【舞台・観劇】恐れを知らぬ川上音二郎一座
11月22日、芸術座あとに開かれた新しい劇場「シアタークリエ」の杮落とし公演「恐れを知らぬ川上音二郎一座」を堪能する。平日のマチネーでいったのだが、会場には年配のお客さんが目立つ。
キャパシティそのものはPARCO劇場と同じ程度かと思ったが、帰ってきて調べてみるとちがった。クリエの611に対して、PARCO劇場が458だから、それなりに大きいのかな。上手、下手の横壁にバルコニー席があるのが特徴的だ。
22列ある中で、14列目の左端に座ったけれど、とても見やすかった。シートピッチは広くないが、窮屈でもなく、舞台との距離を考えると、ちょうどいいサイズだろう。
ロビーはかなり狭い。女性トイレは混雑対策で入口専用扉と出口専用扉があり、混雑を回避しているそうだが、おれは男だから、ほんとにそれがうまくいってるのか、中の様子はわからない。
劇場は地下にあり、入場時は一階の入口からエレベーターで誘導される。帰路は日比谷シャンテの地下二階にダイレクトにつながっているから、かなりスムーズに出られる。
ここからは舞台の印象。若干のネタバレがあるので、まっさらでご覧になりたい方は、お読みにならないほうがいいかも。
19世紀末、明治32年になっても舞台に立つのは男性だけで、女性は演じることができなかった。そんな時代に、渡米した川上音二郎一座から、日本発の女優が誕生する一夜を描いた作品だ。
今から108年前の明治32年。役者兼演出家兼プロデューサー兼劇団主催者の川上音二郎は、妻の貞奴や劇団員を連れてアメリカ巡業の旅に出ます。言葉の通じない異国での公演は悪戦苦闘の連続。挙句に悪徳マネージャーに金を持ち逃げされ、まさに踏んだりけったり。ボロボロの状態で辿り着いたボストンの街で、音二郎が目にしたのは、イギリスの名優ヘンリー・アーヴィングが演じる「ヴェニスの商人」。大入り満員の客席に、音二郎は決意します。「よし俺たちもこれをやろう!」そして彼らは、なんとたった一晩の稽古で、日本版「ヴェニスの商人」をでっち上げてしまうのです。観客はどうせ外人だからと、台詞もデタラメ。言葉に詰まったら「スチャラカポコポコ」で切り抜けようという、はっきり言って無茶苦茶な公演。音二郎一座、起死回生のこの舞台、果たして成功するのか? 「恐れを知らぬ川上音二郎一座」は、この驚愕のボストン公演(実話です)のエピソードを基に、明治の破天荒な演劇人川上音二郎と、彼の妻で日本の「女優」第一号となった貞との夫婦愛を描く、愛と勇気と喝采の物語です。
前口上の堺正章が、「初演から2週間、ユースケ・サンタマリアがやっとせりふを全部覚えました」と、冗談か本気かわからない発言。
堀内敬子がひどい津軽弁でなにをいっているのかよくわからない田舎娘役、堺雅人が、シェイクスピアを信奉する座付き作家役、小林隆が芝居好きの大使である小村寿太郎役、戸田恵子が緊張症の元芸者役と、それまでのイメージからまったくちがう印象の人々を生き生きと演じていた。
最初のうち、え、あれ、戸田恵子!?と、びっくりしたり、舞台が終わって、情景を反芻していても「新選組!」の源さんと、小村寿太郎がつながらなかったりした。「コンフィダント」で、伸びやかに歌っていた堀内敬子なんて、顔もよくわからないメークで津軽弁をしゃべっていて、彼女が堀内敬子だとすぐにはわからなかった。
できあいのイメージとちがう配役を無理なく当たり前に演じているのが、すばらしすぎる。
それにくらべると、ユースケ・サンタマリアは、テレビに出ている生成りのユースケ・サンタマリアだ。このユースケ・サンタマリアをどう思うかで、舞台の評価も変わってくるだろう。
