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【映画2008】映画「クライマーズ・ハイ」を解析し語る会

 2008年、最高に印象的だった映画として、洋画なら「ダークナイト」、邦画なら「クライマーズ・ハイ」が躊躇なくあげられる。2008年はぶっちゃけ、この2本を見ておけばいい。それだけで「今年の映画は豊作だったね」と、語れるほどの密度がある。

 「ダークナイト」のクリストファー・ノーランに会って話をすることは、たいへんだけれど、「クライマーズ・ハイ」の原田眞人監督なら、話をきける。といっても特別なコネを使ったわけではない。オフィシャルサイトで監督自身が自作を解析する会を呼びかけていたのだ。

 それに申し込んだのが8月上旬で、本日、その会が開催された次第だ。

 参加者は19人。八重洲のこじんまりした会議室で原田眞人監督を囲む。以前のティーチインや、監督自身のシナリオ塾参加者、掲示板での発言などをした人が多い。まっさらの参加者はぼくくらいかな。

 事前に「カッコーの巣の上で」や、「波止場」などをベースに自作を語ることを聞いていたので、そのあたりのチェックのみならず、最近の原田眞人監督作品も再見しておいた。

 午後2時から午後5時まで、途中で2回の5分休憩をはさみつつ、みっちりと話をうかがう。以下の要約は監督の話をメモったノートから、自分が再構成したものだ。

 まずは「クライマーズ・ハイ」のアカデミー外国語映画賞日本代表作落選という悲しいニュースから始まった。日本からは「おくりびと」が選ばれたとのこと。

 昨年エントリーされたのは「それでもボクはやってない」だ。だが、つぎのステップである9本のショート・リストには選ばれなかった。その理由は「これはマニュアルムービーであって、キャラクターを描いていないから」という批評にみられる。

 「おくりびと」は未見なのでなんともいえないが、アメリカの映画人から見て、"納棺師"マニュアル映画としてふるい落とされるリスクがあるのではないだろうか。

 つづいて、次回監督作の候補について……。ある人物について、やけに濃密に話をするなぁと思っていたら、それは驚くようなノンフィクションのタイトルだった。さいわいにもその作品は読んでいた。たしかにそれを原田監督が映画化すると、おもしろいことになるだろう

 その内容とからめて、自作のアカデミー賞日本代表作漏れが、日本を濃密に覆う「排外的ナショナリズム」によるものが多いのではないかということに話がおよぶ。

 「クライマーズ・ハイ」の批評でとても多かった批判がある。谷川岳衝立岩の登山シーンと、エンディング近くのニュージーランドロケは不要ではないかというものだ。

 アメリカ人記者を中心とする外国人記者クラブでの試写と対話では、日本でそのような意見が多いことに「意外」という声があがったそうだ。その不要という意見そのものの背後に「排外的ナショナリズム」があるのではないかという話だ。意識的か、無意識的かはともかく、群馬県でがんばっていた主人公が日本を去ることへの嫌悪感があるのだろう。それがアカデミー賞の選考を左右した可能性は否定できないと語る。

 つづいて、映画におけるConfrontationや内的刺激であるReflection(そして外的刺激であるSensation)を説きつつ、日本人には理解しがたい概念「Ambivalence」について……。

 英語の成句で「You can't have your cake and eat it too」とあるのがアンビバレンスの代表例だ。きれいなケーキを持ってることと、食べることは同時にできない。そして、食べるか、みるだけにするかの選択は主人公がしなければならないことでドラマが生まれる。日本人がここに弱いのは、宗教意識から生まれている。一神教的、神と悪魔の対立ではなく、八百万の神のいる国であるから、アンビバレンスの感覚が理解できない。

 また、海外で黒澤明が受けるのは、アンビバレンスをきちんと描いているためだ。さらに映画におけるもうひとつの重要なポイント、イニシエーションに話がおよぶ。それをもとに「波止場」のコンテンダーシーンや「カッコーの巣の上で」の3つのイニシエーションを解析していき、そのモチーフがどのように自作に反映されたかにつなげていく。

 「クライマーズ・ハイ」におけるアンビバレンスと2つのイニシエーションが、自然にわかれば、最後のニュージーランドのシーンや、衝立岩のシーンを余計ということ自体が映画を読みとっていないことになるのだと……。

 また、「おおくぼれんせき」や「アンザイレン」といった、聞いただけではわからない言葉を解説もなしに作中に投げ込むことに関しても、「そもそも映画の中の言葉すべてを聞いて理解できると思うほうが不自然なこと」とばっさり。「そんな説明的なセリフをちりばめていると、映画そのものからリアルさとスピードが失われてしまう」のだから。

 メタファーの面では、安西と悠木がともに持つリュックがポイント。編集部での重大な決意の際に画面内にリュックをおくことの意味。また、衝立岩と新聞社との対称。また、ブックエンドシステムとして山やキャラクターをどのように配置したかなど、周到に作りこまれたシナリオ構成を切り口も鮮やかに解析していく。

  

 原作の中で映画として使えるものは最大限使ったが、それ以外はかなりカットしたことを語りつつ、カットした理由にも触れる。また、堀部圭亮演じる田沢と悠木の見せ場がなくなってしまったことや、ラスト近くで社長に対して悠木が決めたwisecrackをカットした理由。山崎努のチャーミングな撮影秘話など、すべてがエキサイティングで楽しかった。

 3時間があっという間だった。その後、監督はシアターコクーンの「人形の家」を見に行かれたが、参加者の多くは八重洲の中華料理店で、監督の息子、遊人さんなどをまじえ、あれやこれや、さらにもう一軒、あれやこれや。

 その席でも編集を担当した遊人さんから、いろいろとうかがう。「乗客リストに子供の名前を見た悠木」のシーンに触れ、あれでは観客が、悠木自身の子供のことと混同しないかと聞いたのだが、それさえも意図的であったということなど……。

 サイト管理人のHF孔さん、HF徳さんとのお話もたのしい。ぜいたくでエキサイティングな一日だった。

※こちらのエントリーもどうぞ。

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コメント

熱くて非常に見ていて興奮しましたが、最後のシーン(外国人の親子)の意味がわかりません。何かの回想ですか?お教えいただければ、幸いです。宜しくお願いします。

■やまだ かずまささん
 はじめまして。

 あのシーンは回想ではなく"現在"です。
 ニュージーランドの牧場で悠木を待っていたのは、息子の嫁と、悠木の孫です。
 

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