DIARY:2000 AUG.1〜10


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2000年8月1日(火)

異邦人感覚
午前11時、東映東京撮影所で、お祓いを受ける。
会場となった分社は、炎天下のビルの屋上である。
前日比2%ほど、日焼けした模様。

約束していた打ち合わせまで時間があるため、
所内の食堂で昼食をとる。
カレーライスと生卵とサラダで290円なり!
レジで値段を聞きなおしてしまった。安いなぁ。

正午、ここで働く方々が、どやどやと食堂に……。
老いも若きも、体育会系な風情。

部外者であるにもかかわらず、
所内価格の食事をとっているうしろめたさもあり、
妙に居心地が悪い。
空気を乱しているのではないかと、不安になる。

この感覚……、どこかで味わった覚えがある。
おお! そうだ。海外旅行だ。
地元の人でにぎわうレストランに入ったときの居心地悪さだ。

海外でもホテルのレストランやバー、ジャケット着用の店、
ファーストフードでは、この手の居心地悪さは感じない。
国際的なフォーマットがあるし、
異邦人の存在もあたりまえだからね。

それが100%、ローカルな空間のレストランでは、
ルールや空気がわからないこともあり、
なんとなく、気持ちのおさまりが悪くなるのだ。

ほかに例えはないかと考えたんだけど、
ストリップ劇場の観客席にいる女性みたいな感覚……なのかな?

ただ、居心地が悪いから不快かというと、そんなことはない。
自分がこの場所にいるという、そのことだけで、
みょうに興奮しちゃうのだ。

そのあたりも海外旅行に近い感覚。
精神的異化作用。

こういう体験ができるだけで、
職業選択に間違いはなかったと、確信する。

所内での打ち合わせを済ませ、
すぐそばのショッピングセンター西友OZへ。

最上階のレストラン街で、
まさきひろさん、吉村元希さん、角銅博之さんという
東映動画「デジモンアドベンチャー」チームとバカ話を堪能。
おれはといえば、昼間から生ビールを3杯も飲んでしまう。
炎天下、仮借なき太陽にあぶられた五臓六腑にしみまくる。
極楽なり……。

午後6時、環八通りつながりで、千歳烏山のクレアテックに。
社内は「METAL MAX WILD EYES」の追い込み作業中。
どんなときでもへこたれない若いスタッフが、
前向きにがんばっている。

変更した演出まわりの打ち合わせをして、帰宅。


2000年8月2日(水)

「絶版」
おお! また、出やがった!!
こんな本を出すほうも、出す方だが、買うおれも、いかがなものか。
てなわけで、岡田斗司夫、田中公平、山本弘の
「史上最強のオタク座談会」第三弾である。

例によって身も蓋もない話ばかりの座談会。
わかるなぁという実感がある発言は、
田中公平さんのものが多い。

たとえば、「濃い人は、やっぱ自分で作らない人やと思うね。
自分で作る人って、濃くなれないから、何でも」なんて、
ほんと、そうだと思う。

ものを作りはじめると、そこからさきの人生は、
「濃く」なりようがないのだ。
「濃さ」に走るためのリビドーが、「作る」ほうに消尽される。

その手のリビドーは記憶力に直結するから、
いろんなクリエイターに話を聞いてみても、
判で押したように、「忘れっぽい」人が多い。

「なんで、こんな仕様にしたの? 昨日のままで、よかったのに」
「変更を昨日、指示したの、Mさん、あなたですよ」

「前作のほにゃらの剣って、どこで取れるんですか」
「忘れた……」

そんなことでは「濃い」マニアには、なれません。

一方、淀川長治さんが映画に関して、
とんでもない記憶力を誇っていたように、
観る立場をとことんまでつきつめれば、
人間は、どんどん「濃く」なれるものだろう。

(ただし、この理屈には、小林信彦のような例外もある)

じゃあ、ものを作る人は「薄く」ていいのか……?
そんなことは、まったくない。

あえていえば、ものを作りはじめるまでのどこかで、
いちど、思いっきり濃くなるしかないのだ。
そこまでで濃くなれなければ、
ものを作る商売のタネにはならない。

ぼくの場合は、大学入学前後がいちばん濃かった。
あるジャンルに関しては、
「日本でおれにかなうやつはいるまい。がはははは……」と、
根拠のない自信を持っていた。
若さは、いつもすばらしい。

