは、鉄の町、北九州を象徴するようで、おのずと期待は高まる。
太平洋戦争後、日本から独立した国家「糧流島(かてるじま)」。朝鮮半島と日本のあいだに位置し、国民のほとんどが、主な産業である鉄鋼労働に従事している。50年間に渡る実質的な鎖国政策によって経済は行き詰まり、国民は貧困と飢餓に苛まれていた。その島国の最大の娯楽は「卓球観戦」。国設卓球部を舞台に国家と個人との間で揺れ動く選手たちに人間模様を描く。
とのことで、太平洋戦争から分岐したもうひとつの可能性の現在を描くという意図はたいへんにすばらしい。
演劇用語でなんというかはわからんが、オープニング、というか、プロローグというか、アヴァンタイトルにあたる部分は圧巻である。
オープニングは「華玉木」といわれる島の伝説の勇者の物語から見せてくれるのだが、これはほんとうに美しく、荘厳である。よい芝居との出会いは、いかに魔法の瞬間を堪能できるかにあるが、この部分を見るや、芝居に対する好感が大きくなった。
だが、本編のドラマが展開するにつれ、その好感、そして、期待が徐々にしぼんでいく。
糧流島から日本への亡命をもくろむ卓球選手。だが、なんのために彼が亡命するのか、その意図がわからない。食糧難のため? 夢のため? しかし、特権階級である卓球選手には、国民より多くの食糧が配給されている。そして、彼の卓球の実力は同じ部の女性選手に劣るのだ。
また、卓球部に対して、弾圧をする体制側の弾圧の意図がわからない。独裁政権下の権力であるから、即座につぶしてしまえばいいのに、途中で延命を支持したり、やはりつぶしてもかまわないといったり……。
そのふたつの「なぜ」が、終盤まで解き明かされない。また、途中で出てくる日本人記者の亡命を手助けする理由がないなど、「whydonit」の部分が欠如しているために、感情移入のよりしろがない。
なんで、日本と朝鮮半島のあいだの島が舞台なの? 独裁国家のドラマを描くのなら、そのまんま北朝鮮をモチーフにしまえばいいのに、その「あいだ」の意味が、みえてこない。
単に日本語が公用語になった北朝鮮といった趣なのだ。
「血ってさ」
「はい」
「鉄の味、すっとね」
「ああ……」
「くろがねは俺らん中に流れとったんやなぁ」
そんなかたちで、IRONのモチーフは語られるが、なにか中途半端な違和感が強く、ドラマが有機的につながらない。
ドラマの終盤で、主人公が亡命する理由が「死んだように生きる」自分と訣別するためと語るが、エピソードの積み重ねがないから、その重みがうわすべりしてしまう。
劇団と同じ、北九州市出身者として、その亡命する理由について、うっすら心当たりはあるのだけれど、それならば、なぜ、このような構成にしたのかが、よくわからない。
独裁国家において、生きること、身内を犠牲にしてまで、亡命する意味が伝わってこないのが、残念なのだ。
ただ、美術、演出、衣装、演技には、見るべきものが多かった。くりかえし登場する「華玉木」のパートは美しく、圧倒的だったのに……。 こころのどこかで、勝手に松尾スズキ的なものを期待していたおれには、いまひとつでした。
