1 ラ・パス――犬に吠えられ高山病になる
南米ボリビアの
事実上の首都(憲法上の首都は別にある)ラ・パスは、
標高3650mです。
首都としても空港所在地としても世界最高峰です。
3650mといえば、富士山よりまだ300m以上高く、
わたしがこれまでに登ったことのある最高峰、剣岳よりも
600メートル以上高いわけで、これは侮れません。
普段、低い標高で生活している日本人が、
いきなり飛行機でラ・パスに降り立つと、
3人中2人までが(症状の差こそあれ)、
高山病にかかってしまうのだとか。
案の定、空港についてしばらくすると、
なんとなく頭がぼけたような気がします。
ただ、シアトル、マイアミと2回の乗り継ぎを挟んで
およそ20時間のフライトの後だったのと、
出発当日も午前中に証人尋問があって忙しく
3時間睡眠だったのとで、
時差ぼけなのか、高山病なのか実はよくわからん状態でした。
到着当日、体力にまかせて元気に動いた人ほど、
高山病の症状は出やすいのだとの説もありましたので、
わたしも初日は、慎重に、
あまりハードに動くまいと心に決めていました。
ただ、ラ・パス到着が早朝6時ですから、
とりあえず、旅行会社の開く時間まで、
眺めのよいところにでも行っていようと、
ガイドブックに載っていたライカコタの丘というところへ
タクシーで乗りつけました。
ところが、このライカコタの丘、
タクシーの運転手に騙されたのではないかと疑ったほど
貧弱な場所のうえ、
入口に鉄線が張られていて、立ち入り禁止のような感じです。
かまわずに鉄線を乗り越えて入っていると、
中からやってきた犬の散歩風の爺さんが、
何やらわたしに、入るな、やめとけ、と言っている様なのですが、
スペイン語なのでさっぱりわかりません。
「あんたも入っとるやんけ」と突っ込みをいれつつ、
どんどん奥へ進んでいきますと、
うらさびれた遊園地の廃墟のようで、
およそ観光客の来そうなところではありませんし、
眺めもさほどよくありません。
不良でも出るのかしらん、でもこんな朝早くだしなあ、
などと考えつつ歩いていると、
野犬が一匹、猛然と吠えついてきました。
と、見る間に、一匹が、二匹、三匹と増え、
近づいてきて噛みつきそうな勢いです。
こちらが威嚇すると(蹴りを入れるまねとか)
ちょっとひるんで退くのですが、
すぐに戻ってきて食いつきそうにします。
多勢に無勢、これ以上囲まれてはたまらんと思い、
ときどき威嚇をくり返しながら、もと来た道を走って逃げました。
犬に追いかけられて逃げたのは、
子供の頃以来、30年ぶりくらい。ひさしぶりの経験です。
犬は、丁度入り口の鉄線のあたりで、引き返していきました。
どうもここは、彼らの縄張りになってしまっていたようで、
さっきの爺さんは、野犬がいるから危ないぞ、
と、たぶん教えてくれていたのでした。
でも、あとの祭り。
慣れない高地で走ったのですからたまりません。
息切れと疲れがどっと押し寄せ、頭も痛くなってきました。
ボリビアのサッカーチームは、
ホームグラウンドで試合をするときは絶対負けないそうですが、
たしかにうなずける話です。
それで、その日は、北方の低地で気候の穏やかな
ユンガス地方のコロイコ(標高1750m)へ向かい、
高山病を癒すことにしました。
コロイコへは、ミニバンで3,4時間の行程です。
ところが、途中、4600mのユンガス山頂近くを通過するため、
高山病はさらにひどくなり、頭から血の気が下がる思い。
おまけに、ユンガス地方の天候は雨で寒く、
道は狭くて悪く、転落事故で年間200人もの死傷者が出るという
断崖絶壁を縫うように進んでいきます。
しかし、おかげで標高1750のコロイコへ降りてきたときには、
高山病の症状は面白いように癒えていました。
(これで妙に自信をつけてしまったため、さらに悪い結果を招くのですが)
2 ボリビアのいろいろ
コロイコで泊ったホテルのレストランで、
わたしがモバイル・ギアを使っていると、
ボーイの少年がえらく興味を示すので、
英語入力にしてちょっと使わせてやると、いたく喜んでいました。
「ドスミルか?」と聞いてくるので、何のことかわからず、
「うん、これはDOS/Vマシンだよ。」
「??」というとんちんかんなやりとりがしばらく続いた後、
ようやくドス=2、ミル=1000というスペイン語だということに気がつき、
「ああ、これはWindows2000じゃないんだ。WindowsCEマシンだよ」
「ほおーっ!!」(CEが何かわかったのかどうかわからないが、
とにかく目を輝かせて感心している少年)
トルコでも似たようなことがありましたが、
とにかく、日本製の小型のパソコンは人目を引くようです。
そういえば、ボリビアでは、
町中にインターネットカフェをよく見かけました。
およそコンピューターの似あわない、古びた土壁の建物の一室に、
パソコンが数台備えつけられていて、
熱心にやっている人たちがいます。
意外といえば、携帯電話もけっこう普及しているようです。
