アーサー・C・クラークの訃報
東京大学の助教、アリニール・セルカンは、トルコの宇宙飛行士候補にして、スキーオリンピックチームのコーチにして、8カ国語に加え、3つの古代語を駆使し、ギターも相川七瀬のライブツアーで演奏するというすさまじい人だ。
宇宙エレベータを研究する彼の原点のひとつに11歳のころ読んだ「楽園の泉」がある。
東京大学の助教、アリニール・セルカンは、トルコの宇宙飛行士候補にして、スキーオリンピックチームのコーチにして、8カ国語に加え、3つの古代語を駆使し、ギターも相川七瀬のライブツアーで演奏するというすさまじい人だ。
宇宙エレベータを研究する彼の原点のひとつに11歳のころ読んだ「楽園の泉」がある。
環境問題にまつわるウソをセンセーショナルに告発した前書には、おおむね、以下のような主張があった。
「女帝 花舞」が28巻にて完結。本屋で買うことがないけれど、コンビニの棚に並んでいると、自動的にカゴのなかに入れてしまう漫画という点で「静かなるドン」と双璧だった。
「女帝」シリーズは「週刊漫画Times」から、「漫画ゴラク」に発表の場を移していたのだが、こちらはそういったことはまるで意識せずに、読み続けていた。
星新一について知っていることはどれくらいあるだろうか。
「ボッコちゃん」など1001話のショートショートを書き、長者番付の常連だったこと。父親は大製薬会社の創業社長であり、母親は森鷗外の妹だったこと。SF作家としては、小松左京や筒井康隆と並び、「御三家」あつかいだったこと。小松や筒井のエッセイによれば、SF作家クラブの会合や旅行で、とてつもないギャグや奇行をかましていたこと。
そして、作品においては時代性や風俗性を極力排除し、きわめて平明な文体で書いていたこと。
日本の小説家の中で特筆すべきポジションにあるにもかかわらず、その私生活については、あまり知られていない。
「星新一 一〇〇一話をつくった人」は、残された膨大なメモや日記、書簡、遺稿と134人におよぶ関係者への取材という圧倒的な情報量をもとに書かれた星新一の評伝だ。
カート・ヴォネガットが亡くなった。
はじめて読んだのは、中学二年のとき。「プレイヤー・ピアノ」だった。早川文庫の翻訳は1975年に出ているので、ほとんど時をおかずして読んでいる。つづいて、「タイタンの妖女」、「スローターハウス5」と文庫刊行順に読んでいる。
あのころは早川文庫SFの青背はすべて読んでいた時代だったし、高校生のころ、東京に遊びにいった冬休み。寝台列車(「あさかぜ」だったかな。「さくら」だったかもしれない)のベッドの中で、「スローターハウス5」を読み始めたらもう止まらず、気がつくと明石のあたりだった。
1976年だから、おれは中学2年生だ。その日、クラスがざわざわしていたのをよく覚えている。アントニオ猪木とモハメッド・アリが戦うのだ。6月26日は土曜日。
半ドンの授業を終え、掃除を片付けたあと、学校からバスで戸畑駅に到着すると、試合はすでに始まっており、駅の待合室では大勢の人間が壁に設置されたテレビを見上げていた。
戸畑駅から実家のある八幡駅まで、"汽車"なら、わずか10分くらいで到着する。"汽車"は1時間に4~5本程度出ていたのかな。最長でも30分もあれば、家でテレビを見られるはずだけれど、そんな余裕はなかった。
見学ナイトのときに、開田あやさんから同人誌「ぶらりオタク旅」の8巻をいただいたのだが、すっごくおもしろかった。
とりわけ、「蒼き狼」の第二班のスクリプター、河島順子さんのモンゴル撮影日誌がすさまじかった。
「超訳」で有名なアカデミー出版の人になっていたジョン・グリシャムだが、久しぶりに新潮文庫で白石朗の翻訳。ありがたや。ありがたや。
主人公はかつてロビイストの中のロビイストとして、アメリカ政界で鮮烈な力を示した弁護士。諜報の世界を一新する監視衛星システムに手を染めたことをきっかけに、20年の刑で投獄されたが、大統領特赦を受ける。
政界のだれもが疑問に思った大統領特赦はCIAによる陰謀だった。