そのころが、10倍濃縮果汁だとすれば、
いまのぼくは、「きりり」か「ファンタ」程度である。
読書量も映画鑑賞本数もすっかり減ってしまった。
したがって、記憶力もへなちょこである。

悲しいことだが、あれこれ作っているいま、
濃かった当時に作った「引き出し」で、
やりくりしているだけなのである。

いまのぼくにあの当時の「濃さ」があれば、
毒舌映画評とか、激辛ブックレビューとか、クソゲーこきおろしとか、
ワイドショーのコメンテーターとか、大学の先生とか、
人気サイトのオーナーとか、
いろいろやれることも多かったのに……。

あーあ。
あの「濃さ」を失ってしまうなんて、
とりかえしのつかないことをしてしまった(うそ)。


2000年8月3日(木)

見分け方
ものを作る業界で、ダメな人の見分け方は簡単だ。

どういった形であれ、
自分がかかわった作品の悪口を平気で言える人。
これはダメな人だ。

ただし、そのプロジェクトにいた「困った」lくんに関する
愚痴はのぞく……。

なんでいまさらこんなことを書くかといえば、
身近なところで、「あ、やっぱり」ということがあったからさ。

さて、今日は午前中から東映東京撮影所にいき、
新宿で時間をつぶしたあと、
本郷のアスミック・エースで打ち合わせをして、
池袋のビックパソコン館本店で、
エプソンのレーザープリンタLP−1900を購入。

カラーインクジェットプリンタはあるんだけど、
大量の資料を印刷するには、時間がかかりすぎ……。


2000年8月4日(金)

今夜、東武練馬で
戸越で打ち合わせ。
最近はいろんな人にお会いできるので、楽しい。
無節操な自分のポジションに感謝。

帰宅後、ちょっとした作業を済ませ、
さて、これから、スティーブン・キングの新作を読むべと、
布団にもぐりこんだ深夜0時
(本を読むときは寝ころぶのが、おいらのスタイル)、
香月涼くんとオラッチくんから、
「やさぐれたいのだが、いかが……?」とのお誘い。

そうですか。やさぐれたいですか。いいですよ。
飲みましょう。そのかわり、東武練馬に来てね。

てなわけで、深夜1時から4時まで、
恐怖と不安と憤懣の淵にある香月涼くんを
絶望と不信と虚無感の奈落に、叩きおとすお手伝いをする。

失恋の特効薬は中島みゆきの歌という話があるが、
人生の特効薬に、柴尾のいやみというのは、
いかがでしょうか。

うらみま〜す。うらみま〜す。


2000年8月5日(土)

移行期の……
ゲームの仕事をしているからといって、
すべてがデジタルな……コンピュータ画面の中だけの作業で
片付くわけではない。

とくにいまやっているタイプのゲームでは、
デジタルな環境を持っていないスタッフが多いので、
最終的には、紙で印刷したものが必要となる。

一日の作業をすべて終え、
買ったばかりのレーザープリンタLP−1900で、
すべてプリントアウト。

一種のフローチャートなのだが、
20枚ほど刷りだして、ざっと見てみると、
単純な誤植、数ヶ所のほかに、
レイアウトのバランスの悪さが気になるところがいくつか……。

誤植ってやつを
コンピュータの画面では見つけにくいのは、事実だが、
レイアウトのバランスは、紙に出さなければ、
気にならなかったはず。

しかたがないので、ぜんぶ修正。めんどうなり。

すべてデジタルだったり、すべてアナログな環境なら、
こんな手間をかける必要はないのに……。

デジタルとアナログが混在する環境こそ、
作業量を増大させる元凶なり。

ま、仕方ないんだけどね。


2000年8月6日(日)

今日のお出かけ
昨日までの作業をまとめて、東映東京撮影所に持っていく。
その後、光ケ丘までタクシーでいき、
大江戸線で国立競技場。

現在開業中の大江戸線を端から端まで乗ったわけだ。
これくらい長く乗っていると、読書が進む。

国立競技場駅から、神宮前のさくまあきらさんのお宅へ。
さくまさんのお宅にはすでに先客が……。
「ポポロクロイス物語」の田森庸介さんと、
ぼくには見えないものが見える漫画家、岩崎摂さんだ。

いままで、少人数で田森さんと話をする機会がなかったんだけど、
今回、あらためて話をうかがっていると、
ほんとうに興味深い方だということが、おれ的に判明。

淡々としていながら、まっことマニアックな方なのだ。

岩崎さんからは、うっひょーな発言あり。
これまた、楽しいかぎり……。
しゃっくり的暴走をするのが、岩崎さんの持ち味である。

さくまさんからは、ここに書けない、
あんなことやこんなことを、いろいろとうかがう。
うっきゃあああ。

その後、「第一神宮」で、さくまさんに
うまい焼肉をごちそうになる。さくまさんは「いい人」だぁ!!

