DIARY:2000 DEC.21〜31


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2000年12月21日(木)

ADSLへの布石
午前9時から、電話増設工事の作業を待ち受ける。
午前10時40分、無事開通。
この回線には、とりつける電話機がない。

とりあえず、
デジタルBSチューナーとノートPCのモデムに接続する。
V90アナログモデムで、50.2〜52.0Kは出るから、
回線は安定しているのだろう。
また一歩、ADSLに近づいた。

マイクロダイエットを飲んだあと、午後5時まで作業。
なんか、ひたすらハイになる。

2000小学館コミック謝恩の会
「小学館コミック謝恩の会」のため、帝国ホテルへ。
到着したのは、1時間遅れ。
さくまさんご一家や万乗大智さんと話をしたり、
あれこれしているうちに、
会場のテーブルに並んだ食事は底をついている。
腹が減っているやら、いないやら、
わけのわからないダイエット中のおれ。

それでも抽選会のプレゼンター、
眞鍋かをりちゃんはしっかりチェック。
ナマはいいなぁ。

その後の二次会はパスして、帰宅するつもりではあった。
過去3日間で4時間くらいしか寝ていない。
その前の日も徹夜してるじゃねぇか。
(と、普段はあまり書かないことを書いてるぞ、おれ。
やはり、いろいろと意識している模様)
段どりと見積もりが甘いだけなんだけどね。

しかし、佐久間真理子さんやMSさんが、
「ヤングサンデー」の二次会にいくとのこと。
ああ、楽しそうだなぁ。編集長にも挨拶したいなぁ。
新しい編集長になって、ビンゴの景品もよくなっていそうだなぁ。

謝恩の会お土産
小学館コミック謝恩の会のお土産「名探偵コナン」温湿度計つき時計。

気がつくと、六本木。
気がつくと、七月鏡一さんとあれこれ話してる。
気がつくと、ビンゴのプレゼンターの釈由美子に、やにさがってる。
気がつくと、ビンゴの景品、ペーパークラフト2点セットを手にしている。

やばいなぁ。だいじょうぶか、おれ?

今日、仕事がかたづいていれば、
このあと、「Flamingo Bar」のクリスマスパーティに
いくつもりだったが、どうやら、それどころではない。
深夜12時、タクシーに乗りこむ。

車中、霞ヶ関ランプで、携帯電話に着信。
成沢大輔だ。
「神楽坂で飲んでるんだけど、飲みにこない?」
「ばかやろー! 社長とちがって、個人営業は忙しいんだ!」

帰宅後、風呂で、おぼれそうになり、午前3時就寝。


2000年12月22日(金)

いけない理由
午前7時起床。
午前11時ごろ、作業中に、興味深いアイディアが浮かび、
全面的に書き直すことにする。

ごまかして、そのまま書いちゃえばいいんだけど、
なんか、気持ち悪いので、作り直すことにする。
作り直すのはいいんだけど、うまくまとまらない。

午前11時。
やばいなぁ。いま出かけないと、
さくまさんとの待ち合わせに間に合わないぞ。

午後12時30分、佐久間真理子さんに遅れる連絡を入れる。
あと2時間もあれば、分量的には、かたづくはずだ。
しかし……、ほんとに……、ことばが……でない……。
失語症になったようだ。
やっとの思いで書いた文章は、くどくなって、気持ち悪い。

午後2時半、もう一度電話。
今夜中に仕上げることを約束する。
「みんなには明日の朝といっておくよ」
こちらの安請け合いをよくご存知の
さくまさんは、そういってくれるのだが、ここでかたづけないと、
本気で発狂しそうである。
「いえ、日が変わらないうちに送ります」
明言する。

そして、4時間ほど寝る。

復活して、一気に書き上げる。完成したのは、午後10時ごろ。
いったん風呂に入り、頭をリセット。
すこし推敲して、メールで送信したのが、午前0時ぴったり。
時間は、ねらってました。

その後、たまっていた雑事をかたづけ、タクシーで新宿へ。

忘年怪
忘年怪の模様。

菊地秀行presents「忘年怪」
今年も忘年怪の季節である。
ロフトプラスワンに到着したのが午前2時半。
到着するやいなや、けーむらさんや角銅博之さんに
「おしかったなぁ、倉阪鬼一郎さんのディナーショーが
ついさっき終わったばかりだよ」と、いわれる。

ちくしょー!

