【映画2006】Vフォー・ヴェンデッタ
ワーナーマイカルシネマズ板橋5番スクリーンにてSRD鑑賞。
オープニング。ナタリー・ポートマンの独白。その特徴的なイントネーションにぞくぞくっとしていたら、物語の冒頭、イヴィー=ナタリー・ポートマンに自己紹介するVの早口ことばのような押韻セリフにめくるめく。
徹頭徹尾、ことばを重ね、物語をつむぎだしていく映画だ。
「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟の脚本だけあって、濃密なる一本調子というクセは、作劇に見られるのだが、これはくるおしく興奮する作品であるし、ラストシーンにはぞっとするほどの感動がある。
20年前に発表された原作コミックは未読なのだが、その作品を現代に映画化したメッセージはきわめて明確だ。戦争や疫病、テロリズムという不安をもとに全体主義的政府がマスメディアを統制し、マイノリティや同性愛者、異教徒を弾圧するという構図は、現実に世界が瀕している危機を思わせる。
独裁者を生むのは民衆だし、同じ民衆が革命の力となるというテーマはダイレクトに伝わる。
Vがテレビ放送の中で民衆をあおる際、「鏡の中にいる姿こそ、ほかならぬ独裁者の姿なのだ」と語るのだが、その民衆の姿こそ、合わせ鏡で革命者の姿となっていく。
革命という混沌を生む上で、けっして無謬ではいられない。他人のIDを利用したり、身内をだましたり、爆弾テロをしたり、大衆をおとりにして行動するVは、自身の手を汚さなければ革命を成就できないという確信とともに、バットマンのように悩みすぎたりせず、行動する。しらふになってみれば、ひどいと思うけれど、一般映画としてぎりぎり許容範囲だろう。
「モンテ・クリスト伯」、「神曲」、「マクベス」、「十二夜」といった作品からのペダンティックめいた引用も、ここまでやれば小気味よい。
「レオン」のころから、「スター・ウォーズ」新三部作を通じて、ナタリー・ポートマンという女優はあまり好きではないのだけれど、この作品の彼女はちょっとよかった。
それにしても日本タイトルはひどすぎ。