それにしても、みんな食べるのが早い。
胃袋が満腹信号を出す前に、肉を食べまくるので、
血中焼肉濃度は上がりまくり。

その後、さくま邸にもどり、あれこれとおしゃべり。
午後10時に散会。

帰宅後、作業再開の予定が、焼肉脳では、それもままならず、
キングの「骨の袋」を読み始める。
焼肉脳で「骨の袋」とは……。

下巻にいたって、驚愕の展開。
クライマックス近くなると午前6時である。
いくらなんでも、これはまずいので、就寝。


2000年8月7日(月)

「骨の袋」
スティーブン・キングの最新翻訳長編を読了。

キングの作品は、ホラー小説にジャンル分けされてはいるが、
シンプルな恐怖よりも
落涙の彼方にある深い感動を堪能できることは、
みなさん、ご存知のとおり。
「グリーン・マイル」なんて、まさにそうでしょ?
この作品は泣ける上巻と、衝撃の下巻といった構成。

突然の死によって妻を失ったベストセラー作家が
妻との思い出……のみならず、妻の霊が出現する
湖畔の別荘で遭遇する、おそるべき「過去」との対峙。

キング流のジェントル・ゴースト・ストーリーになるかと
思って油断していたら……。
これはもう、壮絶の一語に尽きるドラマになっている。

超絶技巧のストーリテリングの妙は、
もはや語る必要さえないが、
キングの諸作に見られる、ある「事件」との対決によって、
人が「再生」するさまを描くという点において、
「骨の袋」におけるキングの筆は、ますます冴えわたっている。

自分はなぜ作品を作るのか、
人生という限られた時間の中で、
作品を作りつづけることって、つまり、どーよ?
どういうことなわけ……?

驚くべきことは、その答えのひとつが
この本の中にあることだ。

キングの書いた境地に達しているとは、
とてもいえない自分だが
その「痛み」の片鱗は、たしかに感じられた。


2000年8月8日(火)

「レガイア伝説」海外版
1ヶ月ほど前にコントレイルから、送られていた
「レガイア伝説」欧州版である。

ヨーロッパ向けには、
英、仏、独、西、伊の五ヶ国語版が作られたそうだが、
送られてきたのは英、仏、独の三ケ国語版。

レガイア伝説欧州版パッケージ(表) レガイア伝説欧州版パッケージ(裏)
(左)表側。(右)裏側。
それぞれ、左上からアジア版、ドイツ語版、左下から英語版、フランス語版。
画像をクリックすると大きくなるぞ。

ちなみに写真のアジア版は、台湾・香港用のもの、
ソフトの中身は同じで日本語だが、
取扱説明書は、日文・中文・英文の表記。

翻訳作業は、ほんとうにたいへんだったことでしょう……。

ハエ入りトマトジュース
ニュースをにぎわせている
キリン・ビバレッジのハエ入りトマトジュースで、思い出した。

おれ、高校生のころ、
バンドエイド入りの焼きそばパンを食ったことがあるぞ!
とくに騒がなかったけど……。


2000年8月9日(水)

荻窪の女子大生の家へ!
夜、荻窪にある鹿(殺)ちゃんことYさんのマンションへ。

Yさんは某県庁勤務で、県知事秘書とかもやっていたのだが、
いまでは、なぜか、女子大生なのだ。
地方公共団体のシステムはよくわからないのだが、
給料をもらいつつ、女子大生もやれるというのは、
なかなか、けっこう……。
地方公務員になれば、女子大生になれるのは、魅力的。