ああ、第一部完なのだ。1巻目の発売が2001年6月だから、半年に1冊の刊行ペースでここまで来た。
これほどデリケートで鋭利で巧みでゆるがない作品はめったにないし、なにより、ぼくはこれを単行本でまとめて読みたかったから、連載雑誌の「ダ・ヴィンチ」を買うことがなくなってしまった。
日常の中の心理サスペンスを描いているから、連載で先を読むことが怖くてたまらなかったのだ。
今年の初夏に友人の女性二人と会ったときに、連載を先に読んでいるふたりが「ああ、千花ちゃんが、千花ちゃんが……」といってたのを聞いて急いで耳をふさいだ次第。
ひさしぶりに雑誌「文藝春秋」を買ったのは、「散るぞ悲しき」の梯久美子による「検証 栗林中将衝撃の最期」が掲載されていたためだ。
1963年に小倉に生まれて、筑豊で育ったリリー・フランキーの自伝的作品「東京タワー」はもうそれだけで、居心地が悪くて、なかなか読めないんだけど、ドラマだったら、まだマシかなと、録画した19日放送文を見た。
放映はフジテレビだが、製作はKANOXだとなんで、こんなにTBSっぽいんだろう……なんて思ったら、不動産屋役で希木樹林が出てきて、ポスター前で身をよじる演出。「寺内貫太郎一家」ですか。
それだけでなく、ドラマとして、つくづく居心地が悪い。
いままで、ほかの地方の人間が、映画やドラマの方言がちがうから気持ち悪いとかいうのを了見が狭いなぁと思っていた。
取り消すよ。おれ、このドラマの博多弁テーストの筑豊弁もどきが、ものすごく気持ち悪い。
そういえば、ロフトプラスワンの「見学ナイト2」の前に、話題の反物質ものくらいは読んでおかねばならないなぁとおもい、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」を読んだ。
リーダビリティが高い本なので、文庫本3巻はあっという間に読みきれた。
飯田橋の「トラベルカフェ フィリピンTOKYO」にて、旅行作家の松田朝子さんの出版記念パーティ。
自由国民社から刊行された「旅先だとどうして彼は不機嫌になるの」を祝うもの。
旅行先では同行者との間に緊張感が高まり、トラブルが頻発するものだ。どのようなタイプの人間がトラブルを起こしやすいのか、その見分け方から、トラブルがおきやすいシチュエーションの分析、そして現実にトラブルが起きたときの対処法などを、おおらかなユーモア感覚あふれるタッチで、書いている。
旅という非日常の中で、男性は自分のテリトリーを守ろうと過剰に反応し、女性は自分が安定することを求め軋轢を生む。そういった分析から生まれるさまざまなケーススタディは読んでいても楽しく、人生という大きな旅の中での人間観察のビジョンにも通じるもので、とても楽しめた。
「うらなり」は、夏目漱石の「坊っちゃん」を、登場人物のうらなりの視点から、描きなおした小林信彦の作品だ。6月に単行本が刊行されていたのに、うかつなことに読んだのは、いまごろである。
坊ちゃんを読んだのは中学のときで記憶もあいまいだ。うらなりって、どの人だっけ? と、思い出しつつ、読みすすめた。読み進めるうちに、いろいろと思い出してきた。
ちなみにwikipediaにはこのように書かれている。
うらなり
英語教師。お人よしで消極的な性格。延岡に転属になる。名字は古賀。
これに付け加えるとすれば、マドンナはもともとうらなりの婚約者だったのだが、地方の名家であったうらなりが財産をなくすとともに、教頭である赤シャツに奪われてしまう。
mixiのあるコミュニティの管理人が、新作映画「日本沈没」を評して、「「SF映画」としてみれば/そんなにひどくなかったようにも思います。」と書いていたのを見たとき、ちょっとびっくりした。三十代前半のこの管理人と四十代の自分の思うSFは、ちがうSFなのだろう。
パニック映画や特撮映画としてというくくりならわかる。新作「日本沈没」は脚本も編集も雑だけれど、それらしい見せ場が多い映画だからね。ただ、そういうことなら、なにも「日本沈没」のリメイクではなく、かの「地震列島」のリメイクということにしていただきたかった。
