【映画2009】ベンジャミン・バトン 数奇な人生
ワーナーマイカルシネマズ8番THXスクリーンでSRD鑑賞。
「チャンス('79)」とか、「ガープの世界('82)」とか、「フォレスト・ガンプ('94)」とか、ひとりの異能を軸にアメリカ史を振り返る作品群がある。10年に1本くらいあるのかな。「ベンジャミン・バトン」もその系譜に連なる。
舞台がニューオーリンズというのはすばらしい。この町を舞台にした映画は多いが、デンゼル・ワシントンの「デジャ・ヴュ」や、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の舞台になったことに象徴される、過去と未来の交差する町だ。ミシシッピ川の水面、電車やフレンチクォーターといった景色が、時を感じさせてくれる。
折にふれて自分の折り返し年表を作ることがある。1962年生まれの自分はいま46歳である。では、生まれた1962年から、46を引いた年が、どんなだったかをたしかめるのだ。1916年は第一次世界大戦の真っ只中。ユトランド沖海戦やソンムの戦いがあった年である。夏目漱石が逝ったのもこの年だ。
小学生のころなんて、第一次世界大戦なんて、はるかに昔のことと思っていたのに、意外と近いものだと驚いてしまう。自分が生きてきた分、さかのぼれば、第一次世界大戦のころなんだ。ライフタイムという定規を年表にあてはめると、いろいろと楽しい。だいたい自分が生まれた1962年なんて、戦後わずかに17年だったのだ。
「ベンジャミン・バトン」はそういう線対称な人生をたどった男の一期一会を描いた作品だ。1918年、しわだらけ、耳は遠く、目は白内障で、関節は腫れた状態で生まれた赤ん坊だが、年を重ねていくごとに若返っていく。
時間逆行モチーフはディックの「逆回りの世界」とか手塚治虫の「火の鳥 宇宙編」など数多くある。個人的にはデーモン・ナイトの「むかしをいまに」なんて好きだった。「ベンジャミン・バトン」は逆行させるのを、主人公の肉体にとどめ、人との出会いのせつなさを演出するために使っている。ベンジャミンは老人ホームで育ったこともあり、究極のおばあちゃん育ちであり、人を見送る一生を過ごしている。
登場人物のバリエーションがすばらしい。ベンジャミンの家族以外に、ピグミー族の男、タグボートの船長、イギリス諜報員夫人……。なかでも、船長が最高だった。こういう船長が出てくるだけでも舞台をニューオーリンズにした意味がある。
また、上品に描いていはいるけれど、セックス適齢期を出会いのピークとした男と女のドラマでもある。肉体的若さの表現がセックス中心というのが、わかりやすすぎるのだけれど、最新のCGと予算のおかげで、若いケイト・ブランシェットが美しいばかりでなく、若いブラッド・ピットがすさまじく美しい。
ベンジャミン人生はたしかに大変だけど、ブラッド・ピットの顔がもれなくついてくるのなら、そんな一生もいいんじゃないかと思ってしまう。
ベンジャミンのように他人とちがう順番になったとしても、時間と機会の総量は平等である。ひとりの人間として生まれ、ひとりの人間として死んでいくのだ。そんなシンプルなドラマだからこそ、「これってべつにベンジャミン・バトンでなくてもいいじゃねぇか」とか「老人ホーム育ちの捨て子が、多くの老人たちの死を見取り、さまざまな病気に悩まされながら、自分の人生を歩んでいく話でいいんじゃね」と、思ってしまうのが難である。
この世に特別な人などいないというテーマであるから、仕方がないのだけれど……。
「セブン」や「ファイトクラブ」のフィンチャーとは思えない、「感動大作」である。おれは泣き虫であるから、上映中、ずっと泣いていたけれど、泣くことと映画の評価とは別である。
2時間46分の上映時間はたしかに長いが、それをさらに30分くらい延ばして、多くの人の膀胱を破裂させてもいいから、60代の心に20代の肉体を持ったベンジャミンの後半生をもっときちんと描いてほしかったよ。とてもいい映画だと思うが、それだけにもっと見たいという渇望がかきたてられてしまうのだ。
キャスト ブラッド・ピット ケイト・ブランシェット ティルダ・スウィントン タラジ・P・ヘンソン イライアス・コティーズ ジェイソン・フレミング ジュリア・オーモンド エル・ファニング ジャレッド・ハリス 他


