【読書】複眼の映像 私と黒澤明
ごくごく私的な話なのだが、橋本忍という脚本家の存在を教えてくれたのは、中学演劇部の顧問、高(こう)先生だった。
「黒澤明の脚本で有名な橋本忍は入院しているときに、初めて映画の脚本を読んで、こんな簡単なものなら、自分でも書けると思って、脚本家になった」
そういう話だった。映画の脚本家なんてずいぶん簡単になれるんだと、馬鹿な中学生は思ったものだ。
そのころ見ていた映画「日本沈没」や「八甲田山」、「八つ墓村」が、その橋本忍脚本作品なんて思いもよらなかったし、「羅生門」、「生きる」、「七人の侍」など、黒澤明との諸作や「白い巨塔」、「砂の器」、「私は貝になりたい」なんて卓抜な作品をみれば簡単になれるどころか、もう畏怖の念あるのみなのだが……。

その橋本忍が88歳になって、黒澤明とのつながりを軸に書き上げた自伝が本書「複眼の映像」である。
タイトルの「複眼の映像」とは、黒澤映画最盛期の共同脚本メソッドのことだ。まず脚本家が作った第一稿を文字通りのたたき台としたあと、決定稿を作るために、黒澤明と複数の脚本家が旅館に缶詰になり、全員がいっせいに、同じシーンを個別に書いていく。つまり、1シーンごとに、脚本コンテストをするごとき緊張感の中で、脚本家のポテンシャルをぎりぎりまでしぼりだすメソッドなのだ。
その緊張感はこの本からもびんびんと伝わってくる。88歳の年齢でこれほど臨場感とエネルギーあふれるテキストを書ける橋本忍はやはり怪物だ。
戦時中に入った結核病棟で映画脚本に初めてであったエピソードはもちろんある。脚本の載っていた雑誌「日本映画」を見せてくれた入院仲間に、「では、日本でいちばんの脚本家は?」と聞いて、「伊丹万作だ」と教えてもらったことから、退院後、自分の書いた脚本を伊丹万作のもとに送り、そのまま、弟子をとらない伊丹のたった一人の弟子となる。
伊丹万作の死後、芥川龍之介の「藪の中」を原作とした脚本「雌雄」が黒澤明の目に留まったが、そのままではあまりにも短すぎて、劇場用作品とできない。
「あんたの書いた、『雌雄』だけど、これ、ちょっと短いんだよな」
「じゃ、『羅生門』をいれたら、どうでしょう?」
「羅生門?」
黒澤さんは首を捻った。一瞬の空白――エアポケットのような瞬間だったが、その緊迫気味の沈黙はそんなに長くはなかった。
「じゃ、これに『羅生門』を入れ、あんた、書き直してみてくれる?」
「ええ、そうします」
わずか1、2分の打ち合わせを終えて、外に出た橋本忍だが、辞去とともに後悔と慙愧が始まる。まるっきり接点のない「藪の中」と「羅生門」では、つながりようがない。
これまでは考えたことすらない、意識の片隅にもないことを、いきなりペラペラと喋ってしまったのである。
デビュー作で組んだ相手が巨匠、黒澤明なのだ。まるで遠間の攻防をするように、兵庫の地から東京にいる黒澤の意図を知るべく、作品と対峙する橋本忍。
つづく、「生きる」では、黒澤からあたえられたテーマ「後、七十五日しか生きられない男。」をもとに、一本の作品が生まれていく魔法の時間をヴィヴィッドに描く。黒澤と橋本、小國英雄の三人が、のちに志村喬が演じることになる市民課課長、渡辺勘治を生み出していくプロセスだけでもぞくぞくしていく。
箱根での缶詰の4日目、遅れてきた小國が、黒澤と橋本が書きためた40枚のシナリオを読んだとたんに、「これはあかんなぁ」とひとこと。黒澤明の怒号が響く。
「お前の言うとおりなら、渡辺勘治は死んでしまう!」
「死んだっていいじゃないか」
「なに!」
「渡辺勘治が死んだからって、後が書けない訳はないよ」
そして、黒澤明は「分かったよ、小國!」の声とともに、それまでに書いた原稿用紙を引き裂いて破ってしまう。
こうして、渡辺勘治は劇中で死ぬことになった。
「命短し、恋せよ乙女……」
あのゴンドラの唄を口ずさむラストシーンの種はこのときに仕込まれたのだ。
なにより、これは武士と武士の真剣勝負のようなすさまじい場だ。
つづいて企画された厳密な考証をもとに江戸の武士の切腹を描いた「侍の一日」だが、たったひとつの考証ができないために脚本段階でお蔵入りになる。