「日本沈没」は刊行当時カッパノベルスの表紙に「SF小説」と書かれていた。SFと銘打つと売れないといわれていた時代にあえてSFと書き昂然と胸を張っていたのだ。
自分が十代のある時期、SFってやつはなんというか、すごいものだった。あのころのSFがなければ、現代において小説も映画もつまらないものになっていたことだろう。
ごくごく私的な話なのだが、橋本忍という脚本家の存在を教えてくれたのは、中学演劇部の顧問、高(こう)先生だった。
「黒澤明の脚本で有名な橋本忍は入院しているときに、初めて映画の脚本を読んで、こんな簡単なものなら、自分でも書けると思って、脚本家になった」
そういう話だった。映画の脚本家なんてずいぶん簡単になれるんだと、馬鹿な中学生は思ったものだ。
そのころ見ていた映画「日本沈没」や「八甲田山」、「八つ墓村」が、その橋本忍脚本作品なんて思いもよらなかったし、「羅生門」、「生きる」、「七人の侍」など、黒澤明との諸作や「白い巨塔」、「砂の器」、「私は貝になりたい」なんて卓抜な作品をみれば簡単になれるどころか、もう畏怖の念あるのみなのだが……。

その橋本忍が88歳になって、黒澤明とのつながりを軸に書き上げた自伝が本書「複眼の映像」である。
結果的に第一部を再読してから、「日本沈没 第二部」にとりかかったのは正解だった。
少なくとも登場人物のディテールと、日本というモチーフに対する視座、そして、地上に日本列島がない25年というもうひとつの現実をきちんと確認できたことはもちろん、前著からの流れで読まないと、この小説を読み通す慣性モーメントがつかなかったのだから。
第二部は小説としてかなり厳しいところがある。
ネタバレありです。
新作映画「日本沈没」に関しては、知人のmixi非公開日記の一節が深くつきささる。
映画そのものは、原作とそれを踏襲した前作映画で描かれていた日本(救出の主体と対象としての日本)が、この30年で沈没していたってことがよくわかるつくり。
なるほどとうなずいたのは、小説「日本沈没」を読み終えたから。
樋口版「日本沈没」には「沈没」がないし、「日本」もない。
自分は心のどこかでこれを一種のディザスター小説というとらえ方をしていた。その不明にくらくらする。かつてカッパノベルスの表紙に書かれていたように、これは「長編SF小説」なのだ。
小説としては破格だけれど、ディテールにいたるまで、「直感とイマジネーション」にあふれている。
一方「舞姫(テレプシコーラ)」の最新9巻だ。
コマギレではなく、単行本でまとめて読みたいために、連載中の雑誌「ダ・ヴィンチ」が読めなくなってしまった。
少女漫画で好きなのは「のだめカンタービレ」とこの作品だけれど、どちらも主人公を中心とした登場人物が、自分がやっていることを疑問の余地なく好きでいる心地よさがある。
とりわけ「舞姫(テレプシコーラ)」は、そのまま本を閉じるのが惜しく、何度も何度も読み返してしまう。
キャバクラにはいったことはなけれど、銀座の素敵なお店をよくご存知の西上心太さんが読後、「キャバクラに詳しくなった(笑)。」と書かれ、「キャバクラに造詣が深い、マイミクの柴尾君の「目的」は奈辺にありや。」と、問いかけをされた作品が「黒い太陽」である。
もともと湯船につかりながら、本を読むのは好きだった。風呂では本を読むために明るめの照明をつけているくらいだ。今回、レーシック手術を受けた恩恵のひとつに、風呂読書の充実がある。
定期的に曇りを取らなければならない眼鏡や、浴槽に落っことすことがこわいコンタクトレンズにくらべて、裸眼は楽だ。最近は思う存分、風呂読書。
雑誌や文庫を読んでもいいのだが、湯気や湿気を吸って、くしゃくしゃになる。じつはハードカバーの上質紙が、いちばんくしゃくしゃにならずに、安心して読めたりする。もちろん、濡れた手でさわらないように、タオルを3枚くらいもって、風呂に入るんだけどね。
バスソルトを落としたぬるめのお湯につかりながら、塩野七生の「ローマ人の物語」の最新刊「キリストの勝利」を読む。
