【国内旅行】北九州の記憶食
記憶色ということばがあるけれど、記憶"食"ということばがあってもいいだろう。食べた経験はあるが、記憶の中で現実の味と微妙に変わってきている……。そんな回想のメニューが今回の帰省のテーマになっている。
小学校のとき、川上くんという同級生がいた。多くが中学校にそのまま進学する私立の小学校で、富山に引っ越してしまったため、疎遠になってしまったが、戸畑の彼の家に泊まりにいって、提灯祇園を見たりしたのは懐かしい経験だ。
そのときにお小遣いをもらって、不思議なチャンポンを食べた覚えがある。チャンポンといえば、太い麺というのが相場だけれど、そこで食べたのは、ラーメンより細い麺のチャンポンだった。
北九州のラーメン屋ではチャンポンを出すことが多いのだが、戸畑の細い麺のチャンポンと、八幡で食べるチャンポンとはちがうもので、「チャンポンだけどチャンポンじゃない」川上くんと論争になったのも覚えている。
インターネットのおかげで、あのときに食べたチャンポンが「戸畑のチャンポン」といわれる細く縮れた蒸し麺をつかった独特のものだというのがわかった。
いつかは食べなくてはいけないと思っていたのだが、ついにその機会ができた。
いったのは「寛太郎」という店だ。地元のテレビや情報誌だけでなく、全国版でもよくとりあげられている店らしい。
戸畑駅は小中学校を通して9年近く利用した駅だが、駅前の再開発や商店街の衰退もあり、駅から歩いている最初のうちは、記憶の中の地図と、現実とがなかなか合わなかった。
おそらく、この店に入ったことはないのだが、店に入ったとたん、すさまじいデジャヴュにとらえられた。
むかしの北九州にはよくあったタイプの店だ。
初老くらいのご主人、”おいちゃん”が中心になって鍋をふり、何人ものおばちゃんたちがそれをフォローしている。黒Tシャツの元ヤンキーが働くニューウェーブ系ラーメン屋と対極にあるような布陣である。
チャンポンに小ライスと半餃子がつくチャンポン定食を頼んだのだが、「ライスは中盛りにできるけど、どうします」と、北九州弁のご主人が聞いてくる。おれの耳は、北九州弁にチューニングされきってなかったので、一瞬、意味を取れずに、ききなおすとまた、ていねいにくりかえしてくれた。

出てきたチャンポンの見かけこそ普通のチャンポンだが、丼に箸をつっこんで、麺を出してびっくりした。ほんとに細くて縮れていて、すこし固めの麺が出てくるのだ。

せっかちな戸畑の職工さんたちに一刻も早く提供するためにこの麺の細さになったらしいが、香ばしい香りの麺の食感が楽しい。縮れているおかげで、スープとよくからまる。長崎のチャンポンと違って、魚介味よりもトンコツ系の味わいが強いが、うれしくなるのは、ぶつ切りにしたイカゲソの唐揚げが入っていること。これが絶妙なアクセントとなって、箸で麺を手繰るのがうれしくなる。
テーブルには、一味をベースにした秘伝の練り辛子があるが、これを入れると、スープが奥深いものになる。
最近、B級グルメブームで、あちこちで急ごしらえのレシピなB級グルメが増えているけれど、こうやって、それなりの歴史を持つ店が、土地の必然の中で生み出したほんとの土着グルメの味わいは格別だ。
脳内の記憶食と、味わいはすこし違ったけれど、再会は格別なものだった。
川上くん、きみとまた食べたくなる味だよ。
その後は、若戸大橋あたりまで歩いていく。昭和37年生まれの若戸大橋とおれは同い年だ。関門橋ができるまでは東洋一の吊り橋といわれ、レインボーブリッジや、瀬戸大橋などの長大橋の嚆矢となった橋である。鉄の街を象徴するように真っ赤に塗られている。
自分の原風景は「うさぎ追いし」山ではなく、ケーブルカーの走る皿倉山であり、戸畑駅のホームから毎日のように見ていた若戸大橋である。
さて、若戸大橋の足元にはいまも渡船が残り、人や自転車を運んでいる。小学校には若松から通っている同級生がいて、乗船料金が10円で、三ヶ月の定期が50円という当時でさえ、冗談のような値段だった。いまの料金は100円になっている。たった100円でも高くなったなぁという気がする。
このあたりの景色そのものが懐かしい。このあたりには若戸スポールというスポーツ施設があり、ボーリングやスケートをしたものだ。自分にとっては香港のスターフェリーより、若戸渡船のランクが高い。
わずか3分で対岸の若松に到着する。八幡駅付近から見て、若松は直線距離こそ近いもののあいだにある洞海湾のおかげで、心理的距離感はかなりある。
小学校のとき、いっしょにメタクソ団の誓いをしていた野村くんが住んでいたので、何度か通っていたが、どこが野村くんの家かさっぱりわからないよ。かろうじて生き残っているアーケード商店街も以前、歩いたはずだが、ほとんど記憶がない。
雨が降りそうなので、コンビニを探したのだが、なかなか見つからない。モバイルアプリ版のグーグルマップ情報によると、商店街周辺にはないらしい。たまたま見つけた洋品店で350円の傘を売っていたので、それを購入した。結局、本降りにはならなかったのだけどね。
めざしたのは高塔山だ。八幡に住む自分にとってのソウルマウンテンは皿倉山だが、若松区民にとっては高塔山になる。かつては商店街にあるデパートの屋上から頂上までロープウェイが通っていたそうだ。また、「糞尿譚」、「麦と兵隊」の火野葦平にゆかりの土地で、彼の文学碑もある。
東筑高校同窓会関係の画像を押さえたかったので、この山に登ることにした。頂上まで車道もあるのだが、当然のように歩いて登る。
山の中腹まで家が連なる雰囲気は、長崎にも似ている。標高はたいしたことがないので、20分くらいで展望台まで登れる。途中の火野葦平文学碑や河童封じの地蔵をチェックする。火野葦平の作品でも有名になった河童封じの伝説は、なかなかインパクトがある。
河童の二大勢力の抗争が激化した結果、河童同士の激しい空中戦が展開される。この話をきいたときに河童が空中戦をするというあたりに衝撃を受けたものだ。河童って飛べるのか。彼らの武器は糞尿である。誤爆した糞尿が田畑に落ちるし、落下した河童は緑色の液体と化し、土地を荒廃させたとい。この山上を見かねたさる高僧が地蔵に記念すること数千日、色欲や食欲で誘惑する河童たちの妨害活動をものともせず、柔らかくなった地蔵の背に杭を打ち、河童を封じたという。
河童のクゥどころではない強烈な話ではある。

