【読書】テレプシコーラ(10)
ああ、第一部完なのだ。1巻目の発売が2001年6月だから、半年に1冊の刊行ペースでここまで来た。
これほどデリケートで鋭利で巧みでゆるがない作品はめったにないし、なにより、ぼくはこれを単行本でまとめて読みたかったから、連載雑誌の「ダ・ヴィンチ」を買うことがなくなってしまった。
日常の中の心理サスペンスを描いているから、連載で先を読むことが怖くてたまらなかったのだ。
今年の初夏に友人の女性二人と会ったときに、連載を先に読んでいるふたりが「ああ、千花ちゃんが、千花ちゃんが……」といってたのを聞いて急いで耳をふさいだ次第。
なにかあるという予感はずっとあったのだが、まさか、それだけは勘弁してほしかった展開だ。
今日はコミックを買ったあと、先日、テレビで紹介された近所の「プティ・パニエ」という洋食店にはじめて行き、おもむろに読み始めたのだが、もう、どばっと泣けてしまい。少女マンガを読んで泣くあやしい中年男になってしまった。
「テレプシコーラ」はバレエ漫画だ。小学五年生の六花(ゆき)はバレエ教室の娘。ひとつ上の天才肌の姉、千花(ちか)は天賦の才と気高い性格でプロバレリーナをめざしている。なにかといえば、姉とくらべられることの多い六花だが、のんびりとした性格のまま、自分のペースでバレエを続けている。
山岸凉子のシャープで清潔な絵で描くバレエの振り付けは美しく惚れ惚れとする。その絵は幾千のネームより饒舌なのだが、バレエの世界に住む多くの少女の姿を描き分けながら、情熱と希望と誇りと不安が交差する中、肉体と精神のふたつの面で成長していく主人公を丹念に描いていく。
と、あらすじだけを書いてしまえば、とりわけ、真新しいものではない。しかし、バレエに関する詳細なディテールを背景にした作劇はすばらしく、なんというかもう、六花も千花もよく知っている娘のように身近に感じられるのだ。
オンラインの素人レビューに「ありがちな展開」なんて、頭の悪いフレーズが書かれると、「世の中のエンターテインメントにありがちじゃない展開なんてねぇよ」と、むきになったりすることもあるのだが、「ありがち」と書かれているときは「ありがち」なものにさえ、なりきれていないことが多いと自戒する。
つくり込みが足らずにつまらないものは、ありがちな骨格だけが目立ってしまうのだ。
「テレプシコーラ」はもうそういうレベルからはるかに離れ、山岸凉子の端正な描線そのもののように、とてつもなく精緻に作りこまれていながら、むだがない。
伏線は投げ出されることがない。古典悲劇のように、ピンポイントで悲しみのツボをつくし、どんな人生哲学よりもクリアに生きていくちからもあたえてくれる。
うあもうだめだ。レビュー書いてて、過去10巻分のいろんなディテールを思い出すだけで、気持ちが揺れまくるよ。「トゥオネラの白鳥」って、8巻からきちんと伏線があったんだね。
第二部は春からといっているけれど、待ちきれない。
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