しかも、バニーガールも出るコスプレコンテストなんかも、
終わっちまっていたらしい。

ちくしょー!

バニーガールは好きなんだ。
バニーガールは心のオアシス。
バニーガールがどれくらい好きかといえば、
ワセダミステリ・クラブの幹事長をしていたころ、
会費を使いこんで、
バニーガールのいるパブに通っていたくらいだぞ(犯罪)。
あのころは、よかったなぁ(反省なし)。

その後、プレゼント抽選会は、例によって、
「吸血鬼ハンター”D”」の未発表生原稿まで飛び出して、
大盛りあがりなのだが、
おれの心にくすぶるバニーガールへの思いは、
どうしてくれましょう?

ちなみにぼくは
会場にいた作家さん全員のサイン入り色紙をいただくが、
自分がこれをもらうのは、申し訳ないので、
もっと喜んでくれそうなファンの女の子にゆずる。

その後、パネラーの方々とカラオケボックスにいき、
歌もうたわず、バカ話をして、午前7時過ぎに帰宅。

バニーガール……。


2000年12月23日(土)

体重横ばい
ダイエットには3食中2食のマイクロダイエットを使っているのだが、
ここ数日、徹夜の連続と、
普通食1食&マイクロダイエット1食の日々になっていた。

生活が不規則になると、食事時間も不規則になる。
不健康な生活をして、痩せるのは、はじめの数日だけである。
きちんとした結果を出すためにも、規則正しい生活は欠かせない。

平均すると一日あたり100グラム程度しか痩せていないぞ。
ちょっとくやしいなぁ。

とりあえず安心
さくまあきらさんの日記で、昨夜提出した資料の評価を読む。
「そうか。おれは、ねちっこいのか」
そういいながら、うれしそうな顔をしているのだろう、おれ。


2000年12月24日(日)

六本木で
俳優座で芝居を見てきたイエネコ・アンジーと
六本木で合流したのが午後4時半。

クリスマスイブなのだから、
どこかで、ディナーを……といっていたのだが、
すでにイエネコ・アンジーは空腹で、危険指数90%。
とてもディナータイムまで持ちそうにない。

しかし、日曜日のこの時間の六本木では、うまそうな店など、
どこも開いていない。
結局、さくまあきらさんに教えてもらった香妃園で、
あれこれ食べ、エクセルシオールカフェでお茶を飲む。

その後、アンジーと別れ、
パンパンに張った背中をマッサージで揉みほぐしてもらう。


2000年12月25日(月)

そごう黒崎店閉業
今日、そごう9店舗の閉鎖にともない、
北九州にあるそごう黒崎店が閉店した。
1979年10月、黒崎そごうが開業したとき、ぼくは高校2年生。

八幡駅近くに住んでいたぼくは
黒崎駅を経て、折尾駅にある高校に通っていた。
帰りは毎日のように、黒崎駅で降り、
黒崎そごうにある旭屋書店(当時)で本を買い、
1階でコーヒー豆を買い、屋上でデートしたりした。

本店は関西にあるとはいえ、
まちがいなく、
そこには東京-都会-に通じる窓があった。

22年の歴史といっても、
すべてが、つい昨日のように思い出せる。

東京に住んでいると、町の変化に鈍感になる。
新しいなにかが町にやってくる感覚が薄くなってくしまう。

ぼくが東京にでてきたとき、
国鉄山手線の初乗り料金は120円だった。
いまのJR山手線の初乗り料金は130円。
たった10円の変化しかない。

しかし、地方のJR料金は、それ以上に上がっている。
八幡駅と黒崎駅間なら、160円である。

こじつけめくが、この差が
変化の差のような気がしてならない。

九州に帰ったとき、なにげなく
「BSでやってるから、見られない人もいるかも……」と
地元の友人に話したら、
「いまどき、BSなんて、みんな持っとぉよ」と、
反論されてしまった。

おれは、東京で
BSを見られないやつをいっぱい知ってるぞ!