おれも地方公務員になりたいなぁ。
だって、一生に一度は、女子大生になってみたいんですもの。
なんて、ふざけたことを書くのは、これっきりにしておこう。

地獄の南米旅行から帰国したO田弁護士。
今日はその帰国祝賀会である。

メンツは前述のふたりのほかに
例によって、高瀬美恵さん、けーむらくん、K松くんだ。

あれこれとおいしいものをつつきながら、バカ話をして、
終電の時間に帰る。

さて、そのO田弁護士の南米旅行記だが、
本人から特別に許可をいただいたので、この下に掲載する。

海峡マニアとしても知られるO田弁護士の
とほほな旅をご堪能ください。


O田弁護士
脱酸素南米日記

1 ラ・パス――犬に吠えられ高山病になる
南米ボリビアの
事実上の首都(憲法上の首都は別にある)ラ・パスは、
標高3650mです。

首都としても空港所在地としても世界最高峰です。
3650mといえば、富士山よりまだ300m以上高く、
わたしがこれまでに登ったことのある最高峰、剣岳よりも
600メートル以上高いわけで、これは侮れません。

普段、低い標高で生活している日本人が、
いきなり飛行機でラ・パスに降り立つと、
3人中2人までが(症状の差こそあれ)、
高山病にかかってしまうのだとか。

案の定、空港についてしばらくすると、
なんとなく頭がぼけたような気がします。

ただ、シアトル、マイアミと2回の乗り継ぎを挟んで
およそ20時間のフライトの後だったのと、
出発当日も午前中に証人尋問があって忙しく
3時間睡眠だったのとで、
時差ぼけなのか、高山病なのか実はよくわからん状態でした。

到着当日、体力にまかせて元気に動いた人ほど、
高山病の症状は出やすいのだとの説もありましたので、
わたしも初日は、慎重に、
あまりハードに動くまいと心に決めていました。

ただ、ラ・パス到着が早朝6時ですから、
とりあえず、旅行会社の開く時間まで、
眺めのよいところにでも行っていようと、
ガイドブックに載っていたライカコタの丘というところへ
タクシーで乗りつけました。

ところが、このライカコタの丘、
タクシーの運転手に騙されたのではないかと疑ったほど
貧弱な場所のうえ、
入口に鉄線が張られていて、立ち入り禁止のような感じです。

かまわずに鉄線を乗り越えて入っていると、
中からやってきた犬の散歩風の爺さんが、
何やらわたしに、入るな、やめとけ、と言っている様なのですが、
スペイン語なのでさっぱりわかりません。

「あんたも入っとるやんけ」と突っ込みをいれつつ、
どんどん奥へ進んでいきますと、
うらさびれた遊園地の廃墟のようで、
およそ観光客の来そうなところではありませんし、
眺めもさほどよくありません。

不良でも出るのかしらん、でもこんな朝早くだしなあ、
などと考えつつ歩いていると、
野犬が一匹、猛然と吠えついてきました。
と、見る間に、一匹が、二匹、三匹と増え、
近づいてきて噛みつきそうな勢いです。

こちらが威嚇すると(蹴りを入れるまねとか)
ちょっとひるんで退くのですが、
すぐに戻ってきて食いつきそうにします。
多勢に無勢、これ以上囲まれてはたまらんと思い、
ときどき威嚇をくり返しながら、もと来た道を走って逃げました。

犬に追いかけられて逃げたのは、
子供の頃以来、30年ぶりくらい。ひさしぶりの経験です。

犬は、丁度入り口の鉄線のあたりで、引き返していきました。
どうもここは、彼らの縄張りになってしまっていたようで、
さっきの爺さんは、野犬がいるから危ないぞ、
と、たぶん教えてくれていたのでした。

でも、あとの祭り。
慣れない高地で走ったのですからたまりません。
息切れと疲れがどっと押し寄せ、頭も痛くなってきました。

ボリビアのサッカーチームは、
ホームグラウンドで試合をするときは絶対負けないそうですが、
たしかにうなずける話です。

それで、その日は、北方の低地で気候の穏やかな
ユンガス地方のコロイコ(標高1750m)へ向かい、
高山病を癒すことにしました。

コロイコへは、ミニバンで3,4時間の行程です。
ところが、途中、4600mのユンガス山頂近くを通過するため、
高山病はさらにひどくなり、頭から血の気が下がる思い。