国全体に漂ういかにも貧しげな(失礼)雰囲気には、
そぐわないですね。
ボリビアは、産業はなくとも、
ポトシ銀山をはじめ鉱物資源は豊富なはずですから
国庫収入も多少はあるはずなのに、
幹線道路すら満足に整備されていないのは
どういうわけなんでしょうか。
(国内での交通機関といえば、自動車が、ほとんど唯一といって
良いくらいなのですが、道路で舗装されている部分はごくわずか。
断崖絶壁を縫うような狭いコロイコへの山岳道路で、
年間200人も事故死者が出るところも、
ぬかるみのままだったりします。
日本の建設省だったら狂喜してすぐさま舗装し、
ガードレールを付けて、擁壁工事までしたうえ、
さらに拡幅工事にとりかかって、環境保護団体から
クレームをつけられているでしょう。
税金の使い道、というと、まず道路工事を思い浮かべるのも
日本人の特性なのかも知れませんが)
車といえば、ボリビアで走っている車の半数は日本車ではないか、
と思われるほどボリビアは日本車に溢れています。
なぜ、それほど目立つか、というと、
フロントガラスの上部全体、右端から左端までに、
「TOYOTA」とか「NISSAN」とかの
でかいステッカーが貼られているのです。
「MAZDA」「HONDA」もあり、
たまに「SUZUKI」も見かけるところが微笑ましいです。
フォードやボルボも走っているのですが、
その手のステッカーは見当たりません。
推測するに、ボリビアでは日本車がけっこうステイタスで、
日本車を買ったら社名を堂々とアピールするのが
流行っているのではないでしょうか。
どこやらの幼稚園や有限会社の法人名入りの
ミニバスもよく見かけました。
要するに日本の中古車を買ってきてそのまま使っているのです。
再塗装ぐらいすればよいのに、と思うのですが、
漢字で何やら書いてあるほうが格好が良いのか、
日本車であることをアピールできるからなのかも知れません。
3 ポトシ――高山病、悪化する
コロイコで面白いように高山病の症状が癒えたため、
調子にのったわたしは翌日には再びラ・パスへ戻り、
そのまま夜行バスで
ポトシ(標高4070m。銀山で有名町。世界遺産のひとつ)へ
向かうことにしました。
コロイコ――ラ・パス間は、前述のとおりの難所で、
随所ですれ違い困難になる狭い山岳道路なのですが、
結構交通量はそこそこ多く、1台でも事故ると大変です。
ところが、この帰路ではそれがあり、
わたしの乗ったミニブス(乗合いのバン)の
10台ほど前を走っていたトラックが、
路面の亀裂かなにかが原因でタイヤを破損し立ち往生。
2時間くらい上下線とも不通になりました。
事故ってもJAFなんか来るわけもありません。
ところが、みんな結構慣れたもので、
渋滞した車の列のなかから
タイヤ交換に必要な油圧式ジャッキが何台か持ちよられ、
どこからともなくジャッキアップの固定台になる木材が現れ、
パンクして埋もれたタイヤの周辺をスコップで掘り出す者もいて、
それ以外の連中はわいわい言いながらやじ馬となり、
わたしをはじめ観光客はこれ幸いと事故車をバックに記念写真を撮り、
近くの川へ水浴びにでかける家族連れまでいます。
そんなわけで通常3時間の道のりを5時間かかって
ラ・パスに到着したときには夜になっていました。
バスターミナルでポトシ行きのバスを探したところ、全部売りきれで、
やむなくダフ屋から定価の倍の値段でチケットを買って
出発することになりました。
倍といっても、もともとの物価が安いので、
せいぜい700円が1500円になったくらいのものなのですが。
夜行バスには、防寒対策として毛布
(インディオのおばちゃんが、よく肩にかけているやつ)を買い、
万全の装備で乗りましたが、予想どおりに寒く、道も悪く
長時間(11時間ほど)の行程で、
翌朝ポトシに着いたときには、心底疲れ果て、
小一時間ほどバスターミナルのベンチから動く気がしませんでした。
ポトシは、かつて世界の銀の何分の1かを産出し
ヨーロッパの貨幣価値を破壊したほど有名な銀鉱山のある町で、
世界遺産にも指定されています。
ここでは、鉱山ツアーというのをやっていて、
5時間くらいかけてヘッドライトをつけて本格的な坑道巡りを
やらせてくれるのです。
ところが、この日のわたしは、それどころではありません。
とにかく、暖かそうな宿を探して歩いたり電話したりするのですが、
旅行者の考えることは皆同じで、
暖かくて良さそうなところはもちろん、
たいしたことなさそうなホテルまで全部満室です。
薄い空気のなか、探しまわってようやく見つけた
木賃宿(こんなに寒いのに暖房がない)に
ほうほうのていで潜り込み昏睡しました。
昏睡から目覚めると、何と、
悪化した高山病の症状(前頭葉付近の頭痛とぼけた感じ)以外に、
38・7度の高熱まで発しているではありませんか。
どうりでバスターミナルから動けないはずです。
それでも、何か食べねば死んでしまうので、
夜8時頃、起き出して
またぞろ、食事のできる店を探しまわったあげく、
