【映画2006】グエムル -漢江の怪物-
ワーナーマイカルシネマズ板橋9番スクリーンにてSRD鑑賞。
韓国映画は99年の「シュリ」のころは劇場で見ていたのだが、何本見ても、映画を導くエモーションの流れが、腑に落ちないものが多く、劇場に行くことをやめ、たまにレンタルで借りてみる程度になっていた。
スクリーンでは感動的に盛り上げようとしているのだが、なんでこの流れの中で、盛り上がれるのか、さっぱりわからないことが多く、見ていて居心地の悪さを感じるものが多い。
韓流ドラマも苦手だ。おれには縁のない世界かもしれないとうっすら思っている。
さて、そんなおれでも怪獣映画となれば、劇場に足を運んでしまう。たとえ韓国製であってもだ。
楽しめた。映画として見せる力がきちんと備わった作品だと思う。
怪獣映画のベクトルとしては、ゴジラではなく、「デッドリー・スポーン」だとか、「トレマーズ」あたりの系譜だろうか。あるいは「ジョーズ」あたりに近いのかもしれない。
一部では「パトレイバー」との近似もいわれているし、モンスターの造形や基本設定など、重なる部分も多いのだが、作品としては別物と考えていいだろう。
日常を襲うちょっと大きな怪物と、身の丈サイズの人間との死闘を迫真の映像で描いている。
グエムル(怪物)登場シーンのすべてがすばらしく、文句のつけようがない。
ただ、腑に落ちないエモーションの流れはあいかわらず濃厚だ。笑わせる要素がいくつかあるのだが、なんだかね。松竹新喜劇みたいな雰囲気なのだ。
藤山寛美が阿呆をさらしながら、世間の無理解と嘲笑に苦闘する。藤山寛美なら最後に観客をほろりとさせるのだが、グエムルでは怪物を退治するという感じ。
怪物にさらわれた娘が、暗渠の中で生き延び、必死の思いで、父親の携帯に電話を入れるのだが、怪物が撒き散らすウィルス保菌者とみなされた父親や家族が院内で警官に訴えても無視される。なぜ? 父親が阿呆だから? このあとも阿呆ネタはいくつもある。
娘を救出したくても軍や警察の力を借りられない理由が「アホの壁」ってのは無理がある。
家族による救出劇そのものは感動的だが、いやそれはありえないでしょうと思いたくもなる。
仮にこれが「多摩川の怪物」というタイトルの映画なら、説得力のかけらもないと非難されるだろう。
迫真の映像と、まともな神経では説得力があると思えないシチュエーションの落差に混乱もするだろう。
でもね。おれは混乱しなかったんだよね。冒頭の漢江の河畔を襲うグエムル登場シーンがあまりにもすばらしいために、この「ありえなさ」を地平の果てまでふっとばしてしまったのかもしれない。
韓国といっているけど、現実の韓国ではなく、在韓米軍といっているけれど、現実の在韓米軍ではない。
見かけは現代韓国なのだけれど、どこかいびつで、世界の理屈もちがう。これは別の時代、別の地球の韓国なのだろうと、おれの頭の中で変換が終わってから、すばらしい作品になったし、阿呆が怪獣と戦う世界観がぴたっと迫ってきたね。
最後まで、主人公一家のだれひとりにも感情移入はできなかったのは仕方ないし、それでもおもしろいのだから、たいしたものだ。卓抜したカット割りと編集の成果でもある。
日本のように怪獣映画の伝統が重くずっしりとないからこそ、撮れた部分もあるのだろう。そこはちょっとうらやましく思った。
話題のエンディングには唖然としたけれど、これまた、別の地球の別の韓国だから、しょうがない。
その韓国ではカタルシスというものが、おれの地球とは違うのだろう。興味深い。
栄養のバランスがむちゃくちゃ狂っているのに、なぜか食べたくなるジャンクフードのような作品で、見終わったあとも満足しているのだけれど、食べた後は猛烈に水を飲みたくなり、つぎに何かを食べるとしたら、さっぱりした野菜とか、白いご飯とかにしたくなる味わいだった。
