【イベント】孤高の天才写真家:丸田祥三 全仕事
日曜日の昼、阿佐ヶ谷Loft-Aのイベント「孤高の天才写真家:丸田祥三 全仕事」にいく。丸田祥三という作家を意識したことはなかったけれど、サイトを見ると、書店の棚や雑誌で見覚えのある画像がいくつもあった。廃墟写真家と紹介されることも多いし、むかしから、廃墟をたくさん撮っている人なのだが、いまどき流行の「廃墟写真」とはちがう目で撮っている人だと感じた。
イベントの仕掛けには、KQZさんが黒幕でいる。ていうか、のブログ彼でイベントを知ったわけである。
開始から15分遅れで会場に入ると、壇上には丸田さんとKQZさんがいる。黒幕なのに表に出ているじゃないか。
もともとKQZさんは登壇する予定がなかったのだが、焼いてきたDVD-Rの調子が悪く、急遽PCのオペレータとして登壇したとのこと。したがって進行役ではなく、話の99.98%は丸田さんによるもので、自身のプロフィールを語ったあとに、会場からの質問に答える形の2時間だった。
丸田さんは自分より2歳ほど若い東京の人で、世代的には自分と同じようなものを見てきたはずだが、見たものを残そうと意思を持って、シャッターを切ってきた人だ。
小学生のころに、「日本から三人兄弟がいなくなるから、それを撮ろう」と街中を歩き、たまたま見つけた子供たちを撮影したという写真では、長男、長女は前に出ているが、三番目の妹はちょっと後ろにいる。そういう兄弟のありようとともに、古い郵便ポストや、着ている服が生きたタイムスタンプとなっている。
過去語りでおもしろかったのは、こんなもの。
カメラ好きということで、「私のことを撮って」と、中学の同級生の女の子にいわれた。いっしょに撮影をしたが、ロングの一部で撮ったり、顔が見えてもほとんど横顔しか撮れていなかったり……。焼いた写真を彼女に見せたとき、「どうして顔が映ってないの」とか、「私のどこがいいと思うの?」とか責められ、「シルエットが……」といったとたん、卒業まで口をきいてくれなかったとのこと。彼の視点ではとことん誠実だが、不器用でかたくななエピソードだ。
最近はデジタルカメラも使うようになったが、勝手にきれいに撮ってしまうのが困るとも……。きれいに撮るのと美しく撮るのはちがうのだから。
電車や木のホーム、もうすぐなくなってしまうものをフィルムに定着させることへの意志。そして、広角レンズとフィルターワークにこだわるわけなど、訥々とだが頑なに語る姿と、背後で投影される作品がシンクロする。
この作家の仕事はほとんど知らない自分だけれど、こんな風に思う。
多くの「廃墟写真家」が死んだものを撮ることに興味を持ち、腐乱し、白骨化する"グロテスクな時間"を撮ろうとしているのに、丸田作品は電車や建物、そして人間の姿、文明の産物その背景を含めて死にいたる直前に遍きフォーカスをあてているのではないか。
ものは機能を停止し、朽ちる作用で死ぬのではない。人々が関心を失い、意識を向けることなく忘れることで、死は生じる。
社会の変化や機能の進化により、普及し偏在していたのに、社会から残そうという意思がなくなり、人の心から関心がなくなり、人の目にふれないところで死は生まれる。丸田作品はそんな死にいくものに目をかけ、生きた最後の黄昏の美を銀塩に焼き付けているのだろう。
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