板橋SATYができて、
シネコン(シネマコンプレックス)の完成を喜んでいても、
地方にそんなものは、山ほどある。
北九州にある戸畑SATYなんて、うらやましかったもんな。
しかし、新宿や渋谷、有楽町に最新のシネコンはない。

黒崎そごうは、ぼくにとって都会への憧れを育む
ひとつのシステムだったのかもしれない。

北九州の人は、「ここは文化不毛の地だから」なんて、
自虐的にいうことが多いのだけれど、
憧れと渇望を感じられるかぎり、不毛とはいえない。

情報がふんだんにあるからといって、
だれもが情報を手に入れようとするわけではない。
情報がないときは、
その情報を手に入れようと必死になるものだけど……。

なんだか、あれこれせつないな。


2000年12月26日(火)

アクセスカウンター本日100,00HIT達成!
ほぼ25ヶ月にして、アクセスカウンターが100,000HIT突破。
毎日、アクセスしてくださる方、どうもありがとうございます。

9,9995から、6回も連続アクセスして、100,000HITをゲットした
某大手ゲームメーカーの方、
そこまでしていただいて、うれしいかぎりです(いぢわる)。

これを機にサイト内のディレクトリ構成を変更する。

まさか、これほど日記が続くとは思わなかったので、
「diary」ディレクトリ内に大量のファイル名がならぶ事態。
これじゃ、サイト管理もやりにくい。

こういうとき、「ホームページ・ビルダー」は便利である。
一瞬にして、ハイパーリンクも含めて、ディレクトリが整理される。
それをFTPするのには、すごい時間がかかるんだけどね。

ザウルス「MI-E1」純正革ケース
ザウルスMI-E1用に
純正の高級革ケースと液晶保護シートを購入。

本体の裏側にベロクロ(マジック)テープを貼って、
ケースに取りつける仕様だが、
説明書に書いてあるやり方ではなくて、
天地を逆にして貼りつけると、すこぶる具合がいい。

もともとは、ボタン操作部がある本体下部で、
二つ折りケースのカバー部が折り曲げられる仕様で、
つかみにくかったんだけど、逆に貼りつければ、
すっきりと使いやすい。

さらに、スロットのホコリ対策のためにも、
SDメモリーカードを買おうと思ったんだけど、
どこも品薄で売っていない。


2000年12月27日(水)

柴尾は471人
写録宝夢巣ver.4」によれば、
柴尾という姓を持つ人は、全国で471人いるそうである。

これは全国の電話帳に掲載された個人名3000万人の中から、
同姓や同姓同名、たずねびとのデータを検索してくれるアプリ。
日本の人口から考えて、柴尾はおよそ、1800人くらい……かな。

いろいろ調べてみる。
「角銅」姓は79名、けーむらくんと同じ姓名は30名、
戸田圭祐さんは1名、「野安」姓は高知と兵庫に3名、
イエネコ・アンジーの旧姓は96名、山本耕一さんは66名、
間違えやすい「菊地」は44,943名、「菊池」は39,696名、
え? 菊地のほうが多かったのか……。
森喜朗さんは3名。お気の毒に……。

むかしは小学館の学年雑誌の特集で、
「日本で多い性ベスト100」なんてのがあり、
その中に柴尾なんて姓は、まずお目にかかれないものだった。

そのときは、ちょっぴりさびしかったけど、
いまみたいに、こういうソフトがあると、
珍しい姓のほうがいいなと、思っちゃうのは、あら不思議。

ADSLは遠そうだなぁ。
こういうところで、あれこれ事情を読んでみると、
東京めたりっく通信の場合、ADSLを開通するまでに、
申し込みから、2〜4ヶ月くらいは、平気でかかりそうな雰囲気。
ほとんど連絡もなしの放置プレイ多発の模様。

12月15日に申し込みでは、今世紀中どころか、
春までに開通するかどうか……。

うちのサイトのアクセスログを調べてみると、
「東京めたりっく通信」社内からのアクセスもある。
以前、日記で申込みのことを書いたから、
調べにきたのかもしれないけど、
そんなことをするヒマがおありなら、とっとと開通してくださいな。

