【映画2007】バベル
ワーナーマイカルシネマズ板橋6番スクリーンにてSRD鑑賞。
劇場にはアメリカ人と思しき観客が数人いたけれど、英語、スペイン語、アラビア語、日本語、手話とさまざまなことばが、奔流のようにあふれる本編で、日本語の字幕は出るけれど、英語字幕がいっさいでないのはかなり厳しかっただろう。
大変にエモーショナルな映画だ。
バベルというタイトルが明示するように、多言語の壁はもちろん、国境という壁、音と無音という壁、空域という壁、通信という壁、未開という壁、社会と人間関係を仕切る、さまざまな壁が巨大迷路のように立ちふさがり、手を伸ばせば届きそうに思える世界が、果てしなく遠く、もどかしく、狂おしい。
映画をみているあいだ、そんな壁の厚さが重苦しく感じられ、息をするのもつらいほどの緊張感にあふれていた。
モロッコで、聖書のカインとアベルを想起させる羊飼いの兄弟に一丁の銃が渡されることから悲劇が始まる。羊を食い殺すジャッカルを撃ち殺せと父親から手渡された高性能な猟銃。
アメリカ人夫婦の旅行者は夫婦仲の破綻を見せている。
東京の高層マンション最上階に住む聾の少女は、自身の肉体をやみくもに使って、人とのつながりを持とうとしている。
サンディエゴに住むベビーシッターのメキシコ人は、故郷での結婚式のために、預かっているアメリカ人兄妹をメキシコに連れて行く。
登場するすべての人間は、あらかじめなにかを失っているか、劇中で大切なものを失っていく。
あるいは、旅や事件、道具によって、自分たちのいた世界とはちがう世界を放浪していく。その世界は物理的には同じでもそこに住むものにとってまるで違うものだ。人間にとって本当の居場所はどこなのか。痛みと孤独がひたひたと迫ってくるとともに、それぞれの登場人物は生死をかけた極限状態を迎える。
「東京」のエピソードは、ほかのエピソードから比べると異彩を放っているが、まさに聖書の「バベルの塔」そのもののようなエピソードだ。高層ビルの立ち並ぶ東京の街こそバベルの塔であり、その中で、次第にことばと心がすれ違っていくさまは、まさにバベルの塔に崩壊をもたらした言葉の異なりに重なる。
そんなすれ違いの疎外感を、手話と肉体という音声以外の言語で強烈に表現する菊地凛子はすさまじい。日本人の目から見たら、女子高校生というのはちょっと無理があるような気もするけれど、なにかにつながっていたいのだけれど、だれとどのようにつながればいいかわからない焦燥と空虚をしっかり演じている。
ひとつひとつのエピソードが、細い糸でつながっているのはマクガフィンの変形みたいなもので、そこにこだわりすぎる必要はないのだけれど、言葉はちがってもエモーションは同じという象徴として、きちんと機能していた。
まいったなぁ。見終わったあと、おれもむちゃくちゃひと恋しくなっちまったよ。