シリーズの最近2冊ほどは、かなり期待はずれなものだった。前巻「最後の努力」は、「作者が「ひと」に対する興味を失っているのかもしれない」とmixiで評し、「かつてハンニバルやカエサル、アウグストゥス、といった人物を描いたときの瑞々しさは失せ、愚痴めいた記述と、繰言のような描写の反復が目立つのが残念ではある。」と、書いた。
しかし、今回はちがう。抜群におもしろいのだ。
世間には、半分誉め半分けなすことをモットーにしているのではないかと思う人がいる。この種の人は、この奇妙なバランスをとることで、責任を回避しているのだ。言い換えれば、勇気のない人である。コンスタンティウスも、このタイプの人間の一人だった。
などと、人間の心性をくっきり描写する塩野節が帰ってきた観さえある。
今回登場するのは、結果的に父、コンスタンティヌスの遺志を継ぎ、キリスト教を支援したコンスタンティウス帝、キリスト教に対し、最後の抵抗を試み、ローマの神々の再興をたくらんだ"背教者"ユリアヌス帝、そして、キリスト教をローマの国教とすべく、その力をふるったミラノ司教アンブロシウス。
自分の意に染まぬものをつぎつぎと抹殺し、その挙句に帝国統治さえも困難にしてしまったコンスタンティウスと、宦官たちの暗躍。そして、哲学の徒として生き残り、皇帝としてキリスト教に抵抗したユリアヌス。
このあたりは、辻邦生の「背教者ユリアヌス」でも描かれた歴史絵巻だ。そちらも30年くらい前に読み、ディテールは忘れていたものの、鮮烈な印象を受けたものだ。
ゲルマン出身の皇帝がキリスト教に帰依し、ローマの神々が抹殺されていくさまは、それだけでもたいへんにメランコリックなものだが、さすがは塩野七生。叙情に流されず、当時の人々がキリスト教になびいていくプロセスについても、深くて、くっきりした洞察を見せてくれる。
やはりユリアヌスという逸材が、まな板の上に乗ると、筆もさえるんだなぁ。
この手の本のレビューを書くと、ローマ人の名前が覚えにくくて……などと、言われることが多い。たしかにローマ人の名前はとても覚えにくい。コンスタンティ"ヌ"スとコンスタンティ"ウ"スなんて、なんで、そんな名前をつけたかといいたくなってしまう。
でもね。塩野七生のテキストは巧みで、文脈でだれがだれだかわかっちゃうんだよね。これはほんとにすごい。1年もすれば、だれがだれだか、かなり忘れているのは事実だけど、それもまたよし!
あまりにもおもしろくて、風呂に入ったのが午後10時30分。風呂から出たのが午前2時40分だったのは、ここだけの話だ。
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ちょっといろいろあって、小説を読まなければいかんのだが、それにしても、これぐらい鋭利な作品集だと、途中でやめるつもりが、くあっとえぐられて、がりっとくらって、徹夜しちまう羽目になる。
シオドア・スタージョンの短編集「輝く断片」だ。
最初の三本……、「取り替え子」、「ミドリザルとの情事」、「旅する巌」あたりは、おもしろいけが、散漫な印象もあったのだけれど、つづく「君微笑めば」あたりから、俄然おもしろくなっていき、「ニュースの時間です」で、ぶんまわされ、「マエストロを殺せ」で一度死に、「ルウェリンの犯罪」で泣かされて、「輝く断片」で、二度目の死、そして、止めを刺される。
SF色は薄く、ミステリ色の濃い作品を集めたというふれこみ。もうジャンルや格好はどうでもいいや。
読み終わって、「輝く断片」の圧倒的なイメージと叫びや、「マエストロを殺せ」の奔流のようなサウンドと苦悩をシャットダウンできなくて、困る。
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おお、沢木耕太郎の長編ノンフィクションは久しぶりだ。ふーん。今度は山の本なの……と、気楽に読み始めたんだけど、これはやられた! 軽く読むつもりが、そのまま、最後まで読みきっちゃったよ!
