【映画2009】空気人形
ユナイテッド・シネマとしまえん9番スクリーンにて鑑賞。
孤独なのだ。ダッチワイフとともに生活する孤独。話し相手さえいない孤独。過食する孤独。老いる孤独。貧しさ、喪失、コンプレックス、自分が孤独であることを知っている。その孤独をもてあましている。
ファミレスで働く板尾創路が、性の相手として、話し相手として、生活をともにするダッチワイフ(空気人形/ペ・ドゥナ)が、ある朝、"心"を持った。人形は町にでて、レンタルビデオ店で働くようになる。
なんといってもペ・ドゥナがすばらしい。なにしろダッチワイフであるから、ヌードシーンも多い。裸になったときでもイナセンスな美しさがある。そうか。人形だからか。さまざまな形でのベッドシーンもある。だが、性的挿入という形でのベッドシーンよりも、ビデオ店店員のARATAとのある行為に鮮烈なエロティシズムが感じられるのが、印象的だ。
ニュアンスで描かれているように見えるのだが、ペ・ドゥナが自身の思いをタンポポに見出したり、吉野弘の「生命は」で映画そのもののテーマをダイレクトに語ったり、ためらうことなく直球に描いている。空気しか入っていない肉体で、ただ心だけが存在する。
性処理をしたあと、交接部分のシリコンから性を洗い流すシーンが二つあるのだが、こういうのは本当に心がざわめくね。
業田良家の原作を読んだのは雑誌連載当時だったから、記憶も薄くなっていたが、映画を見ているうちにいろいろ思い出してきた。
おなじ業田良家原作の映画「自虐の歌」では、浅薄な人情ものにアレンジされていた、業田良家の意思を持って裁かない慈愛あふれるリリシズムが、みごとにフィルム化されていた。
こういうのって映画「マネキン」とも近いなぁなんて、思ったりもしたが、着想そのものは「ゴーレム」や「フランケンシュタイン」に端を発したものかもしれない。ゴーレムのプラハやフランケンシュタインのスイスのように、意思を持った人形の物語は、その舞台となる土地が大切だ。
今回、隅田川を舞台としたのはじつに効果的で、リバーフロントに並ぶ巨大な墓標のような高層マンションと、薄汚れた木造マンションのコントラストが際立っていた。そのすべての空虚がよくすくいとられていたし、岩松了演じるビデオ店店長がややこしいDVDの有無を尋ねる客に対していう投げやりなセリフ「橋の向こうにTSUTAYAがあるから……。そういうのはTSUTAYAで探して」。この中に、川という境界を感じさせる技には、うなってしまった。
心が世界を知るプロセスで、水上バスのデッキに立つペ・ドゥナは美しくたおやかで、その孤独と空虚さえもいとおしくなる。ドキュメンタリー出身である是枝裕和監督の美質がこの町をスケッチする中で有効に働いていたし、リー・ピンビンのカメラがそれをゆたかに彩っている。
空気人形についた名前の「のぞみ」が、ただのアイロニーではなく、不思議な手触りとして胸に残る映画だった。 それにしてもいまの日本にペ・ドゥナに相当する女優がいないのは、残念だ。
キャスト ペ・ドゥナ ARATA 板尾創路 高橋昌也 余貴美子 岩松了 星野真里 丸山智己 奈良木未羽 柄本佑 寺島進 オダギリジョー 富司純子 他
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