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【映画2010】板尾創路の脱獄王

 ワーナーマイカルシネマズ板橋6番スクリーンにてDTS鑑賞。

 日本が戦争への道を突き進む時代、難攻不落といわれる監獄を何度も脱獄し、そのたびに捕まる男(板尾創路)がいた。胸には逆さ富士の刺青、いっさい口もきかず、過酷な体罰にも屈することはない。微罪で捕まったにもかかわらず、捕まれば捕まるほど、刑期は伸びていく。彼はなぜ、脱獄をくりかえすのか。


 監督主演をつとめる板尾創路が自身を、謎めいた脱獄犯というキャラクターにしているのは効果的だ。板尾のインタビューを読むと、「パピヨン」を念頭に置いているとのことだが、その"気分"もわかる。

 ただ、「なぜ、脱獄をくりかえすのか」という謎だけで、映画をドライブさせるのは無理があった。國村隼演じる看守が彼に関心を持つという展開があるのだが、単純に関心をもつという以上のディテールがない。関心があるのなら、彼の生家を訪ねるとか、生い立ちを調べるとかのエピソードがあってもいいのだが、まるっきりない。

 では、過去が紹介されないかといえば、説明的に回想シーンが入るのだ。

 最後に「あっといわせるオチ」を見せたいつもりなのかわからないが、観客に考える手がかりさえあたえないので、「変わった人がいるねぇ」という感慨以外のものがない。

 独居房の中でぼろぼろになった板尾創路が唐突に立ち上がり、中村雅俊の「ふれあい」を歌い始めるというシーンがある。もちろん戦前に「ふれあい」はない。板尾創路がなにかことばを発するシーンはここだけなので、いったいどんな意味があるかと思ったら、なんの意味もない。これはつまり「シュールなギャグ」ってやつだった。

 関西流のシュールなギャグっておもしろいのでしょうか。これを見たとき、少なくとも松本人志映画と同列の浅さしか感じられなくなった。そういえば、「大日本人」も「ふれあい」を流していた。吉本ファンのあいだにはぼくの知らない「ふれあい」の意味があるのかもしれない。

   

 松本人志映画との相似といえば、映画館にくる観客の知性を低くみているのも同じだ。松本人志とちがって、映画出演経験の多い板尾創路なら、もうちょっとちがうと思っていたが、長尺の不条理コントのつもりで作っていたんだね。

 なにより、脱力もののオチにはとことん困ってしまった。かんべんしてほしい。これもシュールの一種なのか。人をくったつもりなのか。

 もう吉本の人は、映画にオチをつけなければいけないという強迫観念から逃れてほしい。映画にカタルシスを求める人は多いだろうが、オチを求める人はいないのだから。

監督脚本:板尾創路 脚本:山口雄大 
キャスト 板尾創路 國村隼 石坂浩二 ぼんちおさむ オール巨人 木村祐一 宮迫博之 千原せいじ 笑福亭松之助 他 
※こちらのエントリーもどうぞ。

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