ピザの店を見つけて一かけらだけ食べ、
あとはコロイコに行く直前に露天のおばさんから
5個1ボリビアーノ(20円くらいか)で買ったトマトでしのぎました。
4 スクレ――濃い空気を求めて
翌朝、体調は良くなっているかと思えば、
そんなこともなく、熱は相変わらず38度台。
これでは、ハード な鉱山ツアーはおろか
ポトシの町の散策すらできません。
ともかく、どこかもっと気候の穏やかな所へ逃げるしかありません。
ちょうどポトシのやや北あたりに、標高2600mの町スクレがあり、
バスで3,4時間程度と手頃です。
スクレは、ボリビアの憲法上の首都ですが、今は古びた田舎の町で、
植民地時代の古い町並みが世界遺産にも指定されています。
再びインディヘナ(インディオは蔑称なので、白人以外の
地元民のことはインディヘナというのが正しいらしい)だらけの
ローカルバスに乗り、スクレへ向かいました。
標高が下がったおかげでスクレでは行動は少し楽になり、
多少は歩きまわることもできるようになりましたが、
熱のほうが38度付近からいっこうに下がらず、
腹痛まで伴なうようになってきました。
それで翌日、昼前からスクレの空港へ向かい、
飛行機でラ・パスへ戻って、今後のことを考えることにしました。
ところがこの日は日曜で、毎日1便だけある
スクレ――ラパス間の飛行機も日曜は飛ばないのではないか、
という噂もあったため、ともかく朝から飛行場へ行って待っていました。
憲法上の首都の飛行場といっても、そこはボリビアですから、
規模は函館空港よりもまだ小さいくらい。
カウンターにも人はいないし、便名の表示も何もありません。
昼を過ぎてしばらくするとようやくカウンターが開いて、
夕方5時に飛行機が飛ぶということがわかりました。
それで、また延々と夕方まで待って、飛行機に乗りこみました。
さすがに病気のため精神がまいっているせいか、
機中でも、ろくなことを考えません。
だいたい、いつもだとわたしは、
どんなに怪しげな航空会社の飛行機でも
「自分が乗っている飛行機は絶対に落ちない」という
根拠のない確信を持っているので平気なのですが、
今度ばかりは、
「ツキがここまで落ちているからには、
この飛行機は落ちるかも知れないなあ。
妻も子もないから、死んでもそれほど世間に迷惑はかからないよなあ。
でも親には申し分けないよなあ。親不幸だなあ。
この飛行機のなかには、いつもの自分と同じくらい
強気の運を信じているやつがいるだろうから、
そいつの運に便乗して守ってもらいたいなあ。」などと、
いたく他力本願で弱気なことを考えていました。
5 再びラ・パス
ラ・パスで宿泊し、翌朝になっても体調が回復しないため、
おおまかにいって、2つの選択肢がありました。
1)飛行機に乗る体力が残っているうちに
航空券を新たに買い求めてさっさと日本へ帰る。
2)帰国便の出発地であるペルーのリマへ行って
帰国便の出発日まで様子を見る。
場合によっては入院する。
1は、経済的には大損です。
2は、体調が復活すれば旅行も再開できるし良案なのですが、
当時は食事に出るのもやっとで、
どちらかといえば入院してしまいたいくらいの体調でした。
しかし大統領選直後で政情不安のペルーで、
スペイン語も英語も不自由な日本人のわたしが入院というのも
ぞっとしません。
帰国後すぐの仕事もあるため、
体調がはかばかしく復活しない場合もたいへんです。
で、結局、ラ・パスの旅行会社で
できるだけ安い片道航空券を買って帰国することにしました。
ブラジルのヴァリグ航空でサンパウロ経由、US$1750でした。
飛行機で22時間あまり安静にしていたのと、
標高の低いところへ降りてきたおかげと思いますが、
帰国後は、体調は順調に回復しました。
医者の話によると、高山病は、自律神経をやられるので、
発熱をはじめ、あらゆる症状を併発してもおかしくないそうです。
ローカル・バスで乗り合わせた日本人旅行者の話では、
酒に強い人は高山病になりにくい傾向があるのだとか。
ほんとか嘘かはわかりませんが、そういうことなら、
わたしほど高山病に弱い人間はいない、ということになります。
いずれにしても、高山病をあなどるなかれ。
飛行機でいきなりラ・パスへ降り立ち、
当日から即、行動、という旅程は、わたしには無謀だったようです。
持参した高度計つきの時計(カシオのプロトレック。
アウトドア、登山家向けの時計で、
気圧を計測して高度を表示する機能がある)の高度表示が、
ポトシで4000mを超えたところで
「−−−−」になってしまったときには、
わたしの頭の線まで「−−−−」になった気がしました。
今回、「20数万円はたく覚悟があれば、
地球の裏側からでも何とか生還できる。」ことが実証できたので、
「どこで何が起こっても、まあ、何とかならあ。」という経験値は、
多少あがりましたが、収穫といえばそれくらいですね。
妙なところへばかり旅していると、
こういう目にあうこともある、という情けないお話でした。