おまけに、ユンガス地方の天候は雨で寒く、
道は狭くて悪く、転落事故で年間200人もの死傷者が出るという
断崖絶壁を縫うように進んでいきます。

しかし、おかげで標高1750のコロイコへ降りてきたときには、
高山病の症状は面白いように癒えていました。
(これで妙に自信をつけてしまったため、さらに悪い結果を招くのですが)

2 ボリビアのいろいろ
コロイコで泊ったホテルのレストランで、
わたしがモバイル・ギアを使っていると、
ボーイの少年がえらく興味を示すので、
英語入力にしてちょっと使わせてやると、いたく喜んでいました。

「ドスミルか?」と聞いてくるので、何のことかわからず、
「うん、これはDOS/Vマシンだよ。」
「??」というとんちんかんなやりとりがしばらく続いた後、
ようやくドス=2、ミル=1000というスペイン語だということに気がつき、
「ああ、これはWindows2000じゃないんだ。WindowsCEマシンだよ」
「ほおーっ!!」(CEが何かわかったのかどうかわからないが、
とにかく目を輝かせて感心している少年)

トルコでも似たようなことがありましたが、
とにかく、日本製の小型のパソコンは人目を引くようです。

そういえば、ボリビアでは、
町中にインターネットカフェをよく見かけました。

およそコンピューターの似あわない、古びた土壁の建物の一室に、
パソコンが数台備えつけられていて、
熱心にやっている人たちがいます。

意外といえば、携帯電話もけっこう普及しているようです。
国全体に漂ういかにも貧しげな(失礼)雰囲気には、
そぐわないですね。

ボリビアは、産業はなくとも、
ポトシ銀山をはじめ鉱物資源は豊富なはずですから
国庫収入も多少はあるはずなのに、
幹線道路すら満足に整備されていないのは
どういうわけなんでしょうか。

(国内での交通機関といえば、自動車が、ほとんど唯一といって
良いくらいなのですが、道路で舗装されている部分はごくわずか。
断崖絶壁を縫うような狭いコロイコへの山岳道路で、
年間200人も事故死者が出るところも、
ぬかるみのままだったりします。
日本の建設省だったら狂喜してすぐさま舗装し、
ガードレールを付けて、擁壁工事までしたうえ、
さらに拡幅工事にとりかかって、環境保護団体から
クレームをつけられているでしょう。
税金の使い道、というと、まず道路工事を思い浮かべるのも
日本人の特性なのかも知れませんが)

車といえば、ボリビアで走っている車の半数は日本車ではないか、
と思われるほどボリビアは日本車に溢れています。

なぜ、それほど目立つか、というと、
フロントガラスの上部全体、右端から左端までに、
「TOYOTA」とか「NISSAN」とかの
でかいステッカーが貼られているのです。
「MAZDA」「HONDA」もあり、
たまに「SUZUKI」も見かけるところが微笑ましいです。
フォードやボルボも走っているのですが、
その手のステッカーは見当たりません。

推測するに、ボリビアでは日本車がけっこうステイタスで、
日本車を買ったら社名を堂々とアピールするのが
流行っているのではないでしょうか。

どこやらの幼稚園や有限会社の法人名入りの
ミニバスもよく見かけました。
要するに日本の中古車を買ってきてそのまま使っているのです。

再塗装ぐらいすればよいのに、と思うのですが、
漢字で何やら書いてあるほうが格好が良いのか、
日本車であることをアピールできるからなのかも知れません。

3 ポトシ――高山病、悪化する
コロイコで面白いように高山病の症状が癒えたため、
調子にのったわたしは翌日には再びラ・パスへ戻り、
そのまま夜行バスで
ポトシ(標高4070m。銀山で有名町。世界遺産のひとつ)へ
向かうことにしました。

コロイコ――ラ・パス間は、前述のとおりの難所で、
随所ですれ違い困難になる狭い山岳道路なのですが、
結構交通量はそこそこ多く、1台でも事故ると大変です。

ところが、この帰路ではそれがあり、
わたしの乗ったミニブス(乗合いのバン)の
10台ほど前を走っていたトラックが、
路面の亀裂かなにかが原因でタイヤを破損し立ち往生。
2時間くらい上下線とも不通になりました。

