【読書】SF魂
mixiのあるコミュニティの管理人が、新作映画「日本沈没」を評して、「「SF映画」としてみれば/そんなにひどくなかったようにも思います。」と書いていたのを見たとき、ちょっとびっくりした。三十代前半のこの管理人と四十代の自分の思うSFは、ちがうSFなのだろう。
パニック映画や特撮映画としてというくくりならわかる。新作「日本沈没」は脚本も編集も雑だけれど、それらしい見せ場が多い映画だからね。ただ、そういうことなら、なにも「日本沈没」のリメイクではなく、かの「地震列島」のリメイクということにしていただきたかった。
「日本沈没」は刊行当時カッパノベルスの表紙に「SF小説」と書かれていた。SFと銘打つと売れないといわれていた時代にあえてSFと書き昂然と胸を張っていたのだ。
自分が十代のある時期、SFってやつはなんというか、すごいものだった。あのころのSFがなければ、現代において小説も映画もつまらないものになっていたことだろう。
「SF魂」は1962年、31歳でデビューするや、「復活の日」、「果しなき流れの果に」、「日本沈没」といったSF作品をつぎつぎに発表し、SFの地平を広げた小松左京の半生記である。
新潮新書のベストセラー「バカの壁」同様、著者の語りを編集がまとめたスタイルで、生真面目な文体ではあるもののきわめて読みやすい。
小松左京の半生記といえば、「やぶれかぶれ青春記」がおもしろかった。戦後、旧制高校に入学してわずか1年で学制改革、新制大学を受験しなおすまでの旧制高校のむちゃくちゃな日々を描いたもので、その時代ならではのユーモア感覚が楽しく、中学二年生の自分は、ちょっとした憧れとともに笑いながら読んだものだ。
発作的左翼学生として、京大文学部に入った直後に共産党の京大細胞に入ったものの……。
共産主義に懐疑的になった頃に、「少し待ってくれ、もう少し共産主義について勉強したい」と幹部に申し入れた時の返事は忘れられない。ためらいも何もなく、即座にこう言われた。「歴史の必然は君の理解を待ってはおらん!」。これにはめげたね。
だいたい、田舎へ行ってオルグせよ言うけれども、日本中どこへ行ってもラジオはあるし、無知な農民なんているわけがない。毛沢東の中国とは根本的に違う。そんなことを言う幹部連中にほとほと嫌気がさして、結局、政治活動からドロップアウトしてしまった。
だから、有り体に言えば当時の若者の一つの典型かもしれないが、左翼思想と実存主義に同時に接して、結局は実存主義を選んだということだ。
このあと、小松左京は共産党の党籍記録のおかげで、ろくな就職ができなかったりもしたのだが、三浦浩、高橋和巳との交流はここから始まっている。
『悲の器』は高橋の愚痴みたいなものだと思ったが、『邪宗門』(一九六六年)は小説としてよくまとまっている。架空世界の設定の仕方はSFにも近い。これは僕の『日本アパッチ族』(一九六四年)の方法を意識しているのは間違いない。「アパッチのやり方をパクったな」と言ったら、「ばれたか」と笑っていた。彼自身も売れなきゃと思い始めた頃だし、あの作品で彼もフィクションの方法に目覚めたのだと思う。
こういうところはたまらないね。SFといっても孤立して突然発生したものではなく、影響を受け、影響をあたえ、時代の中で自然に発生したプロセスが見えてくる。
総会屋系の経済誌にカット係としてもぐりこんでいつのまにか、原子力中心の経済誌に誌面を変え、その中心になったり、父親の工場を手伝うことになったものの放漫経営の末に二度も倒産。金を稼ぐためにラジオのニュース漫才の台本を大量に書く中、出会ったのが創刊されたばかりのSFマガジンだ。掲載されていたロバート・シェクリイの「危険の報酬」を読んで衝撃を受ける。
SFの視点にたてば、あらゆる形式の文学を、――神話、伝承、古典、通俗すべてのものを、相互に等価なものと見なすことができる。このことはやがて<文学の文学性>を、実体概念でなく、機能概念として見る見方に導く。
1963年の「拝啓イワン・エフレーモフ様」で、小松左京が書いたSFに対する思いだ。もちろん自分も十代の頃にこのテキストを読んでいるのだが、いま読むと、「ああ、そんなこといいきっちゃったよ」と思いつつ、あらためて、その意気と粋に感じ入る。21世紀にこれを書ける人はいないし、1963年のある時期、このユリイカはまぎれもない真実だったのだ。
いわばこの部分が本書の核「SF魂」なのであろう。SF最強宣言である。もうこういう人がいた当時のSFってやつには、しびれていたのだよ。そういう思いが「果しなき流れの果に」でひとつの形をとるのだから、とんでもないよな。
ぼくも読み返したばかりの「日本沈没」で、書きながら参考にした本として、吉田満の「戦艦大和ノ最期」と、イザヤ・ベンダサン(山本七平)の「日本人とユダヤ人」をあげていたのに、ひざをうつ。作品中にあった手触りはやはりそこからきていたのだ。
時代のベストセラーが、さらなるベストセラーの養分となっていたわけだ。
当時の小松左京が万博などに手を出さなければ、もっとたくさん読めるのにと思っていたのだが、本書を読むと、そこから吸収され、作品にフィードバックされるものは多かったとわかってしまう。
映画「さよなら、ジュピター」についてもそれなりのページを割いている。あれを作るというプロセスは興味深いものであり、その制作からのスピンオフは大きいとも思うのだが、やはり映画としては厳しいものがあった。
ちなみにこれは「SF魂」を通じて感じられるのだが、やはり、この時代の創作者として映画に対する叙述が少ないのはどういう意味があるのだろうと思う。
ただでさえ、小松左京という巨人の生涯を190ページというコンパクトサイズににまとめた本だ。とにかく駆け足で描いている中で、そこまでの余裕がなかったのかもしれないが……。
小松左京の映画化作品の中でも映画として成功しているのは、「復活の日」だが、あれは角川春樹、深作欣二、木村大作というスクラムが、極限状態という映画的カタルシスを効果的に使ったからよかったのだろう。脚本の高田宏治のフィルモグラフィは仁義と極道の文字ばかりで、「復活の日」以外にSF映画の脚本を一本も書いていないのは、すばらしい。
本書の感動的な終章で「浸透と拡散」を経て、SFこそが世の中のスタンダードになったのだ、という思いはぼくも感じるところだ。そういう時代に、「SF映画としては」と、「日本沈没」を評した管理人のいう「SF映画」は、小松左京がその人生を託したSFの映画という意味はなく、「大作B級ムービー」の言いかえにすぎないのだろう。
小松左京の存在は大きく、その功績も大きい。ただ、SFというエンジンを積んだ小松左京という強力なブルドーザーが整地した広大な土地を見て、かつての原野に思いをはせることは難しく、その功績を評価することは困難だ。
そんなSFの静かなる凱歌が、本書から感じられることなのだ。
