【読書】カート・ヴォネガットの訃報
カート・ヴォネガットが亡くなった。
はじめて読んだのは、中学二年のとき。「プレイヤー・ピアノ」だった。早川文庫の翻訳は1975年に出ているので、ほとんど時をおかずして読んでいる。つづいて、「タイタンの妖女」、「スローターハウス5」と文庫刊行順に読んでいる。
あのころは早川文庫SFの青背はすべて読んでいた時代だったし、高校生のころ、東京に遊びにいった冬休み。寝台列車(「あさかぜ」だったかな。「さくら」だったかもしれない)のベッドの中で、「スローターハウス5」を読み始めたらもう止まらず、気がつくと明石のあたりだった。
表紙は映画版「スローターハウス5」のスチルでビリー・ピルグリムを演じたマイケル・サックスがたたずんでいるものだ。
80年代半ばに映画出演をやめたマイケル・サックスは、その後、会社経営に身を投じ、Fortune500社にも選ばれたIT系の会社を経営しているという。映画の内容を考えると興味深い。
そういうものだ。
「スローターハウス5」にあった、あの優しいニヒリズムと断片化された構成は、世の中と自分の折り合いをつけようとしていた高校生にとって、居心地よく、せつなく、何度も繰り返し読む一冊となった。
映画「スローターハウス5」を観たのは、かなり遅くなって、24歳のころだったかな。懐かしいあのマイケル・サックスが、さまよう姿をLDで観た。
ジョージ・ロイ・ヒルの作品はすべて好きだけれど、「ガープの世界」と「スローターハウス5」のどちらがベストだったのか、いまでも決めかねる。
そういえば、「スローターハウス」とかいう編集プロダクションだった。きっと社長がヴォネガット好きだったのだろう。 自分の事務所にそんな名前(スローターハウス=屠殺場)をつけるなんて感覚はどうかしていると思う。おれなら、そんなバカげた名前はつけない。
爆笑問題の太田光の事務所は「タイタンの妖女」にあやかって、タイタンで、飼っていたオカメインコはキルゴアだそうだが、そんな不遜な名前をつけるなんて、作家と作品に対する、愛情が足りない。
80年代ころから、世の中では「おや、あなたもヴォネガット好きですか」という状況がつづき、早川文庫のフェアなど、書店の平積みでは、あの和田誠の表紙がよく目につくようになった。
それは喜ばしいことのような気もするが、なにかいたたまれないような気持ちにさせるブームでもあった。ずっと好きで、教室の片隅からいつも見ている人が、「あ、おれもあいつのこと好きなんだよね」とか、クラスの半分くらいが言い出したような気がする。
いま考えると、そう考えること自体が田舎の子供っぽい。
そのあとも翻訳されるたびにヴォネガットの作品すべてを読んできたけれど、「青ひげ」がとりわけ好きだった。1989年だから、おれは27歳だ。ちょうど結婚したこともあって、自身を再建する物語は沁みてきて、いまは「スローターハウス5」のつぎに好きな作品かもしれない。
1997年、「タイムクエイク」という濃密なエピローグとともに、長編作家としての活動に幕を閉じたヴォネガットだったから、その死に「あ、そうですか」という乾いた悲しみ以上の気持ちはない。
ないのだけれど、とても居心地が悪い。
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