また、日本の剣豪たちを描くオムニバス「日本剣豪列伝」は、第一稿が完成したものの、黒澤明が吐息とともに「橋本君……シナリオには、やっぱり起承転結があるんだよね」そして、自嘲の苦笑とともに「もともと頭からおしまいまでを、クライマックスでつなぎ、一本の映画をなんて、とんでもない間違いだったんだよね」と、企画そのものが没になる。
黒澤と橋本忍ほどの映画上手をもってしても、実際にシナリオが上がるまで、それがおかしいと気づかなかったのだ。
二本連続で、お蔵入りになったのだが……。
「ところで橋本君……武者修行って、いったいなんだったんだろうね」という黒澤のひとことから、「七人の侍」が忽然として立ち上がるプロセスは、本書の白眉だ。
多少なりとも創作に関わった人間なら、このあたりの壮絶な作業を読むだけで、すさまじく興奮できるだろう。
かくして完成した「七人の侍」がどのような作品だったか、知らぬものはいないはずだ。黒澤明作品のもつ"ちから"の秘密が、(本書が脚本家の視点から見たものとはいえ)この密度あふれる脚本作りにあったことが、よくわかる。
なにより読んでいて身震いがする。シナリオが形になる過程を読むことで、自分の耳の中に、早坂文雄のあのテーマソングが聴こえてくる。
これほどのものを生み出した、黒澤映画というシステムだが、それからもずっと機能しつづけたわけではない。
つづく「生きものの記録」の歴史的な不入り。その後、「蜘蛛巣城」、「どん底」、「隠し砦の三悪人」、「悪い奴ほどよく眠る」と、低迷の時期に入る。「用心棒」で復活はしたのだが……。
黒澤の助監督を務め、その後、脚本家と監督の立場で何度もタッグをくんだ野村芳太郎に、橋本忍はこんなことを聞いた。
「じゃ、黒澤さんにとって、私……橋本忍って、いったいなんだったのでしょう?」
「黒澤さんにとって、橋本忍は会ってはいけない男だったんです。そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めての賞などをとったりしたから……映画にとって無縁な、思想とか哲学とか、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこれも妙に構え、重い、しんどいものになってしまったんです。(「羅生門」、「生きる」、「七人の侍」がなくても)、黒澤さんは世界の黒澤に……現在のように虚名に近いクロサワではなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明になっています。映画のおもしろさのみを追求していれば、彼はビリー・ワイルダーにウィリアム・ワイラーを足して二で割ったような監督になったはずです」
なんと残酷でなんと示唆にとんだことばだろう。黒澤明にビリー・ワイルダーの技巧とウィリアム・ワイラーの風格があったことは、だれでも分かる。映画の天皇といわれるより、映画の申し子となる可能性さえあったのだ。
これは1977年、「デルス・ウザーラ」と「影武者」の間の5年の空白の時期の発言だ。時代的背景もあるが、作家と作品、共同作業という錬金術の作用と反作用についての冷徹な分析であり、神話的悲劇といってもいいかもしれない。
橋本本人のいないところで、橋本の悪口を言いまくる黒澤明。そして、意図的に黒澤組から身を引く橋本忍。そのふたりの距離感については、本書の些細な描写から透けてみるしかないのだが、ある種、愛憎にも似たさまざまな感情があったのだろう。だが、生理的な人間としての黒澤の描写は最小限にとどめ、作品を生む黒澤の言動へのフォーカスをきっちりあわせているところは堂々としたもので、すばらしい。
「橋本君。この「七人の侍」は、ニューワールド(ドヴォルザークの新世界)を原作にしてやってみようよ」。
そんな泣きたくなるセリフで脚本家をその気にさせ、缶詰作業の夕餉に秋田民謡を郷愁の一念で歌い上げる黒澤の姿は、やはり橋本忍でなければ、描けない。
亡き友にむけてのラブレターである。新たな世代の映画人に対する檄文である。映画を愛する人すべてに贈るもうひとつのドラマである。
