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【イベント】鴨志田穣 お別れの会

 午後4時にパレスホテルへ。

 西原理恵子さんのご主人にして、戦場カメラマン、フリーライターの鴨志田穣さんのお別れ会だ。

 鴨志田さんは長年にわたるアルコール中毒との闘いでこれを克服。しかし、新たな病気、腎臓癌との闘いの末、3月20日に永眠された。

 「ファン読者」の列に並んで記帳していたら、「あ、柴尾さん!」と声をかけられる。角川書店のAさんだ。Game Walkerで仕事をしていたころ以来だから、10年ぶりくらいだ。さすがに立ち話ができる場所ではないから、話し込んだりはしなかったけれど、あとでmixi経由でメッセージをやり取りしたら、西原さんの担当らしい。

 会場はものすごい人。報道によれば1250名がつめかけたそうだ。当初は200~300人程度を想定していたそうだから、その4~5倍。献花の列が途切れない。

 会場の隣室にあたる宴会場では、結婚披露宴があったようだけれど、大丈夫だったのかな?

 会場の一角には遺品や遺稿が並び、スクリーンにはプライベートな写真のスライドショー。西原理恵子さんによる献杯の挨拶のあと、鴨志田さんの兄上の挨拶。

「蒸し蒸ししてて、強い風が吹いたり、ものすごい豪雨になったり、まるでカモがいたバンコクのスコールみたいな空模様で……」と、二人を引き合わせた勝谷誠彦さんによるふたりのなれそめ話は、タイやアマゾンの写真などを見せながらのもの。

   

 平服での参列を伝えられた会場では、いかにもな略礼服の人などいなかったけれど、やはりそれなりに落ち着いた服装の人が多い。そんな中、Tシャツにカーゴパンツ、リュック姿の男の子などもちらほら。ごつごつと人にぶち当たるその汚いリュックはせめて、クロークに預けてほしかったよ。

 また、写真撮影はご遠慮してくださいといわれているにもかかわらず、会場内の有名人を見つけては、写真を撮っている人もいた。あとでmixiの日記をチェックすると……。

場内は写真撮影禁止でしたが、この写真は許可をとって撮影しました。

 なんて、書いているのんきな人もいる。写真を見ると、明らかに「場内」だし、許可をとったとか、とらないとかの問題ではないと思うんだけど……。

 挨拶に西原理恵子さんが出てくると、声もかけずに人を押しのけていく若者。遺品の展示を見るために、長蛇の列ができているのにずりずりと割り込んでいく人。スピーチで肺がんで亡くなった人のことを話しているとき、人々が密集したど真ん中でタバコを吸い始める人。

 帰宅後、mixiのコミュや日記をあれこれ読んだが「泣けました。」とか、書いている人もいたし、西原さんのスピーチでは「会場中が号泣してた。」とか、書いている人もいた。

 映画や小説で「泣ける」のはいいけど、お別れの会で「泣けました」ってのはなんだかさびしい。泣かせるためのショーみたいだよね。また、「号泣」の意味くらい辞書で調べて使おうよ。おれの見たところでは、号泣している人なんていなかったよ。

 もちろん、ここにあげた人はごくわずかだったのだけれど、おれはついつい、観察してしまうんだよね。

 ほんとにいろんな人がいたけれど、それも含めてすばらしい会だったと思う。弔いの場にはさまざまな人が集まるものだし、そのすべてが縁なのだ。そして、さまざまな人がこうして集まるこの場は、鴨志田穣さんと西原理恵子さんの魅力と包容力のなせるわざなのだろう。

 自分も含めて、西原理恵子さんの作品を通じて、故人と出会った人は多い。こうしてお別れの会にいると、そういった作品もまた現実の人と人との縁をつなぐものであることが、感じられる。

 会場では鴨志田穣さんの著書「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の東陽一監督による映画化が発表されたりした。

 高須克弥院長など、故人にゆかりのひとがつぎつぎとお話をされる。

「腕のモルヒネパッチを貼りなおしながら、"モルヒネって、いいよ"と笑っていました」と、最後の日々を語る西原理恵子さん。

    

「熱がでたので入院するとタイの穣から電話があったので、びっくりして、"あんた、エイズになったのかね"と、電話をかけなおしたら、ガチャンと切られましたよ」と、故人の母上。

「結婚相手が西原理恵子と聞いたとき、"やっとお前にも運が回ってきたな"といったら、死ぬまでそのことを覚えてましたよ」と、寿郎社の土肥寿郎さん。

 故人がアルバイトしていた「焼き鳥 田むら」のご主人は「"カメラマンになるから、カメラ買ってきたんです"と、あいつが見せてくれたのは、ハーフサイズのカメラ、SAMURAIだった」

 故人の師匠である故橋田信介さんのご夫人、幸子さんからは「橋田が教えた技術的なことと言えば、"このスイッチを押せば、写真は取れるから"だけだったおかげで、鴨志田くんは戦場に行っても大事な写真を撮りのがしてばかりでした」

 帰りには、故人の原稿用紙と、故人の遺稿や西原さんの「うちに帰りました。」という小冊子をいただく。

※こちらのエントリーもどうぞ。

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