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【映画2006】カポーティ

 ワーナーマイカルシネマズ板橋10番スクリーンにて、SRD鑑賞。

 これはもうフィリップ・シーモア・ホフマンのカポーティ芸をまず堪能するべき映画だ。

 まともに鑑賞するならば、この作品のベースとなった「冷血」の知識が必要であるし、そういった知識を前提にするならば、映画そのものが「冷血」の筆致をトレースするかのように情景を切りとる端正なカメラワークに感心するはずだ。

 1967年、一家四人惨殺事件に興味がわいた作家、トルーマン・カポーティは現場である長期取材を行う。ニューヨークの社交界で多くの人々の心をつかむのと同様のスキルで、町に入りこみ、保安官夫婦にとりいり、やがてつかまった犯人のひとり、ペリー・スミスとの長期にわたる交流の中、感情と事実の両面で聞きとり取材を行う。

 カポーティ自身は「冷血」をノンフィクション・ノベルと称していた。ノンフィクションとノベルと……、水と油のような要素を混ぜあわせようとしたことで狂おしい葛藤が生じる。

 刑務所の中で再審を待つペリーには「まだ、ほとんど書いていないよ」と嘘をつき、着々と執筆を進めるカポーティ。そして、ノンフィクションのノベルとして、「冷血」を完成させるためには、ペリーが絞首刑になるという事実を作品に織り込まなければならない。目の前の「冷血」の主人公は、生きようという強い意志を表明しているのに……。

 作品のネタとしてペリーを利用する明確な意志はある。複雑で不幸な生い立ちなど、自分と重ねあった人格であるペリーに対する友情もある。

 生みの苦しみの物語である。そうだろう。作品を完成させたいため、まだ生きている友人の死を祈る自分がいるのだ。

 絞首台での処刑に立ち会い、ペリーの死とともにカポーティの一部も死んだことがくっきりと描かれる。作品を書き上げることが、ほかならぬ自殺だということが、見えてくる。

 幼なじみであり、「冷血」取材の助手として同行した「アラバマ物語」のハーパー・リーが、誠実な常識としての声をつねに発しているのが印象的だ。ノンフィクションとノベルの狭間で苦悩するカポーティの位置を示す座標の基準点となっている。
  

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