「深夜特急」、「壇」の沢木耕太郎の最新作が「凍」だ。世界的なアルパインクライマー山野井泰史・妙子夫妻が挑んだギャチュンカン北壁の壮絶な登攀に精緻なフォーカスを当てたノンフィクションだ。山野井夫妻について、ぼくはまったく知らなかったのだが、読書を通して、この濁らない生命に触れられたことは、えがたい体験だ。
新田次郎、佐瀬稔、夢枕獏、村上もとか、谷口ジロー、石塚真一……、小説、マンガを問わず、クライマーものは傑作の宝庫だが、その中でもこの一冊は燦然と輝いている。
陳腐な感想を許さない、凍てつく美しさがある。淡々とした文章に見えて、千年の建築を支えるかのような精度があるし、感情的なことばをいっさい廃しつつ、すさまじい感動をあたえてくれる。
アルパインクライマーは、最小限のチームと装備で、短期決戦で山に登る。その最小限の装備の中には、酸素ボンベもないし、山野井の場合はトランシーバーさえ、持つことを拒む。
読後、山野井泰史で検索したら、本人のページがあった。
ギャチュンカン登山についての一部を引用する。
(以下、いっさいのネタバレがいやなら、お読みにならないほうがいいけど、本書の描写はこれを読んでもゆるぐことはない)
10月5日 BC出発 スロベニア・ルート取り付き付近(コックがABCと表現している)。6日 50~60度の雪壁に時々岩壁が混じるルートで、1ピッチ以外はノーザイルで登る。7000mでビバーク。
7日 昨日同様のルートをノーザイルで登る。7500mでビバーク。
8日 雪時々晴れ 妙子不調のため、約7600m地点でこれ以上の登行を断念(この先さらに傾斜が増す)泰史単独登頂後妙子と合流、ビバーク。
9日 雪。前向きで下降出来ない傾斜をノーザイルでクライム・ダウン。7200mでビバーク。
10日 雪。スタカットで下降を続ける。泰史が先に下降し、妙子を確保、後5mで泰史のいる地点で妙子が雪崩に飛ばされ、頭部が下になった状態で、50mロープ一杯で止まる。左手の手袋は雪崩で失い、左手は瞬時に白色になった。この墜落で頭部右側と右肩、右ひじなどを強打、頭部は約8cm切れる。
この墜落後、左眼が見えなくなる。もがいて体制を立て直し上部を見ると、ハング気味の岩にロープがこすれて外皮がとれ、芯も幾筋か切れている。泰史が妙子を引き上げようとロープを引くが、ロープは今にも切れそうで、大声で引くな!と叫ぶが聞こえない様子。妙子はロープをはずし、少し右手の雪壁(氷壁?)にアックスとバイルを打ち込み、次の雪崩にそなえた。
ロープの加重が無くなり、妙子がロープをはずしたことを知った泰史は、妙子と合流しようとピトンを打ってシングルロープで妙子の所に下降し、無事を確認して泰史が登り返している時、二度雪崩が発生、眼を傷つけられたらしい。ロープの始点に辿り着き、そこから懸垂下降をしようとしたが目が見えず、手袋をはずして手探りでリスを探し、リスに合うピトンを打ちながら、妙子の声のする方向へ3ピッチ降り妙子と合流。その近くの腰掛けられる程度の狭いスペースでビバーク。
11日 泰史の左眼は回復したが妙子が両眼とも見えなくなり、かなりの時間をかけて取り付き付近(ABC)まで下降。
これ以降は読んでもらうしかないのだが、純粋にひとつの目的のために生きる夫婦の姿は、格がちがうとしか、いいようがない。
「このまま眠ったら死んじゃうかな」 妙子がつぶやくように言った。こんなに寒くて、何も食べていない状態では、ひょっとして死ぬこともあるのかなというくらいの軽い気持ちだった。だから、続けた。 「そんなに簡単には死なないよね」 死ぬ人は諦めて死ぬのだ。おれたちは決して諦めない。だから、絶対に死なない。 「うん、死なない」
| 凍 | |
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太平洋戦争の激戦地、硫黄島。5日で終結すると思われていた戦いは36日におよび、死傷者の数では米軍の損害が日本軍の損害をしのいだ。
ちなみに現在、クリント・イーストウッドが撮影している映画は、この硫黄島での激戦を描いた「Flags of Our Fathers 」だ。
米軍を恐れさせた陸軍中将栗林忠道は、36歳から38歳までの3年間をアメリカで過ごした陸軍きってのアメリカ通だった。
本書「散るぞ悲しき」の口絵には、家族との手紙がふんだんに掲載されている。留学先のアメリカから幼い長男に送った手紙には、シボレーのパンフレットからコラージュされた写真に自身の姿のイラストが入り、まるで絵本のように文字が載っている。