事故ってもJAFなんか来るわけもありません。
ところが、みんな結構慣れたもので、
渋滞した車の列のなかから
タイヤ交換に必要な油圧式ジャッキが何台か持ちよられ、
どこからともなくジャッキアップの固定台になる木材が現れ、
パンクして埋もれたタイヤの周辺をスコップで掘り出す者もいて、
それ以外の連中はわいわい言いながらやじ馬となり、
わたしをはじめ観光客はこれ幸いと事故車をバックに記念写真を撮り、
近くの川へ水浴びにでかける家族連れまでいます。

そんなわけで通常3時間の道のりを5時間かかって
ラ・パスに到着したときには夜になっていました。

バスターミナルでポトシ行きのバスを探したところ、全部売りきれで、
やむなくダフ屋から定価の倍の値段でチケットを買って
出発することになりました。

倍といっても、もともとの物価が安いので、
せいぜい700円が1500円になったくらいのものなのですが。

夜行バスには、防寒対策として毛布
(インディオのおばちゃんが、よく肩にかけているやつ)を買い、
万全の装備で乗りましたが、予想どおりに寒く、道も悪く
長時間(11時間ほど)の行程で、
翌朝ポトシに着いたときには、心底疲れ果て、
小一時間ほどバスターミナルのベンチから動く気がしませんでした。

ポトシは、かつて世界の銀の何分の1かを産出し
ヨーロッパの貨幣価値を破壊したほど有名な銀鉱山のある町で、
世界遺産にも指定されています。

ここでは、鉱山ツアーというのをやっていて、
5時間くらいかけてヘッドライトをつけて本格的な坑道巡りを
やらせてくれるのです。

ところが、この日のわたしは、それどころではありません。
とにかく、暖かそうな宿を探して歩いたり電話したりするのですが、
旅行者の考えることは皆同じで、
暖かくて良さそうなところはもちろん、
たいしたことなさそうなホテルまで全部満室です。

薄い空気のなか、探しまわってようやく見つけた
木賃宿(こんなに寒いのに暖房がない)に
ほうほうのていで潜り込み昏睡しました。

昏睡から目覚めると、何と、
悪化した高山病の症状(前頭葉付近の頭痛とぼけた感じ)以外に、
38・7度の高熱まで発しているではありませんか。

どうりでバスターミナルから動けないはずです。
それでも、何か食べねば死んでしまうので、
夜8時頃、起き出して
またぞろ、食事のできる店を探しまわったあげく、
ピザの店を見つけて一かけらだけ食べ、
あとはコロイコに行く直前に露天のおばさんから
5個1ボリビアーノ(20円くらいか)で買ったトマトでしのぎました。

4 スクレ――濃い空気を求めて
翌朝、体調は良くなっているかと思えば、
そんなこともなく、熱は相変わらず38度台。

これでは、ハード な鉱山ツアーはおろか
ポトシの町の散策すらできません。
ともかく、どこかもっと気候の穏やかな所へ逃げるしかありません。

ちょうどポトシのやや北あたりに、標高2600mの町スクレがあり、
バスで3,4時間程度と手頃です。

スクレは、ボリビアの憲法上の首都ですが、今は古びた田舎の町で、
植民地時代の古い町並みが世界遺産にも指定されています。
再びインディヘナ(インディオは蔑称なので、白人以外の
地元民のことはインディヘナというのが正しいらしい)だらけの
ローカルバスに乗り、スクレへ向かいました。

標高が下がったおかげでスクレでは行動は少し楽になり、
多少は歩きまわることもできるようになりましたが、
熱のほうが38度付近からいっこうに下がらず、
腹痛まで伴なうようになってきました。

それで翌日、昼前からスクレの空港へ向かい、
飛行機でラ・パスへ戻って、今後のことを考えることにしました。

ところがこの日は日曜で、毎日1便だけある
スクレ――ラパス間の飛行機も日曜は飛ばないのではないか、
という噂もあったため、ともかく朝から飛行場へ行って待っていました。

憲法上の首都の飛行場といっても、そこはボリビアですから、
規模は函館空港よりもまだ小さいくらい。
カウンターにも人はいないし、便名の表示も何もありません。

昼を過ぎてしばらくするとようやくカウンターが開いて、
夕方5時に飛行機が飛ぶということがわかりました。
それで、また延々と夕方まで待って、飛行機に乗りこみました。

