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【イベント】見学ナイトvol.14 国道の夜 ~なぜそこに国道があるのか

 今回は客席から楽しませていただきました。

 会場には見学ナイトでもトップクラスの入場者数。ニコニコ動画では車載カメラ系の動画をアップしている方々など、アクティブな酷道ファンが集まったイベントだ。

 司会のぴろり、さんの横にいる松波成行さんはウェブサイト「日本の道」の主催者にして、書籍「酷道をゆく」シリーズの共著者にしてやDVD「酷道」の監修者である。

 ゲストの大石久和さんは、現在、国土学アナリスト・早稲田大学公共経営研究科客員教授をされているが、元国土交通省の道路局長である。日本の国道の大元締めだった人である。もうひとり、藤井聡さんは東工大の土木の教授にして交通工学のエキスパートだ。

 「酷道」とは、整備がまったくされておらず、危険な獣道のようになった道路などをいう。最近はなかなか旬なテーマである。最初はタイムリーなネタ「酷道」を「こんなひどい道、どう思うんですか」と道路官僚の元トップにぶつけるようなひりひりした展開になるかと思っていた。

 ぜんぜんちがった。

 日本の歴史やそこに住む人の営みなど、見ているものの胸を熱くさせるような「道」への思いがあふれたすばらしいイベントになっていた。

 とても有名な酷道のひとつに、青森県の階段国道がある。国道が国道である理由はかならずしも、国が押しつけたものだからではない。いまとなっては階段国道という観光資源になっていたりするのだ。

 ここから始まった話は、大石さんが近畿地方建設局奈良国道工事事務所長だった時代に管理していた名阪国道の話題にうつる。一般国道でありながら、自動車専用道路として、車両全体が高速運転している名阪国道だが、Ωカーブ区間という急勾配急カーブ地点での事故が多い、平成17年全国の自動車専用道路"10kmあたり事故発生件数"のワースト1となっているそうだ。

 なぜ、このような道路が生まれたのかが、さまざまに考察される。

 つづいて日本で4番目に短い国道177号の話。国道27号の支線として、700メートル伸び、最後は漁港で終わるというきわめて存在感の薄い国道はなぜ、生まれたのか。

 最後は大正期に生まれた軍事国道特二十號の話となる。明治以前の土木遺産は残されているけれど、大正後期から、昭和の微妙な時期の道の保存はなおざりにされている。軍事国道といえば、ローマのアッピアなど、時代の技術と資金をつぎ込んだ立派な道路を想像するが、特二十號は舞鶴市の東にある小さな道へとつながるのどかな田園の道。その道の尽きるところにある集落、成生村の味わい深いたたずまいなど……。

 最後に参加者全員のまとめの言葉があったが、道路国会などで話題になった道路特定財源の見直しに関する問題点についての熱いことばが印象的だった。

    

 また、今回会場には両親に連れられて、9歳の男の子が登場。国道マニアの彼は、国道177号などと名前が挙がるたびに、「日本で4番目に短い道だ!」などと、コールして、道路マニアのおじさんたちを和ませていた。

 たしかに酷道という視点は道の魅力の一端だけれど、それだけではない。酷道ではない国道がおもしろいのだ。道が道であるおもしろさを体感する夜だった。

※こちらのエントリーもどうぞ。

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