【映画2006】ナイロビの蜂
ワーナーマイカルシネマズ板橋9番スクリーンにてSRD鑑賞。
「シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレス監督の最新作である。
そして、ジョン・ル・カレ作品の映画化である。
これだけでも観るでしょう!
観たくない要素をいえば、江原啓之が「魂が震えました」とか、「奇跡を感じてください」とか、テレビコマーシャルでスピリチュアルに推薦していることくらいだ。
ル・カレも草葉の陰で泣いているぞ。って、ル・カレは死んでないけどな。
そんなスピリチュアルな人とは関係なく、映画はすばらしくおもしろかった。
ル・カレについては、決して熱心な読者ではない。スマイリー三部作と、ほかに2、3作を読んだくらいで、肝心の「ナイロビの蜂」は読んでいないのだが、これってル・カレの映画化作品ではいちばん成功している。
ケニアのナイロビに着任した英国外務省の一等書記官ジャスティン。その妻テッサが殺されてしまう。黒人医師とともに救援活動に励んでいた妻だが、ジャスティンも知らぬ男とホテルのひとつ部屋に泊まった妻はナイロビへの帰路、むごたらしく殺されたという。
物語は、ジャスティンとテッサとの出会い、テッサからのプロポーズなど、回想シーンを織りまぜて進んでいく。
さまざまなエピソードを交え、ふたりのキャラクターが浮き彫りにされていく。相手が巨大であっても不正と不公平を憎み、直情的に行動するテッサと、ガーデニングが趣味でだれかを疑うくらいなら、自分を殺して耐えてしまうジャスティン。
原題のThe Constant Gardener(変わらぬ庭師)はそんなジャスティン自身のことをさす。忍耐と優しさの中で生きてきたジャスティンが、妻の死という理不尽に触れたとき、その忍耐は事実追及への力となる。
ル・カレの原作であるから、国際謀略ものとしての要素は濃密だ。先進国から食いものにされるアフリカ。製薬会社と国家の謀略が、そこに住む人間を犠牲にしていく。
語り口のサスペンスは秀逸だ。あらゆるサスペンスは人間性に根ざしていなければ、説得力を失うが、失った妻の存在を回想の中でとりもどしていく構成が、見ているこちらを刺激しつづける。
そして、アフリカ!! ケニア!! ナイロビ!!
ナイロビの貧民街の色彩とリアリティ! アフリカの圧倒的な大地の説得力。執拗な手持ちカメラで、ドキュメンタリーのように撮られた映像と、すさまじい編集のリズムは、圧倒的だった。
顔のない巨大な獣のような現実のからくりが浮き彫りになっていく。完全なる勝利も割りきれる気持ちよさもそこにはない。それが、わかってなお、Constant Gardenerとして、目につく雑草を、1本、1本、毎日のようにむしりとっていく。
アフリカの飢餓、社会の仕組み、人間の生死という、絶対に割り切れないものを描きつつ、映画としてこれほど圧倒的なカタルシスを生みだしたのは、なみたいていのことではない。
レイチェル・ワイズが24歳という設定は、かなり無理だと感じたが、エキセントリックで、情愛あふれる女性をたくみに演じていた。レイフ・ファインズは文句のつけようがないほどのはまり役。
回想の中の妻が、助手席から声をかける。「あの子を乗せてあげて!」そこにいた子供たちは、わずかなバス代もないから、これから何時間もかけて家に帰らなければならないのだ。
「一人を助けたところでどうにもならない」
だが、妻の足あとをたどる中で、ジャスティンは変わっていく。一人の少年を飛行機に乗せるか、乗せないか、黒人パイロットと対決するジャスティンのことばには、妻、テッサの思いが乗っていた。
江原啓之がいうまでもなく「魂が震える」作品である。
また、「奇跡を感じてください」とかいっていたが、これは感じるような奇跡ではない。周到に設計された構成と、なまなましいアフリカの情景から生まれた「映画」であり、人間としての知性を持って見るべき「映画」なのだ。
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