【日常】西五反田の斎場
朝10時から伯母の葬儀、告別式。
伯父とそのふたりの息子が、骨壷、遺影、位牌を手にとると、弔問客に棺の担ぎ手となる男性がほとんどいなくなってしまった。平均年齢60歳くらいの担ぎ手の中で、44歳の自分が最年少だ。
霊柩車は広尾橋交差点から外苑西通りに天現寺を抜けていく。マイクロバスで追いかける。
火葬場は西五反田の「桐ケ谷斎場」。民間の斎場だが、都会のこんなところに火葬場があるとは思っていなかった。
友引開けのせいか、斎場は大混雑だ。東京の火葬場に来たのは初めてだが、思わず「東京の火葬場は、山手線の電車と一緒で、混雑しとぉね」とか、いいたくなる。
火葬炉への口が6つ並んでいるのだが、その大部分に坊主つきで弔問客が固まっている。
感心するような段取りで、係員が黒い服の人々をを誘導する。
待合室への移動の際、エスカレーターに乗るのだが、こんなところでも「右側空け」をしている人が多かった。
仕上がりを見る。ずいぶんと散らばっていることに驚く。あとで調べてみたら、東日本と西日本では、炉の方式がちがうのだそうだ。
西日本に多い台車式は焼くのに時間はかかるが、骨はきれいに残る。東日本に多いロストル式は速やかに焼きあがるが、骨は散らばってしまうとのこと。
骨上げの段取りも九州で見たものとはちがう。驚いたのは、最初に係員が磁石で金属を吸い取ったことと、最後にちりとりのようなステンレスの道具で、すべてのお骨をさらって、骨壷に入れたこと。
これも調べてみたら、東日本はほぼすべての骨と灰を骨壷に収めるのに対して、西日本は主要な骨だけをおさめる風習の違いらしい。
骨壷の大きさも東日本は西日本の倍以上ある。弟の遺体は東日本で焼いたのだが、骨壷があまりにも大きくて、九州の墓に入れるのに苦労したと聞いた。
われわれがそそくさと骨上げを済ませて帰るころには、伯母を焼いた炉の前の名札が変わっていた。
そのまま広尾の寺にもどり、仮初七日をすませ、静かに会食。いきなり献杯の挨拶をやれといわれたりもする。ごぶさたしていた自分がやることが、申し訳ない。今日は伯父の口数も少ない。
お骨を抱えてタクシーで家に向かう伯父と従弟、男三人。
寺から伯母がいなくなると、雨が降り始めた。二日間、ぎりぎりでもっていたのに。
おれは台車式で焼かれるのか、ロストル式で焼かれるのか。
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