パコと魔法の絵本
ワーナーマイカルシネマズ板橋3番スクリーンにてSRD鑑賞。
監督の前作「嫌われ松子の一生」は隅々まで好きな作品である。
2年前、「嫌われ松子」DVDリリースのタイミングで、中島哲也監督にインタビューした際、「(つぎは)PGとかつかないやつ……。松子がやっぱり制限があって、子供たちが見られない話だったんで、小学生たちが見て喜べるものっていうのをやりたい」と語られていたのだが、まさに、その通りレーティング抜きで小学生が楽しめる作品となったのが、今回の「パコと魔法の絵本」だ。
大いに笑わせていただいたし、大いに泣かせてもいただいたが、そもそも「映画をめざしているわけではない」中島哲也監督らしい、映画らしくない娯楽作品になっている。
「嫌われ松子」や「下妻物語」では一代記ともういうべき、エピックめいた縦軸があったのだが、老人が究極の無垢をもつ少女の力で改心する本作は、スケッチ・コメディめいた仕上がりだ。バラエティ番組への愛情深い監督ならではの作品といえよう。
ただ、泣きも笑いもほとんどのツボが、ダイアログ(セリフ)によって構成されているのはつらかった。絵本の朗読、状況説明、キャラクター説明、パンチラインなど、ほとんどがセリフである。
妻夫木聡の演じる大人の役者になりきれない元子役を立ち上がらせるために、土屋アンナのイカレ看護婦が説得するあたりなど、直線的なセリフが直線的な演技に乗せられて、くたびれてしまう。
ヒチコックの時代から、舞台の映画化はシーンやカット構成を舞台から離そうとしてロケを増やすのは愚の骨頂というのはセオリーだが、今回もそのセオリーどおり、庭のベンチや待合室といった、キーとなるセットに関しては、まるで舞台中継のように撮っている。ちょうど客席中央においたカメラのロングショット風である。かなり舞台を意識していることはよくわかる。
また、舞台のパロディではないかと思えるほど、俳優には大芝居をさせている。怪優、阿部サダヲの活躍は目をみはるほどだ。だが、セリフの多くが説明的であるために詩情やメタファーに欠けたシェークスピア芝居のようで、居心地が悪い。
CGキャラクターと実写俳優との"競演"が話題だ。たしかにその部分の不自然さはないのだが、ただでさえ「ありえねー」というごてごてメーキャップの役者が登場するファンタジーめいた世界観の中だ。いまさらCGキャラクターが出ようが。アニメキャラクターが出ようが、驚きは少ない。異化作用はそこに生まれない。
また、記憶が一日しか持たないパコという少女の設定は「博士の愛した数式」でおなじみのもの。その設定があるからこそ、パコという少女のイノセンスが際だつわけだが、映画が終わるまで、その設定で留まったまま、展開されないのは、もったいないところだ。永遠の今日を生きる少女の"明日"、だれからも忘れられたい老人の覚えてもらう"喜び"、カーテン越しに見えたもの、下敷きにした「クリスマス・キャロル」、いろいろわかるんだけど、やっぱりすべてが浅いのだ。
中島哲也監督にはもうちょっと根深い"悪意"の娯楽を作ってほしい。