「太郎君へ 御父さんは今度 こんないい自動車を買うたの 坊がいればいくらでも乗せてやるのだがな」
下宿先のバッファローをあとにワシントンに向かう際の手紙には、タクシーに乗りこむ自身と手を振って見送る人々を優しいタッチのイラストで描く。
バッファロの下宿のおばさんや近所のおばさん達がみんなして 御父さんが帰ってしまうのを惜しがっているところです 御父さんはそれ程みんなに好かれていました
その目でアメリカを見、その耳でアメリカ人の言葉を聞き、その口でアメリカ人と話をした栗林が、アメリカ人を殺し、アメリカ人から殺される地に赴くのだ。
作品は、ほかにも硫黄島着任後、残してきた妻子への慈愛に満ちた書簡などを中心に構成している。
全滅必至のアメリカの攻撃前、飲み水にも事欠きつつ、塹壕を掘る苛烈な日々の中で、自宅のお勝手の隙間風の防ぎ方をていねいに指示したり、風呂の湯垢の効果的なとり方を「伊東家の食卓」のように指示したり……。
上品なテキストとあいまって、いたるところが泣かせどころ。ほんとうにいい本だ。女性作家の作品だけあって、男性作家による戦記もののように滅びの美学におぼれることなく、事実をひとつずつ語っていくのが、好印象である。
ただ、その一方で栗林忠道の人格がいかに生まれたかなどの取材が足りない。
自分で車を買って、アメリカ横断をしたなどの断片的なエピソードは紹介されているものの、アメリカ留学時代など、こういった作品を作るうえで、大きなバランスと成るべき部分のウェイトが軽すぎるのだ。栗林忠道への作者の愛情は濃厚に感じられるものの、人格に対する批評が弱いため、作品全体が平板になっている。惚れすぎたのかもしれない。
それでも思考停止的に戦争=悪として非難することはなく、単色の色眼鏡で見ていないから、これだけの極限状態で人はこれほど誇りたかく生きられるのだという感動はきちんと存在する。
栗林中将の生の絵であれば、文庫「「玉砕総指揮官」の絵手紙」
それにしても、硫黄島の戦いってば、R・A・ハインラインの「宇宙の戦士(スターシップ・トゥルーパーズ)」を裏から見たようで、読んでいてほんとうにつらい。
島中に張り巡らせた地下トンネルの中から、敵の裏をかくように出撃し、攻撃するのは、そのまんまアレクニド(蜘蛛型エイリアン)の戦法だ。
ハインラインが創作にあたって、硫黄島の戦い(またはペリュリューの戦い)の日本人を念頭においていたのは、確実だし、日本人としてはモビルスーツとパワードスーツがどうのこうのなんて対比をするより、このあたりをきちっと受けとめて語ることの方が大事でしょう。
高校時代に、いまはなきアバロンヒル社のウォーゲーム「宇宙の戦士」をよく遊んでいたのだけど、そのゲームでもアレクニド側のプレイヤーは、人間プレイヤーに隠れて、地下トンネルをデザイン。おたがいに裏をかきつつ、戦っていたものだが、あのころは硫黄島のことはあんまり知らなかった。知ってたら複雑な気分だったかもね。
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地球が温暖化しているという確実な証拠はない。
もし、地球が温暖化されているとしても二酸化炭素の増加との因果関係は未だに証明されていない。
え? ほんとなの? 本書は環境に関して"常識"とされているものを軽やかに打ち砕く、エンターテインメント作品である。
マイクル・クライトンとの付き合いは長い。「アンドロメダ病原体」から読み始め、「スフィア」、「ジュラシックパーク」、「ディスクロージャー」、「タイムライン」……など、ほぼすべての作品を読んでいるだろう。
好きな作家かといえば、ちょっと微妙だったりする。クライトンの作品を"小説"というには、抵抗があるのだ。
「ER」に通じる医療ネタと、アンドロメダに通じる研究所封鎖ネタと、「ウェストワールド」に通じるテーマパークの恐怖ネタ。この三種類のバリエーションを、入れ替わり使っている印象が強く、ステレオタイプなキャラクターづくりとあいまって、おれの中の"文系"の部分が、NOというのだ。
最新のテクノロジーに対する着眼点は感心するし、ジュラシックパークのようにそれを映画化したときの効果も熟知していると思うのだが、映画のためのプロットを読まされているような気もする。
なんかね。小説として読むには浅いんだよ。
