【ミュージアム】1970年大阪万博の軌跡
ぼくらの世代だと2種類の人間がいる。万博にいったことがある人間といったことがない人間かだ。この場合の万博とは、「つくば博」とか、「花博」とか、「愛・ちきゅう博」ではない。1970年に大阪で開催された万博である。
1970年8月14日、小学2年生だったぼくは両親に連れられ未就学の弟と大阪万博に行くことになった。当時は山陽新幹線が開通前である。最寄の八幡駅からひとつ博多よりにある黒崎駅にいき、そこで寝台特急「さくら」に乗り込んだ。比較的ゆっくりした空間だったから、A寝台に相当する寝台車だったのだろう。
すでにシートは寝台に変えられていた。「ニャロメの万博びっくり案内」を読みながら、寝入っていたのだが、目が覚めて驚いた。ずいぶん寝たと思っていたのだが、寝台特急は黒崎駅から八幡駅まで一駅しか進んでいなかった。台風9号が九州に上陸しており、すさまじい風雨の中、乗っていた寝台特急はそこで運休になってしまったのだ。
八幡駅に降りたのだが、風雨はすさまじい。駅前にあるタクシーに聞いてみたら、「遠距離はだめだよ」といわれる。歩けば3~4分の家だといったら、「いいよ」と乗せてくれた。この日の寝台車とタクシーはともに人生最短距離利用だ。
家の前の道は川になっており、床上浸水していた。人生で最強の台風でもあった。
しかし、問題は万博である。ずっと、ごねてごねてごねまくっていたのだろう。記憶の中では1ヶ月くらいごねていたような気がしたが、最近調べてみたところ、台風来襲から1週間足らずで、大阪に行くことになった。
しかし、国鉄の切符や宿はとれず、自家用車で陸路を大阪に向かうことになった。当時、配達にも使っていたステーションワゴンの後席を寝台状に広げ、大阪に向かった。山陽自動車道はない。一般道で大阪にいったのだ。さっき、ルート検索してみたら、555キロくらいあった。両親が交代でハンドルを握っていた。
布団を積み込んだ後席で眠っていたのだが、広島だか、岡山あたりで両親が口論していたのも覚えている。それでもとにかく大阪についてほしいと願っていた。ぶち切れて九州に引き返すことがありませんように……。
両親には感謝しても感謝しきれない。
お祭り広場でおれは象に乗り、父は象と綱引きしたことを覚えている。象祭りが8月13日から20日まで開催されていたから、たぶん8月19~20日ごろだ。19日の入場者数は498,990人、20日の入場者数は479,390人だったから、呆れるほどの人の多さだ。
初日はエキスポランドから、フジパン・ロボット館経由で会場を奥に進んでいった。
エキスポランドではジェットコースター「ダイダラザウルス」に乗った。ダイダラザウルスは5本のジェットコースターが併走するいま考えてもむちゃな規模のジェットコースターである。1番と2番が、2本同時発進の競争型。3番がトンネルコース。4番が急旋回コース。5番が高速直進コースであった。トンネル好きの子供だったおれは3番に乗ったよ。乗車券の裏側には登場予定時間が乗っていたのだが、悪い子供だったおれは、ひとりで列をすり抜けていき、1時間近く早く乗って、親をあきれさせた。
みてまわった順番はあいまいだが、テーマ館、フジパンロボット館、リコー館、ブリティッシュコロンビア館、ペプシ館、サントリー館、インド館、落書き広場、モノレール、そして、動く歩道からの景色はよく覚えている。
かぎられた時間の中で、アメリカ館、ソ連館、日本館といった人気パビリオンには入らなかった。
夜になって、美しく輝くパビリオン群は、まさに未来を歩いている感覚だった。そのあと、いくつかの「万博」を見てきたが、決定的に足りないのは、あふれる色彩で輝くランドスケープだ。
宿はとれず、駐車場で寝泊りしたのだが、目が覚めたとき、駐車場の横のトイレで悲劇が起きた。汲み取りの処理が追いつかず、便器からも糞尿があふれそうになっているところで、おっかなびっくり用を足そうとしたところ、緊張で足がもつれたのか、トイレの中に足をつっこんでしまったのである。母親にホースで水をかけられたのも人類の進歩と調和の思い出のひとつだ。
たったの2日だけど、人生最大のイベントのひとつとして、いまも万博を覚えている。
あれから、39年! 国立科学博物館の「1970年大阪万博の軌跡」にいってきた。

日本館コンパニオンのコスチューム。

会場ジオラマはさまざまな角度から撮影したよ。

万博ポスター群。


日本観に展示されていたという巨大タペストリー。

会場の真ん中あたり


うおおお! いまごろは日本中を走っているはずだったリニアモーターカー。ニャロメの万博ガイドでは、日本館の目玉のひとつだった。「スペース1999」なんて、このデザインのパクリだと思っていたよ。



アメリカ館以外でも月の石は展示されていたよね。この月の石は以前、地元の「子供科学館」に巡回展示されたものと同じで、すごく懐かしかった。

日本館に展示されていた文楽ロボ。

日本館の内部モデル。


日立グループ館。TDLのスペースマウンテンに行ったとき、最初に思い出したのは、この日立グループ館だった。

三菱未来館。

サンヨー館


でた! 人間洗濯機こと、ウルトラソニックバスだ。ガイドブックで水着のおねーちゃんがこれに入っているのがよく紹介されていた。金平糖みたいなものを入れて、水流を視覚的に見せていた。

サンヨーの電動アシスト自転車の走り。このころからバッテリーにこだわっていたね。



太陽の塔とテーマ館付近のジオラマ。パビリオンとしてはほんとに楽しいものだった。フロリダのディズニーワールド、エプコットセンターのスペースシップアースにいったとき、太陽の塔の内部イメージが脳裏に広がった。


生命の樹の一部が展示されてましたよ。



太陽の塔の1/50原型を岡本太郎がリモデルしたもの。

いまでも不思議なくらいに覚えてる各種ノベルティグッズ

3月にいち早く万博に行った叔父が持ち帰ったお土産のひとつが、この迷子ワッペンだった。親用と子用を切り離して使う。これをつけて迷子になりたかったなぁ。

空中ビュッフェは、回転式タワーの中で、ちょっとした軽食を食べながら、景色を楽しむというもの。

ペナント!

万博鍋!

このカメラを修学旅行のとき、持って来たやつがいた。

ニャロメのガイドも見える!

ニセモノの月の石も売っていた。
そのほか、映像などもじっくり見てきたよ。色彩のセンスなどが懐かしく美しい。単なる技術展、物産展としての万博を、巨大なエモーションにみちた祭りの空間としたあの時代の構造の一端が見えてくる。
最後に映画「20世紀少年」タイアップの展示があったのには苦笑したけれど、それはしかたないよね。
あの懐かしい未来をもう一度体験したいものである。
※こちらのエントリーもどうぞ。

