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【映画2006】オーメン

 ワーナーマイカルシネマズ12番スクリーンにてSRD鑑賞。

 つまりあの懐かしの「オーメン」である。

 1976年の「オーメン」といえば、日本版「スターログ」で、ハーラン・エリスンが緻密に酷評していたけれど、グレゴリー・ペックという名優と、当時としてはかなりショッキングな殺害シーン、そして、ジェリー・ゴールドスミスの名曲、そして、「666」という「獣の数字(悪魔の数」の印象がとても強い作品だった。

 結局のところ、悪魔の子供ダミアンの「ちから」がどのくらい破滅的、悪魔的なのかがぴんとこないまま終わってしまい、続編でどうなるかと期待したものの、成長とともに悪魔感がスケールダウン。第三部でサム・ニールが演じたダミアンはもう、小悪党としかいえないしょぼくれようだった。

 どれだけ悪魔的になるかを期待していたのに、殺しのバリエーションを増やすことだけに、終始した続編作りは、「そんな小さいことに拘泥しているから、人類になめられるんだよ」と、喝を入れたくなったものだ。

 そしてリメイクの今作である。映画としては幸せにできている。このレベルのカメラワークと美術で「デスノート」を作ってくれたらよかったのにと、思うくらいだ。

 パーカッションをきかせたサントラも、ゴールドスミスの域ではないが、映画音楽としてきわめてまっとうだ。歌舞伎の大見得のごとき殺人シーンも、現代的かつオーソドックスにショッキングなものになっている。

 残念ながら、主演のリーブ・シュライバーは演技こそ巧みなものの、グレゴリー・ペックほどの存在感はない。その穴を埋めるのは、乳母役のミア・ファローだ。こいつがこわい。ひとりでこわい。ダミアンよりこわい。こわすぎる。もうウディ・アレンの諸作とか吹っ飛ばして、キャリア初期の「ローズマリーの赤ちゃん」とダイレクトでつながった印象だ。

 ただ、オリジナル同様、悪魔の子の悪魔の子らしい存在感は、やはり弱い。映画の後半、主人公がイスラエルのキブツに行くシーンがあるのだけれど、そこで現実に行われている悲劇にくらべたら、全編を通して6人くらいしか死なないドラマに悪魔を感じるわけにはいかない。

 だからといって、ダミアンにくるったような大量虐殺をしろといっているのではない。見世物としての死が、現実にかなわなくなっているのが現代なのだ。

 映画の中でもモチーフとして、軽く触れているのだが、カッコーの托卵のように、自分の子ではない悪魔を育てている母親の疎外感、恐怖感、不安をもっとフォーカスし、そこから引き出される父親の葛藤を通して、恐怖の説得力を高めるべきなのだろう。

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