「恐怖の存在」もそんなクライトンらしさがあふれた作品ではある。あるんだけど、これが抜群におもしろかった。
プロットの主軸は環境テロリストとMIT危機分析センター所長との戦いになる。
動物の権利を主張するため、アリゾナ州でマクドナルドを焼き討ち、コロラド州では建設中のホテルに放火、ミシガン州では森の木々を釘だらけにしたり、環境問題を叫んで、テロ活動を行う団体は実在するそうだ。
「恐怖の存在」の環境テロリストはさらにスケールが大きい、南極では、断面が数キロに及ぶ巨大な氷山を分離させようとしたり、アリゾナに集中豪雨を起こしたりと、地球温暖化を印象づけるために、さまざまな手を使っていく。
その凶行を防ぐため、主人公たちは世界中を飛び回るのだが、ほとんど007映画のノリである。
クライトン節ともいうべきご都合主義が横溢しているし、最終的な敵の存在にはちょっと疑問が残る。読み方によってはカタルシスのないエンディングともいえるのだが、それでもおもしろいのだ。過去のクライトン作品すべてとくらべてもトップクラスといえるだろう。
そのおもしろさの多くは、小説の形を通して、語りかけるクライトンの主張から生まれる。地球温暖化、南極の氷が減っている、海面の水位の上昇しているなど、既定の事実だと思っていたことが、疑うべき仮説に過ぎないと思う脳内パラダイムシフトは、快感なのだ。
ぼくらの世代は、五島勉イデオロギーに支配されている。1999年7の月に恐怖の大王がやってくることを前提に生きてきたし、環境は未来に向けて悪化していき、地球は危機に陥っていると、考えるようになっている。どちらかといえば、怖い未来を想像するように、脳髄に溝が刻まれている。
「ハリケーンの被害は京都議定書を批准しないアメリカにとって皮肉な結果だよね」とか、いってきたし、「福岡に地震が多いのは、新しい地下鉄の路線が活断層を刺激したからだ」とか、聞いてきた。
未来を悲観することから生まれるものは、不安や恐怖だ。そして、その不安や恐怖から生まれるものは浪費と疲弊だ。
「地球環境を救え」というデマゴーグに容易に乗ってはいけない。その思いこみこそが、地球環境の悪化を加速させるかもしれないのだ。美辞麗句でも大義でも盲信に未来はない。
リテラシー(読解力)のありようこそが、この作品のテーマであり、60歳を過ぎたクライトンが次世代に託すメッセージなのだろう。
「地球環境を守ることは絶対的な正しいことだし、そのために行動すべき」というのは、"絶対的"にという思い込みによる思考停止をともなっているからこそ、あやしいのだ。
そのクライトンの主張は本書のクライマックスでだれが殺されるのかを見れば、明確になる。
いやほんとにおもしろかったよ。
読んでて思ったんだけど、クライトンの小説って、よくできた「学習まんが」なんだね。「マンガ人間のからだ」とか「マンガ天気のすべて」とか、お勉強させたいことが最初にあって、そこにストーリーをつけたような作品ばかり。さしずめ本書は「マンガ環境問題を疑え」でしょうか。
破格の小説だけど、知的な興奮が横溢している。とてもよく学習できました。だから、いいんだろうね。
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「回想のビュイック8(上・下)」スティーヴン・キングの邦訳最新作である。帯には「ホラーじゃないキング!」だとか、「グチャグチャホラーは好きじゃない」方にお薦めだとか、書いてあるが、嘘っぱちである。
これはホラーといってもいい作品であり、クトゥルー・テーストのごとき、とびきりのグチャグチャ描写もたっぷり堪能できる。あれやこれは「ダーク・タワー」からの出張なのかな。ちなみに一部の話によれば、G・A・ロメロ監督による映画化が準備中だそうだ。
「国際テロ」は、「レッド・オクトーバーを追え」、「いま、そこにある危機」など、かつてハイテク・スリラーの旗手といわれたトム・クランシーの最新作だ。
CIAの分析官から大統領にまで昇りつめたジャック・ライアンは、まったくといっていいほど、登場しないのに、本書の主要登場人物一覧では、最上位に紹介されている。
新潮社が本書をジャック・ライアンシリーズとして売りたいのはわかるけれど、端的にあざとい。
本棚バトンとかもあるようだけど、これは「バトン(読書編)」なのね。mixiで受け取ったバトンをこちらの方にコピー。
■自分が所有する本の冊数: uncountable!
