【映画2007】ロッキー・ザ・ファイナル
ワーナーマイカルシネマズ板橋8番THXスクリーンにて、SRD鑑賞。
世の中は21世紀だというのに、なんと粗くて無骨で飾り気のない映画なのだろう。
1976年に中学生のときに見た「ロッキー」の骨格とまったく同じつくりのドラマが繰り返されているだけなのだ。それなのに、なぜ、こんなに心が震えるのだろう。
あのちんけな映画「ロッキー5」で終わったと思ったロッキーはまだ、フィラデルフィアの町で生きていて、そんなロッキーにまた会えた。
その無骨さが、不器用さが、他人に対する優しさが、そのままあのロッキーだった。
妻、エイドリアンを癌で喪い、妻の名を残した店で、客に乞われるまま、過去の試合を語るロッキー。朝は妻の墓の前で過去を回想し、夜は客の前で過去を語る。
スタローン自身も枯れているのかもしれない。今回はそれがいい形で映画になった。過去と目があえば、泣くしかない孤独の中で、ボクシングしか知らない男がボクシングという生を繰りかえしていく姿は、かつて貧しく孤独だった青年、ロッキーと重なる。
制作費は2400万ドル。いまどきの映画としては予算をかけていないが、第一作は110万ドル(当時)という超低予算映画だったのだ。
70年代末、アメリカン・ニューシネマの影響では枯れ果ててしまった映画を復権させた"ロッキー"だ。21世紀のロッキーは、時代は古びるかもしれないが、人間は古びないということを教えてくれる。
全編にユーモアや優しさがあふれている。
クライマックスの試合は、「ロッキー」世界のすさまじいモンタージュにビル・コンティの時代を超越したスコアが重なり、すばらしい。でもそれより感心したのは、試合をやめさせようとする息子との街角での対話シーンだ。老ボクサーにして父親のロッキーならではの説教だから、説得力はじゅうぶん。
気がついたら、説教だらけなんだけど、それがちっともいやみにならず、静かな感動になっちゃうんだよね。
こういうロッキーを見たかったんだよな。ロッキーはいまもフィラデルフィアで生きていることが、しっかりと伝わってきた。