ここからみる景色はすばらしい。いつも皿倉山から見ている景色とは洞海湾をはさんで反対側から見ているわけで、いろいろと興味深い。しばらく眺めてしまった。
山から下りて、若松駅へ。筑豊炭鉱の最盛期はその積み出し駅として、日本でも有数の存在だったのが若松駅だ。博多駅の駅長が、若松駅に異動した際、「大栄転」といわれていたとのこと。
しかし、現在はさりげなく寂しい駅になっている。筑豊本線の終端だったと思っていたのだが、最近は若松線とかいわれているらしい。
折尾行きの電車にのり、折尾駅で乗り換えて黒崎へ。寂しくなった市街地で撮影を済ませたあと、黒崎メイトへ。
ここでは、揚子江の豚まんを売っているのだ。北九州市の豚まんといえば、とにかく、揚子江である。しかし、覚えているあたりをいくら探しても見つからない。きいてみたら、5月になくなってしまったらしい。
まあ、小倉に行けば食えるので、いいんだけど……。
しかたがないので、「鉄なべ本店」で、鉄鍋餃子を食べることにする。鉄鍋餃子といえば最近は福岡(福岡市)あたりが、元祖でございみたいな顔をしているのだが、北九州的に見ると、鉄なべ餃子の始祖は、折尾の「鉄なべ」である。
昼に食べた戸畑のチャンポン同様、こちらの店も、おいちゃんひとりに、たくさんのおばちゃんというなつかしい布陣だ。

おいちゃんもおばちゃんもぶっきらぼうだが、餃子はうまい。かろやかで香ばしく、口の中にうまみがしっかり広がる。ついでに焼きそばも頼む。こちらも北九州らしい焼きそばだった。焼きそばの上に海苔と錦糸玉子が乗っているのが、北九州焼きそばの特徴だ。もうそれだけで、満足。

しっかり歩いて、しっかり食べ、記憶食を確認した一日でしたよ。
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コメント
懐かしかったなー。
戸畑と言えば、紫陽花と言うサテンが有りましたね。
投稿者: Anonymous | 2011年04月06日 00:09
戸畑の「紫陽花」ですか。ちょっと記憶にないです。
投稿者: 柴尾英令 | 2011年04月06日 05:48
折尾の鉄なべ餃子は本当においしかったです。
一度10年以上前に黒崎店で食べたことがありますが
残念ながらいまいちでした、
上の写真でもわかるとおり見た目でも違います。
餃子の周りに出来る薄皮の出っ張り具合が全然違います。
鉄なべは同じですが、、
若松店の方はまだ行ったことは有りませんので
何時行ってみたいと思っています。
投稿者: 通りすがり | 2011年08月27日 22:23