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【読書】星新一 一〇〇一話をつくった人

 星新一について知っていることはどれくらいあるだろうか。

 「ボッコちゃん」など1001話のショートショートを書き、長者番付の常連だったこと。父親は大製薬会社の創業社長であり、母親は森鷗外の妹だったこと。SF作家としては、小松左京や筒井康隆と並び、「御三家」あつかいだったこと。小松や筒井のエッセイによれば、SF作家クラブの会合や旅行で、とてつもないギャグや奇行をかましていたこと。

 そして、作品においては時代性や風俗性を極力排除し、きわめて平明な文体で書いていたこと。

 日本の小説家の中で特筆すべきポジションにあるにもかかわらず、その私生活については、あまり知られていない。

 「星新一 一〇〇一話をつくった人」は、残された膨大なメモや日記、書簡、遺稿と134人におよぶ関係者への取材という圧倒的な情報量をもとに書かれた星新一の評伝だ。

 序章は最晩年と末期の星新一の姿が描かれる。間接性肺炎が死因と伝えられている。しかし、これは「孫たちの結婚に悪い影響がでては」と危惧したための発表で、じつは口腔がんとの闘病の末だった。

 最相葉月が女性作家のせいだろうか、豊富なディテールを繊細な筆さばきで書きとどめる文体は、口数の少ない作家を描くのにベストと思えてくる。

 その後の生い立ちについても、きっちり描かれている。意外なことに星新一は旧制中学時代、作文下手といわれていた。感情を抑えた文章ならば名手といえた星新一だが、自身の感じたことを文章に表現することは生涯、苦手としていた。

 これは身内にさえ自身の苦境を語らず、どのような逆境にあっても前向きに事業に取り組んでいた父親、星一のダンディズムとどこか重なる。

 戦後まもなく、ロサンゼルスで客死した父。その後を継いで、大学をでたばかりで、借金や労働争議など、さまざまな火種を抱える会社を継いだ星新一。さまざまな人間に裏切られたというのに、そのつらさをことばにすることさえできないのは、どれほどの苦行だったことか。唯一の相談相手といえる異母兄さえ、さまざまな事情で疎遠になる。

 星新一がそんな苦悩の渦中にあったとき、本書の白眉ともいえる一説が目に飛び込む。

 そのころ――。  ひとりの青年が、神戸駅で盛大な見送りを受けていた。旗には「祝渡米・矢野徹君」とある。昭和二十八年四月、矢野徹はこのとき二十九歳。

 サンリオSF文庫とか、第二期奇想天外とか、SFアドベンチャーとか、そういうものを読んでいたり、SF大会で酒をかたむけて語る矢野さんを知っている人間なら、ここは、「おおおおおおおお!」というクライマックスだよ。

 日本にSFが根づく前の時代、進駐軍のペーパーバックを読みふけって出会ったSFに目覚め、アメリカのSFファンダムのビッグネーム、フォレスト・J・アッカーマンたちから招待を受け、アメリカに旅立つ矢野徹というのは、天竺に経典をとりにいく三蔵法師に比肩するイベントである。

 最相葉月はけっしてコアなSFファンというわけではないのだが、このタイミングで矢野徹を出すのは、ほんとうにわかっている。

 本書には毎日新聞社の石川喬司だとか、博報堂のコピーライター川又千秋など、あっさりと書かれている。だが、そういった社名つきの肩書きは自分が大学生になってから知ったものの、SFにはじめて触れたティーンのころは、ちがった。競馬も詳しいSF作家・評論家の石川喬司であり、「夢の言葉・言葉の夢」や「反在士の鏡」の川又千秋だった。どこかの社員というのはかけらも意識していなかった。

 文庫や雑誌にあえて書かれていないことだったのだ。そのような情報を守る薄皮をぺりぺりと剥ぎながら読んでいく非SFプロパーの日本SF勃興史はとにかくエキサイティングだ。

 もうね。「空飛ぶ円盤研究会」だとか、「宇宙塵」だとか、団体名はもとより、福島正実やら、柴野拓美やら、江戸川乱歩やら、個人の名前が出てくるたびに、そういった才能が集まる時代の豊かさというか、ちょっとした「水滸伝」みたいな小気味よささえあり、胸踊るものがある。仁賀克雄がワセダミステリクラブを作ったディテールまででてくるし、後半になると、さくまあきらなんて名前もポンとでてくるぞ。

 処女作を読んだ矢野徹が「天才が現れた」と江戸川乱歩に報告した星新一。その存在は、まさに日本にSFを根づかせる原動力だったわけだし、会社経営の蹉跌に疲弊した星新一にとってもSFという自分が望む居場所を得られた瞬間だったのだろう。

 「ボッコちゃん」を書き終えたとき、内心で「これだ」と叫び、自分を発見したような気分を味わった星新一は同時に、自分の居場所を開く鍵をあたえられたようなものなのだ。

 福島正実と柴野拓美とのプロアマ対立や、SFマガジンと作家が対立した、匿名座談会事件など、一つ一つ書いてある。

 初対面の中原弓彦(=小林信彦)に対して、星新一が日本探偵作家クラブ賞の選考委員だった中島河太郎に「あなたの書くものは推理小説でないからこの賞には関係ない」と引導を渡されたと愚痴ったなんて話はちょっとおもしろい。

 ちなみに本書には書かれていないが、長谷邦夫のこんなエピソードがある。

あとは「まんがNo.1」創刊準備24時間 パーティのときです。 星新一さんから会場のぼくに電話が 掛かって来ました。 「信彦来てる?」 「はい、見えてますが」 「じゃ、わるいけれど欠席するね」(笑)

 星新一は、人の好き嫌いがはっきりしていた。

 深夜になると、電話で話し合っていた相手が小松左京だ。肝胆あいてらす仲の小松左京との付き合い。その中で、印象的だったのは小松の三人目の子供が未熟児で、保育器に入って三日後に亡くなったときの電話での会話だ。

星さん、なんといったと思います? 金歯抜いたか、って。未熟児だから金歯なんてあるわけないでしょ。昔は、焼き場でとられちゃうかもしれないからといって遺体の金歯をはがしたんです。そんなこと知ってるんだこの人は、と思ってびっくりしました。だけど、それが星さんの最大のお悔やみだとわかったんだ

 すさまじくシャイである一方、空疎な常識をとことん嫌う星新一にとって、ここまでシビアなことばのキャッチボールができる相手がいる世界が、日本のSFだったのだろう。

 都会的でスタイリッシュな作品という位置づけだった星新一のショートショートだったが、やがて、小中学生の小説入門書となり、ベストセラーになる。そんな中で、SFとの距離感がどこか微妙になっていったとき、1000編のショートショートを書くという目標をぶちあげる。

 星新一は文庫の改版が出るたびに、「ダイヤルを回した」を「電話をかけた」とするなど、特定の時代を想起させるものを書き換えていく。まるで漂白するように……。

 この評伝がみごとなのは、はっきりとそういう結論を書いていないのに、自身の文字の世界の中に永遠の王国を築くために丹念に手入れをしていく星新一の行為こそ、現実の人間の世界に対して、ダンディズムの姿勢をとらざるをえなかった本人のライフワークだったということだ。

 まるで相対性理論の誕生と生身のアインシュタインの関係のように、作品と作者の関係が興味深く解き明かされていく。

 日本のSF史を振り返る意味でも重要な一冊だ。

 

※こちらのエントリーもどうぞ。

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