どれもこれもNTTの意地悪のせいですか。
開通可能かどうか、御社からの問い合わせに、
FAXしか認めないNTTて、ほんとのことですか。
大量の書面を宅急便で送ることさえ、
NTTは許可しないって、ほんとのことですか。

ISP料金は別だけど、eAccessも一考の余地ありだな。


2000年12月28日(木)

映画「弟切草」初号試写
五反田のイマジカ第一試写室で、映画「弟切草」の初号試写。
今年の3月から、小川真司プロデューサーにたのまれ、
あれこれシナリオのお手伝いをしてきた作品。

今年の日記で、アスミック・エースエンターテインメントとか、
戸越銀座で打ち合わせとか、書いてあったのは、
すべて、映画「弟切草」のプロット打ち合わせだった。
戸越銀座には、制作会社のサンセント・シネマワークスがある。

むちゃくちゃ真剣に映画に見入る。
なんとも、楽しかったなぁ。

たぶん、「ブレアウィッチ・プロジェクト」をひきあいにだす
映画評も出てくるとは思うけれど、
印象としては、大林信彦の「ハウス」など、
時間的空間的無国籍感が漂い、虚実が往来する
まっとうなプログラムピクチャーに仕上がったのではないか。

3月に打ち合わせを開始した時点で、
第一のオーダーは
「ゲーム感覚のホラーを」ということだった。

この映画が「ゲーム感覚」なのかどうかは、
なによりゲーム作りの当事者である自分にとって、
かえって、よくわからない部分もある。

しかし、きちんとしたサービス精神に裏打ちされた
エンターテインメントに、なっているんじゃないかな。

下山天監督、おみごとです。

公開は2001年12月27日。
拡大公開ですから、
なるべく、音と絵のいい新しい映画館でご覧ください。

バック・トゥ・ザ・さかえ通り
試写終了後、イマジカの地下食堂で打ち上げ。
脚本の中島吾郎さん、監督の下山天さん、
小川真司プロデューサーと、あれこれ話して、散会。

映画「弟切草」は、20世紀最後に完成した日本映画で、
21世紀最初に公開される日本映画になりそう……とのこと。
ほんとですか。

その後、「人身事故」で止まっている山手線を避け、
地下鉄で高田馬場へ。

大学時代……、
毎週、土曜日になれば、かならず通っていた「ちゃぼ」という
酒場があった。

予約こそ、していなかったものの、
ワセダミステリ・クラブの面々が、まず、まちがいなくやってくるので、
土曜日の夜は、奥にある8畳ほどの座敷を開けておいてくれた。

その座敷で、映画や小説の話はもとより、
お座敷芸を競いあう東西対抗芸能合戦や、
年間10大ニュース決定委員会を開いていた。

人生において600時間くらいは、「ちゃぼ」にいた。
空費かもしれない。浪費かもしれない。
でも、とにかく楽しかったなぁ。

その「ちゃぼ」が新装開店したというので、
ワセダミステリ・クラブ関係、今世紀最後の忘年会を
ここで開こうという趣向だ。

集まったのこんなメンツ。

うちの学年から、
三重博一くん、MANTRAくん(ともに神楽坂の出版社)、
川崎勉くん(テクニカルライター)、O田くん(古物商)、
小川真司プロデューサー(アスミック・エースエンターテインメント)。

2学年下からは、「Newtype.com」の矢野健二編集長と
O田弁護士、「月間少年マガジン」編集部のI田くん。

3学年下からは、けーむらくんと、高瀬美恵さん。

15年前に飲んでたのと同じメンツ、お店の人もまったく同じ、
食べられるツマミもまったく同じで、
話してる内容も似たようもの、
ただ、店の内装だけが変わったという感じ。

結局、看板まで「ちゃぼ」で、ねばり、
記念写真をバシバシ撮りまくる。

深夜、「いろはにほへと」に移動して、3時近くまで飲む。
いまだから聞けるあんなことやこんなことを
小川プロデューサーからじっくり聞く。

小川プロデューサーは、
RPG「レナス」シリーズのプロデューサーでもある。

「映画は、事前にあれこれあっても、クランクインすれば、
とにかく完成するものだけど、
ゲームは、ずーーっと手をかけないと、完成しないからなぁ」

あはは……。ほんとにそうだね。


2000年12月29日(金)

