【映画2007】転校生-さよなら あなた-
新宿ガーデンシネマ1にてDTS鑑賞。
もうどうしようもないくらいに心をつかまれてしまった。後半は自分がおかしくなっちゃうかと思った
ぼくと同世代の映画ファンには、血中、大林宣彦濃度が高い人は多いだろう。「HOUSE ハウス」を「傷だらけの純情」の同時上映でみた中学3年生、「ねらわれた学園」で途方にくれた予備校時代。
そして、「転校生」という衝撃は大学1年生のときだった。
「時をかける少女」など、自分の高校生時代とシンクロしていたかのように覚えていた。まるで自分が高校のときこれを見たような記憶になっていた。いま、確認したら、1983年の作品だ。おれが大学2年のときの映画じゃないか。ちょっとめまいがした。
「さびしんぼう」は、1985年、マリオンの日劇東宝でみたときの記憶まで鮮明だ。
大林宣彦が「転校生」をリメイクすることはとてつもない事件だ。市川崑の「犬神家」リメイクにはあまり意味を感じられなかったが、舞台を尾道から長野に変え、ストーリーも大きく変わったと聞けば、駆けつけるよりほかはない。
すべてのカットは斜めに傾き、撮影のフレーム数も多様に変わる。撮影したフィルムに俳優本人がアフレコをしたかのような、リアルタイムで輻輳するかのような人称のゆらぎがみられる。
思春期の男の子と女の子の心と肉体がいれかわるという設定だが、主人公ふたりだけでなく、あらゆる登場人物のことば(=心)と肉体のふたつが、はがしかけのシールと台紙のように「ずれて」みえるこのスタイルは、大林宣彦の肉声さえ感じさせる、とてつもない編集力によって、全巻が支えられている。
尾道から長野へ。母と子が引っ越してくるJRの車内から、饒舌にして、豊穣なドラマは始まる。すべてを斜めに切り取ったカットはもちろん、居心地のいいものではない。だが、抵抗をやめたころから、この現実と幻想の狭間をたゆたうドラマを描く上で、効果的なのだ。
「はるか、ノスタルジィ」などでみられた、オールドファッションな少女趣味を思わせる大林宣彦の叙述が苦手な人には、抵抗があるかもしれないが、すわり心地のいい椅子に体重を預けるように、ぼくはこの映画が生み出す時間に、気持ちよく身を預けられた。
尾道三部作の生と性、人から人へと伝わる思い、新・尾道三部作の命と死と家族。そんなテーマの数々が、ゴンと鈍い音を立てて合わさったような作品だった。
「いずれにせよ、リメイクなんだろ」と安心しながら見ていたこちらの予想を、残酷に裏切るようなドラマだった。
もしも家でテレビで見てたら、「うそだろ!」と、画面に大声を上げたくなるような絶望を感じた。
冒頭でひさしぶりに目にした「A MOVIE」の文字が力強く宣言しただけのことはある。映画でしか見られないすごいものを見せてもらった。ちなみにその「A MOVIE」を囲むフレームが直立していることも、斜めカメラワークを考えると感慨深い。
濃密な語り口、セリフの中には説明調のものも多く、そこに反応する人もいるだろう。あらゆることは饒舌に語られているようでいて、この映画のもっとも語りたいところは上品に静かにそっと口にされ、目にするものすべてが斜めでありながら、この映画のもっとも見せたいものは、まっすぐな視線で正立していた。
25年前、映画「転校生」をみたとき、胸の中にそっと蒔かれた種子が、気づかないうちにこのように大きな実りをもたらしてくれようとは思わなかった。
25年の現実をみてきたあとで、忘れているかもしれないけれど、その25年は経験として蓄積された時間の総体なのだと、この映画が教えてくれるようだった。
ちなみに前作「転校生」では、男の子といれかわった小林聡美がスパッと脱ぎ、胸をさらすというインパクトのあるシーンがあった。
今回、時節柄、胸の露出こそないものの、蓮佛美沙子はかなりがんばっており、その身体を見つめるカメラワークでは大林健在なり! きちんと「転校生」していたし、思春期の性をふまえた肉体性があるからこそ、後半のすさまじい展開の重さが変わってくるのだ。
ラストシーンは戦慄する。あのラストからは映画の生み出すさまざまな感情のありったけが流れ込んでくる。そこへ寺尾紗穂の「♪突然にあえなくなる 明日からあえなくなる あなたとはあえなくなる 望んでも」というメロディ。
ものすごい量の気持ちがあふれてきて、エンドロールの映像が見えなくなったよ。
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