貞奴を演じたのは常盤貴子だ。美しく、チャーミングなのだけれど、ほかの芸達者の中で、ちょっと印象が弱い。ユースケ・サンタマリアほどではないけれど、もうすこし、出てきてくれるとうれしかった。
そして、なによりすごかったのは、堺正章だ。八面六臂の活躍……と、口で言うにはたやすいけれど、クライマックスの笑いを一気に引き受けつつ、演技する舞台監督とでもいえそうなほど、ステージの句読点を見事につけていた。いちばん高齢な出演者であるにもかかわらず、あまりにも達者で運動量が多いので、ほかの出演陣とバランスをとるのが難しかったのではないかと思わせる。
仮定の話だけれど、ユースケ・サンタマリアの代わりに西村雅彦が川上音二郎を演じ、松たか子が貞奴を演じたら……と、思わないでもない。
もはや三谷組の常連となった瀬戸カトリーヌは、抜群の安定感。一ヶ所、ドッキリするシーンがあるのだが、女優としてそこまでやるんだと、感心してしまった。また、東京サンシャインボーイ以来の古参、阿南健治が運動量を加味する。
三谷幸喜は歴史ドラマとして、女優第一号の貞奴や、自由民権運動と行動力の川上音二郎を描いてはいない。演劇人としての三谷幸喜が地続きの演劇人としての川上音二郎一行を温かな目で見つめているのが印象的だ。
時代を超えて、芝居の力、役者の力を力強く描いている。まさに新劇場の杮落としとしてふさわしいテーマだ。
作品の冒頭。渡米前の川上音二郎の半生をダイジェストした部分では、PARCO歌舞伎「決闘!高田馬場」を思い出されるダイナミックな演出に度肝を抜かれる。歌舞伎の本を作った経験が、このような形で芝居に活かされるのかとぞくぞくしてしまった。さらに第二部のクライマックス! いよいよ演じられる「ベニスの商人」のプロローグは、映画でもテレビでも見られないもの。舞台だけでしか感じられない「圧」を全身に受けた。
土壇場の劇団が、舞台で「ヴェニスの商人」を演じるまでの経緯を見せる第一部でたっぷりの伏線を張り、休憩時間は、あれだけの伏線がいったいどのような展開を見せるのか、観客に反芻させつつ、第二部冒頭で、さらにでかい伏線を追加。
まるで、ジャグリングでいくつものナイフをお手玉しているところに、日本刀が投げこまれるくらいのテンションだ。
そのさまざまが見事に化学反応していく和製「ヴェニスの商人」開幕以降は、抱腹絶倒の展開だ。細かなしかけもあって、自分たちがいま、ボストンの劇場にいると思えてしまうよ。ほんとだから。マジだから。この「ヴェニスの商人」の部分だけでも、何度でも何度でも見ていたい。
演劇の中の演劇という濃密なメタ構造の中で、ショーに命が吹き込まれる瞬間を感じさせてくれる。第一部で、客席の全員が音二郎一座と共犯になっているから、第二部でのしかけが立体的に楽しめる。
緊張症の戸田恵子が舞台上で上がりまくる演技をすることから、目に見えない客席からの視線の圧力が、客席のぼくらに伝わってくる。
さらに(おそらく演出だと思うけれど)川上音二郎を演じるユースケ・サンタマリアが、座長であるにもかかわらず、舞台上で一言もしゃべれなくなる場面があった。真っ白になった状態だ。周囲の手助けでやっとセリフを話せるようになる。これも多くの目にさらされる舞台という特殊空間をダイレクトに理解させてくれた。
そんな舞台の上で、まるで水の中を自在に泳ぐ人魚のように、さわやかに演じる貞奴の姿が印象的となる。
笑いと残酷が交錯する「コンフィダント-絆-」というすさまじい作品を半年前に見ただけに、今作のエピローグの余韻は薄く感じられるのも事実だ。それでも困窮をきわめた劇団が再生する一夜にいあわせたぼくらがみたものは、たしかにひとつの奇跡といってもいいだろう。
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