これはまったく見当がつかない。実家にあるのとか入れると、漫画をのぞいて、1万くらいは軽くあるのではないか。
ちょっとした期間、海外に行っていると、久しぶりの本屋での買い物が増えるね。とりあえず、漫画を中心にあれこれと購入。
「からくりサーカス(37)」藤田和日郎 小学館
「プライド(4)」一条ゆかり 集英社
「王様の仕立て屋(6)」大河原遁 集英社
「大使閣下の料理人(22)」西村ミツル・かわすみひろし 講談社
「狼の星座(3・4)」横山光輝 講談社文庫
映画秘宝 7月号
午後7時過ぎに池袋西武のWAVEでCDを買い、LIBROで本を買う。ということで、ひさしぶりにリストアップ。
●本日購入書籍
「神狩り」山田正紀著 ハヤカワ文庫JA
「神狩り2 リッパー」山田正紀著 徳間書店
「医師がすすめるウオーキング」泉嗣彦著 集英社文庫
「ヒトはなぜペットを食べないか」山内昶著 文春新書
「なめこインサマー」吉田戦車著 太田出版
「世にも美しい数学入門」藤原正彦/小川洋子著 ちくまプリマー新書
「本音を申せば」小林信彦著 文藝春秋
「季刊 旅行人」春号
「地球の歩き方リゾート ラスベガス」
「地球の歩き方 ロスアンゼルス」
「裏モノJAPAN」6月号
30年前、中学生のころに熱く「神狩り」を読んだものとして、やはり「神狩り2」は読まねばならないのだが、肝心の「神狩り」の話をまるっきり忘れている。あわてて前作も購入。
「世にも美しい数学入門」は敬愛する数学者、藤原正彦と「博士の愛した数式」の小川洋子の対談集。
「地球の歩き方」はなんだかんだいってもつい買ってしまう。「地球の歩き方リゾート ラスベガス」は5年くらい前の版をもっている。一方、「地球の歩き方 ロスアンゼルス」だが、考えてみたら、「西海岸」は買ったことがあっても「ロスアンゼルス」は買ったことがなかった。
「カジノのイカサマ師たち」リチャード・マーカス著 真崎 義博訳 文春文庫
日本ではパチンコ、パチスロ、競輪、競馬……。ほとんどのギャンブルをやらないおれだが、mixiでは、「ラスベガス」コミュの管理人をやっているくらいだから、海外のカジノは好きである。
ハイローラーとはとてもいえないが、ラスベガスの巨大ホテルでブラックジャックや、クラップスを通してなされる、ある種のコミュニケーションが好きなのだ。
そして、映画といえば、「スティング」や「グリフターズ」など、だまして、だまされて、まただますコンゲームものが上映されると、万難を排して見にいっちゃうおれだ。
「続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ、家族、そして私」中島義道著 中公新書
33歳にして、哲学科の博士号をめざす私費留学生として、ウィーンにおもむいた筆者が、直面したのは、高慢、偏見、頑迷かつ排他的なヨーロッパ人との戦いであった。
アジア人がなんらかの失敗をするとまるで犬を叱りつけるように高圧的な態度で教え諭すヨーロッパ人。路上で公園でレストランで、東アジア人を見かけると「チャンチュンチョン」とはやし立てる子供たち。非能率的な大学事務局。授業中、間違っていてもそれを認めず、でたらめな解答を延々としゃべる学生たち。理不尽なことばかりいう大家。日本文学の授業中、「源氏物語は世界最古のロマーン」であると説明するや、それを認めたくないがために「ヨーロッパにもそれに匹敵する失われたロマーンがあるはずだ」と根拠もなく食い下がる学生。
「歴史学は意識を解放するための方法でなきゃならないんだよ。よく知りもしない相手に自分の常識を押しつけるのは、絶対によくない。ぼくは今日の常識が明日の非常識に変わってしまう光景を何度も目撃してきたからね。今日の常識に依存して歴史を解読しようという君の態度は、ぜんぜんいただけない」
網野善彦という歴史学者が歴史に対してどのような態度で接していたかを端的に示した本書の記述である。
本書は宗教学者、中沢新一が義理の叔父にあたる歴史学者、網野善彦に捧げた、真摯かつ驚きに満ちた追悼文だ。