【映画2006】マイアミ・バイス
ネットのレビューを見ていたら、この映画を評して「あぶ刑事みたいだったなぁ!!」という感想が……。マイアミ・バイスのテレビシリーズは1984年から、「あぶない刑事」は1986年からだ。
ほかに、コン・リーを指して、「すっごい疑問に思うのが / なぜ、美人でもないあの / 東洋系の女にほれたんだ。 / / どうみてもチャン・ツィーの / 出来損ないじゃないか。」などと、書く若者(19歳女性)にいたっては……。ああ、「紅いコーリャン」は遠くなりにけり……。
ワーナーマイカルシネマズ板橋10番スクリーンにてSRD鑑賞。
同監督の前作「コラテラル」も濃厚なアトモスフィアが、映画のすべてだったが、「マイアミ・バイス」もアトモスフィアの映画だ。アトモスフィアとはなにかといえば、「ふいんき(←なぜか変換できない)」ではなくて、「雰囲気」だ。すみません、古いネタで。
手持ちカメラに高感度フィルムの質感が雰囲気。ゆるさとタイトさが微妙に交差する編集も雰囲気。
濃密なダンスシーンに、フェラーリF430、MTIパワーボート、バレットM82A1スナイパーライフル、アダムエアクラフトA500、そして、モヒートの甘い香り、男のリビドーがおしゃれにぶちこまれているのも雰囲気。
雰囲気を出したいシーンはとてもよくわかる。どのシーンも微妙に長かったりするからね。
しかし、おれにはクルマ欲も、高速艇欲も、銃器欲もない。飛行機欲とカクテル欲ならちょっぴりあるけど、この映画でおれの欲望を激しくかきたてるのは、コン・リーくらいだ。この映画のコン・リーの熟した背中にかなり欲情したのは事実だけれど、コン・リーってば、もう少し若いときにこれくらいの濡れ場を見せてほしかった。
マイケル・マンはリアリティを重視する作風で知られているし、マイアミ・バイスシリーズといえば、リアリティのあまり不条理なエンディングが多々あることで有名で、この映画化作品にもその空気は流れている。
ただ、この映画における「リアリティ」は「現実感」と訳すより、「現実風」と呼ぶにふさわしきもので、「手打ち風そば」が「手打ちそば」でないのと同様、けして現実に根ざしている作品ではないんだよね。
あまりにもおしゃれにリアルっぽすぎて、かえって絵空事になるという不思議な作品だ。
リアリティとかっこよさを追求したいのはわかるけれど、テレビシリーズにあったユーモアを思い出してくれたほうが、よろしかった。そのユーモアの欠如がこの映画を「あぶない刑事」もどきにしている一因かもしれない……なわきゃないけどね。
まぁ、こういう中年オナニー白日夢映画を退屈せずに見られる程度には、おれも中年なんだろうな。かなしい。哀しい。ああ、悲しい。
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