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【映画2009】脳内ニューヨーク

 シネマライズ2FにてSRD鑑賞。

 「マルコビッチの穴」や「エターナル・サンシャイン」が好きで、その脚本家、チャーリー・カウフマンが自作を監督したというから、楽しみにいってみたら、つくづくひどい作品だった。ひどいというのは作品の完成度を指すものではない。なにか作ろうとして、それがたまたま仕事になってしまった人間にとって、むちゃくちゃ残酷で果てしなく憂鬱なひどい映画ってことである。

 フィリップ・シーモア・ホフマンは中年の舞台演出家の役だ。「脳内ニューヨーク」とは興行的にうまい邦題をつけたものだが、原題は「Synecdoche, New York」だ。Synecdocheは「提喩法」という意味らしいが、ニューヨーク州の地方都市スケネクタディにかけた洒落になっている。だから脳内ニューヨークといってもマンハッタンあたりではなく、ニューヨーク州の別の町が舞台なのだ。

 舞台演出家はミドル・エイジ・クライシスの真っ只中で、個性的な画家の妻との距離や肉体の不調に悩んでいる。とりわけ舞台の初日を、「締め切りが忙しい」という理由で、妻が来なかったことから、実生活と心の亀裂が大きくなっていく。

 表現者というのはややこしい。自分の作品がだれのためのものであるのか、判っていながら、判らないふりをしていることもある。

 自分のため? お客さんのため? 評論家のため? 愛する人のため?

 評論家からどれほど高い評価を得られても、初日に妻が来なかったことや、二日目に観劇した妻が期待したほどの言葉をくれなかったことが、主人公の心の飢えを刺激する。心は乾き、飢えているのに、いちばんほしいものをいちばんほしい人からもらえないというのが、ものすごいストレスになっているのだ。

 たちが悪いんだが、自分の中にある同様の性癖を考えると笑っていられないのだ。

 貧しいころのスティーブン・キングは「キャリー」を妻のために書き、貧しいころの小松左京は「日本アパッチ族」を妻のために書いたらしい。ちぇっ、いい話じゃないか。でも、書いたものを配偶者にシカトされた創作者はつらい。

 妻からは満足な評価を受けられなかった主人公だが、妻以外の評価は高かったようで、才能あふれる人しかもらえないマッカーサー・フェロー賞を受賞し、莫大な賞金をもとに壮大な舞台を計画する。それは自分を中心にスケネクタディの町そのものを再構成するという仕掛けだ。

 残酷なのは、彼が演出家であって、劇作家でなかったことだ。芝居はとりとめもなく壮大になり、稽古は終わらず、ステージは膨大な規模になり、演出家の人生とオーバーラップするようになる。合わせ鏡のように、自分と自分を演じる俳優とその俳優を演じる俳優が複雑に交差していく。

 もちろん完全無欠な才能はないのだが、劇作能力の欠如のおかげか、ふちのかけた独楽のように、不自然な軌跡を描いていく。

 アメリカの航空宇宙開発をたどったノンフィクション「ライトスタッフ」を書いたトム・ウルフは、あまりにも膨大な歴史の軌跡を描いて、なかなか執筆をやめられなかった。

「いつまで書いているの」と問う妻に「まだ、月着陸計画を書いていないんだ」と答えるトム・ウルフ。原稿をずっと読んでいた妻の「あなたの本は月に行かないのよ」という一言で、トム・ウルフは執筆をやめることができた。

 しかし、この映画の劇作家にはそんな妻はいない。気がつくと、舞台の初日はなかなか来ず、20年近い歳月が経過している。

 舞台と現実と脳内妄想とがさまざまに交差していく。まるで奈落に螺旋降下する「スローターハウス5」のように時間の感覚はくるっていく。うつ病患者の胡蝶の夢のような重苦しさだ。ここではユーモアさえ、自分を責める道具にしかならない。

   

 映画「エド・ウッド」は才能はないけれど、ジャンルが好きでたまらない創作者の悲劇を描いていたけれど、好きなことをやれるという希望があった。「脳内ニューヨーク」にあるのは才能はありながらも、いちばん、いってほしいだれかに認められない無間地獄だ。

 とてつもなく残酷でうんざりするような映画なので、ある種のひとが下手に見てしまうと落ち込んでしまうだろう。

 なんのため? だれのため? 物を作るということのうんざりするような宿業が、尻尾の先までつまっているこんな映画を撮ってチャーリー・カウフマンはどうするつもりなんだろうね。

 カート・ヴォネガットは「愛は負けても、親切は勝つ」といったけれど、創作者には「愛する妻より親切な妻」が必要な場合があるのかもしれない。

監督製作脚本:チャーリー・カウフマン 製作:アンソニー・ブレグマン/スパイク・ジョーンズ/シドニー・キンメル 製作総指揮:ウィリアム・ホーバーグ/ブルース・トール/レイ・アンジェリク 撮影:フレデリック・エルムズ 音楽:ジョン・ブライオン 

キャスト フィリップ・シーモア・ホフマン サマンサ・モートン ミシェル・ウィリアムズ キャサリン・キーナー エミリー・ワトソン ダイアン・ウィースト ジェニファー・ジェイソン・リー ホープ・デイヴィス 他

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脳内ニューヨーク  原題:Synecdoche, New York http://no-ny.asmik-ace.co.jp/index.h... [詳しくはこちら]

コメント

柴尾さんのこのレビュー読んで、興味持ちました。
考えさせられますね~。
ソクラテスや夏目漱石の悪妻を彷彿させられます。
この映画、見てみたい気がします。

>自分の作品がだれのためのものであるのか
作家って、多分自己表現しなければ、昇華できないエネルギーみたいな物に駆り立てられて、書く人が多いのかなってと思ってるんですが、だから、究極自分のためなのでしょうが、、、、評価がないと辛いんでしょうね。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は、世間や家族に評価されないことを苦しむ自分を戒める詩句らしいんですが、、、。
子育てして思うのは、子どもって、母親の評価が頑張るモチベーションになってるんですよね。
奥様の評価が気になる人は、実はお母さんに褒められたかった人なのでしょうか。
人の中には、そんなに周囲の評価を気にしないで頑張れる人と評価がないと頑張れない人とがいるのは、やっぱり母源病なのかなあって、自分や自分の子どもの中に見てしまうイヤな部分です。

>ふちのかけた独楽のように、不自然な軌跡を描いていく。
素敵な表現に脱帽です。

>ピュア
ピ、ピ、ピュア?!ですか。初めて言われました@@;

連投すみません。

■ふざけおにさん
 だれにでもすすめられる映画ではないので、恐縮です。
 上映館もあまり多くないので、
 DVD化されたとき、思い出していただければと思います。

>奥様の評価が気になる人は、実はお母さんに褒められたかった人なのでしょうか。

 少なくとも自分の場合はそうではない気がします。

 また、とりあえず外に向けて創作活動をしている人で、
 評論家、友人、肉親、対象はだれでもいいのですが、
 純粋に「周囲の評価を気にしないで頑張れる」人って、
 いまだに出会ったことはありません。

>純粋に「周囲の評価を気にしないで頑張れる」人
ごめんなさい、よく考えるとそうですよね。
結果が出なくても、地道に勉強してる子っているなあって思い当たったので、でもそれは、何かで別なことで褒められている子なんでしょう。万人でなくても、この人さえってのがあるのかもしれないし、それがすごく好きなことなら尚更、、、、でも褒められないと頑張れないですよね。

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