【映画2008】ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
ワーナー・マイカル・シネマズ 板橋5番スクリーンにてSRD鑑賞。
うああ! いきなりTHXロゴのようなすさまじいサウンドが流れると思ったら、レディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドの奏でる圧倒的な不協和音のサントラだ。この映画、全体にサウンドがすごすぎる。
さらにILMが担当している油田火災のSFXなど、まさに地獄の釜を開いたかのようだ。
ハリウッド映画は……とか、アメリカ映画に浅薄な偏見を持つ人は多いだろうけれど、これぞ「市民ケーン」、「チャイナタウン」に連なるアメリカ映画の濃密な魅力にあふれている。
「ブギーナイツ」や「マグノリア」といった一作ごとにすさまじい映画空間を見せてくれるポール・トーマス・アンダーソンの最新作だ。今年のアカデミー賞では、「ノーカントリー」と競い合ったというのが、じつにおもしろい。
ともに、アメリカを舞台に純粋悪の存在をキャラクターとして見せてくれる作品だ。「ノーカントリー」のハビエル・バルデムは、映画史に残る殺し屋だったが、こちらのダニエル・デイ=ルイスも映画史に残る狂気の億万長者だ。そしてどちらも神話ともいうべき構造の物語だ。
「アメリカン・ドリームの闇を描く」とか、「石油という富によって、欲望に支配された男」だとか、宣伝文句には書かれているが、ダニエル・デイ=ルイス演じるオイルマン、ダニエル・プレインビューは物語の最初から最後まで徹頭徹尾、変ることのない虚無であり、悪である。
欲望の描写のプライオリティはむしろ低く、完全なる空虚から生まれる激情ともいうべき形を、衝撃的な形で描いている。あらゆるものが無から生まれているのだ。
それにしてもプレインビュー(見たまんま)とはよくぞ名づけたものだ。すべて目的のために構成された人間なのだ。
富というより、石油。欲望というより、油田。愛というより、パイプライン。石油以外のすべての部分が、石油のためにあるような男なのに、すさまじく魅力的なのだ。
なにに近いかと考えたら、ギャンブルの魅力に近いのかもしれない。○○を買いたいという欲望からギャンブルをする人はいない。ギャンブルの魅力はギャンブルのひりひりとした感覚にあるのだ。ギャンブルはギャンブルのためにするように。石油堀りを石油堀りのためにやる男が主人公なのだ。
作中でプレインビューは「自分は競争心の塊であり、自分以外が成功することは許せないし、あらゆる人間を憎んでいる」といっている。まず、自分がいるだけなのだ。その一方で地上げ相手の農民たちには、家族の絆を強調する売込みをかける。
オープニングから、金鉱掘りのダニエル・プレインビューが石油を掘り当てるまでの20分ほど、いっさいのセリフがない。孤独の中で山を掘る男は、どのような境遇になっても孤独なのだ。
また、ダニエルは人間とのつきあいのルールを勝手に自分が決め、そのルールに従わない人間に対して、懲罰をあたえるかのような行動に走る。作中、スタンダード石油の人間から、子どものことを触れられたとたん、異常なまでの動揺と激情を見せるのだが、その異常さの中に、血縁の欠如が浮き彫りにされる。
これもまた、魅力的だ。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」とは、「血を見るぞ」という暴力的なニュアンスなのだろうが、ブラッドを血縁と考えると、祈りにも似たフレーズに思えてくる。
自分の中のプレインビューは、意外なほど多い。
さらに新興キリスト教の存在が、物語の大きな鍵となる。石油とキリスト教って、ほんとにアメリカらしいアイテムだな。
石油掘りの空虚さを描くとともに、キリスト教の空虚さも描いているのが、ぞくぞくとする。ためにする宗教の浅ましさが、ためにする石油掘りとぶつかるのだ。ラストライン(劇中最後の一言)には、心底、興奮したよ。