さすがに病気のため精神がまいっているせいか、
機中でも、ろくなことを考えません。

だいたい、いつもだとわたしは、
どんなに怪しげな航空会社の飛行機でも
「自分が乗っている飛行機は絶対に落ちない」という
根拠のない確信を持っているので平気なのですが、
今度ばかりは、
「ツキがここまで落ちているからには、
この飛行機は落ちるかも知れないなあ。
妻も子もないから、死んでもそれほど世間に迷惑はかからないよなあ。
でも親には申し分けないよなあ。親不幸だなあ。
この飛行機のなかには、いつもの自分と同じくらい
強気の運を信じているやつがいるだろうから、
そいつの運に便乗して守ってもらいたいなあ。」などと、
いたく他力本願で弱気なことを考えていました。

5 再びラ・パス
ラ・パスで宿泊し、翌朝になっても体調が回復しないため、
おおまかにいって、2つの選択肢がありました。

1)飛行機に乗る体力が残っているうちに
航空券を新たに買い求めてさっさと日本へ帰る。

2)帰国便の出発地であるペルーのリマへ行って
帰国便の出発日まで様子を見る。
場合によっては入院する。

1は、経済的には大損です。
2は、体調が復活すれば旅行も再開できるし良案なのですが、
当時は食事に出るのもやっとで、
どちらかといえば入院してしまいたいくらいの体調でした。

しかし大統領選直後で政情不安のペルーで、
スペイン語も英語も不自由な日本人のわたしが入院というのも
ぞっとしません。
帰国後すぐの仕事もあるため、
体調がはかばかしく復活しない場合もたいへんです。

で、結局、ラ・パスの旅行会社で
できるだけ安い片道航空券を買って帰国することにしました。
ブラジルのヴァリグ航空でサンパウロ経由、US$1750でした。

飛行機で22時間あまり安静にしていたのと、
標高の低いところへ降りてきたおかげと思いますが、
帰国後は、体調は順調に回復しました。

医者の話によると、高山病は、自律神経をやられるので、
発熱をはじめ、あらゆる症状を併発してもおかしくないそうです。
ローカル・バスで乗り合わせた日本人旅行者の話では、
酒に強い人は高山病になりにくい傾向があるのだとか。

ほんとか嘘かはわかりませんが、そういうことなら、
わたしほど高山病に弱い人間はいない、ということになります。
いずれにしても、高山病をあなどるなかれ。
飛行機でいきなりラ・パスへ降り立ち、
当日から即、行動、という旅程は、わたしには無謀だったようです。

持参した高度計つきの時計(カシオのプロトレック。
アウトドア、登山家向けの時計で、
気圧を計測して高度を表示する機能がある)の高度表示が、
ポトシで4000mを超えたところで
「−−−−」になってしまったときには、
わたしの頭の線まで「−−−−」になった気がしました。

今回、「20数万円はたく覚悟があれば、
地球の裏側からでも何とか生還できる。」ことが実証できたので、
「どこで何が起こっても、まあ、何とかならあ。」という経験値は、
多少あがりましたが、収穫といえばそれくらいですね。

妙なところへばかり旅していると、
こういう目にあうこともある、という情けないお話でした。


2000年8月10日(木)

としをとること
ジャレコの買収といい、某社の大リストラといい、
セガやスクウェアの東京ゲームショー不参加といい、
真夏の木枯らしが、とほほな今日このごろではある。

そんな中でも零細ゲームデザイナーは終日作業。
ああ、肩がこってたまらないぜ。
気をつけないと、腰痛も出ちまいそうだぜ。

10年前は、ほんとうに無茶な仕事ができたんだけどなぁ。

37歳のいま、ふと考えるのだが、
10年後、自分のスペックはどうなっているのだろう?

文庫本の小さな活字を苦もなく読めるのだろうか。
新しいPCや新しいアプリケーションを
いまと同様に使いこなすことができるのだろうか。
海外で支障なく一人旅できるのだろうか。
新しいタイプのゲームを遊びこなせるのだろうか。
マリオの新作でクッパを倒せるのだろうか。

10年前、27歳のときといまとでは、
そのあたりの能力に、大して差があるようには思えない。
しかし、10年後、47歳の自分が
どうなっているかは未知領域ではある。

いまあげた疑問のうち、
どんなにがんばっても、マリオでクッパを倒せなくなったとき、
ほかのなによりも「老い」を感じそうな自分に、
「おい!」と、いいたくなって…………。
やばい、ダジャレになっちまった。
オヤジ化の初期症状か。


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