【映画2009】グラン・トリノ
ワーナー・マイカルシネマズ板橋3番スクリーンにてSRD鑑賞。
男なら全員、見るべき映画だ。前作の「チェンジリング」もよかったけれど、これはもう別次元の映画だ。
朝鮮戦争に従軍し、フォード自動車の組立工だったウォルト・コワルスキー。イーストウッド自身が演じている。すでにリタイアして久しい彼の妻の葬式から映画は始まる。
色調や衣装から、これって70年代あたりの映画かなと思っていたら、へそピアスをしている孫が出てきたり、携帯ゲーム機が出てくることで、現代の話だとわかる。世代と時代をうまく組み合わせた表現がすばらしい。
ウォルトの住んでいる地域はアメリカの白人労働者が働いていたのだが、最近では、ヒスパニック系やアジア系移民が増え、ウォルトは取り残された形になっている。ウォルトは老いたライオンのようだ。自分の気に食わないものを見たり、聴いたりすると、喉の奥がぐるる……と鳴る。相手がその威嚇に気がつかないと、放送コードなど、はるかに凌駕した、すさまじいことばがあふれ出てくる。
驚くべきことに、この映画、クリント・イーストウッド監督・主演映画なのに、劇場の客席からは何度も笑い声が聞こえてくるのだ。最近のイーストウッド映画でこんなに笑ったことはあったっけ? ウォルトの隣りに越してきたモン族の一家と、ウォルトとの交流がテーマなのだが、異文化交流コメディといってもおかしくないほど、笑わせてくれる。
一家には、父親がいない。祖母、母、姉と、少年がひとりいるだけだ。少年はギャングの通過儀礼としてグラン・トリノ盗難を命じられ、ガレージに忍び込むが、ウォルトがライフルで追い払う。
ウォルトのガレージで美しく輝いているグラン・トリノは1972年にウォルトがフォードで組み立てた自動車だ。自分たちの手によって作られたこの工業製品はアメリカの象徴だ。映画の中でグラン・トリノが果たす役割は大きい。
The girls go to college and the boys go to jail. (モン族の)女の子は大学にいって、男の子は刑務所にいく。
作中、こんなのセリフが二度出てくる。彼らはギャングとなって、ドロップアウトしていくのが当たり前の環境の中に生きている。
キャラクター、シチュエーション、テーマ、セリフ、そしてプロットにいたるまで、シナリオが抜群にいい。この緻密に作られたシナリオもよきハリウッド、よきアメリカ製品である。
「江戸っ子は五月の鯉の吹流し、口は悪いが腹はない」なんていうけれど、江戸っ子にかぎった話ではない。ウォルトの口の悪さを成立させるコミュニティが見えてきたとき、他民族国家であるアメリカの寛容を感じ、暖かい気持ちで震えてしまったよ。
映画のミッドポイントで、ウォルトはこんなことをつぶやく。
Son of a bitch. I’ve got more in common with these goddamned gooks than my own spoiled-rotten family. なんてことだ。じつの家族といるより、アジアの連中といるほうが、なじんでしまうなんて……。
現在、差別の対象となっているアジア系移民に、往時のアメリカを感じたのだ。もちろん、姉のスーという子がひたすらに賢くチャーミングであることもウォルとの心を溶かした理由ではある。
ウォルトが変わっていくプロセスをじつにうまく描いたシナリオは、できすぎ……といいたくなるぎりぎりのところではあるし、銃を持って自分たちの身を守るというアメリカに抵抗を感じる人もいるだろう。
だが、グラン・トリノの輝きや一生をかけてそろえていく工具、芝生の美しさ、家と街並へのこだわりなど、アメリカが誇るべき文化のディテールを見ているうちに、銃さえもその一部と思えたりもする。
終盤にかけて、あれだけ笑っていた劇場から嗚咽が聞こえてくる。劇場を出てもひとりの男の人生から生まれる深い余韻が残っている。
ウォルト自身の老齢は彼に死を意識させ、死に瀕したアメリカを象徴してもいる。しかし、肌の色とは関係なく、男から男へ、まっとうなアメリカが継承されていくのを目にすると、べつにアメリカ人じゃなくても男として胸を熱くする次第である。
アメリカでは、イーストウッド映画で最高にヒットしたのもよくわかるね。
キャスト クリント・イーストウッド ビー・ヴァン アーニー・ハー クリストファー・カリー コリー・ハードリクト ブライアン・ヘイリー ブライアン・ホウ ジェラルディン・ヒューズ ジョン・キャロル・リンチ 他
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