京都を思う
大掃除で大わらわ。
とにかく、うちは、ものが多すぎる。

そんなとき、iモードにメールが着信!
差出人は「さくま嫁@京都」とある。
げげげ! さくまあきらさんの奥さんだ。

ただいまMです。
カズノコ、河豚刺し、、いーでしょう。

あちゃああ!
頭の中にMのお父さんの顔と、料理の数々が浮かぶ。
いいなぁ。いいなぁ。

しかし……。
こっちはこれから、アンコウ鍋なのだぁぁぁぁ!!

神田「いせ源」
午後7時、神田須田町の「いせ源」へ。
ぼくは、はじめてだけど、
東京でアンコウといえば、この店というほど有名なお店。
江戸時代からの名店である。

到着した時点で、店の外に5、6組が待っている。
こちらは、メンツがそろわない状態だが、
とりあえず、整理札をもらっておく。

ほどなくやってきたのが、
なおさん、名古屋のうだ看さん、必殺管理人さん、とまほーくさん。
ぼくがネットをはじめて以来、ずーっと、
仲良く遊んできた仲間たちである。

なんか、有明のほうでやっているイベントに参加するため、
うだ看さんが上京してきたので、飲むことになったわけだ。

30分ほど待ってから、店内へ。
鍋はといえば、関東風の出汁がややきつめだけれど、
鍋の中に浮かんだゼラチン質のアンコウの皮や、
アンキモが、めちゃウマ。
最後の雑炊を口にすれば、至福あるのみ。

その後、東京ドームホテル最上階のスタンディングバーで
軽く飲む。

最近、なおさんの周辺で起こっていることについて、
あれやこれや、話を聞き、
高所恐怖症のうだ看さんをからかって、お開き。

高田馬場で空振り
午後10時50分ごろ、高田馬場に到着。
じつは、PLUS PLANという会社と
ぼくがむかし所属していた月光舎との共同忘年会があったのだ。

先約はアンコウ鍋なので、そっちを優先した次第。

すこしさかのぼって、午後10時ごろから、共同忘年会出席者の
携帯電話に電話をずっと入れていたのだが、
「電波切れ」音声が流れるばかり。

高田馬場でもその状況は変わらない。
困ったなぁと思いつつ、留守番サービスにメッセージを入れ、
むかし月光舎があった場所など、あちこち歩きまわる。

結局、和智正喜さんに電話がつながったのが、11時20分ごろ、
「すみません。
いま、会計が終わって、お開きになるところなんですよ」

あらま! そりゃ残念!
時間も時間だし、タクシーで帰宅。
冷えた体を風呂で温めてから、朝5時ごろまで、
大掃除……というか、ものの整理の続き。

ほんとに、ものが多いなぁ。


2000年12月30日(土)

同人誌「噂のくだんちゃん」
新橋駅で、けーむら君、鹿殺Yさんと待ち合わせ。
地下街で定食を食い、ゆりかもめで有明に。
コミケが開催されているビッグサイトには、午後3時過ぎに到着。

すかさず、東ホールの高瀬美恵ブースへ。
世界中の「くだん」ファンの間で、その刊行が、
20世紀最大の「事件」と称される
同人誌「噂のくだんちゃん」を入手するためだ。

さっそく、購入。ぱらぱらとめくる。
すげぇ! すげぇ! すげぇ!

とんでもねぇ執筆陣が、とんでもねぇものを
書いてるじゃねぇか。

このあと、倉阪鬼一郎さんから、
さらに、すごいものを入手する。
「失礼文学 くだん、ヤキイモ、牛魔王伝説」である。

これがどれほどすごいものかを解説するには、
とてつもなく長い時間がかかるから、解説しない。
世の中には親切な人ばかりがいるわけではない。

表紙の画像を掲載しようかとも思ったのだが、
あまりにもすごすぎるので、載せられない。
以上、2冊は20世紀最後の年の宝物である。

もんじゃ「坂井」
その後、月島に移動し、軽くお茶を飲んだあと、
もんじゃ「坂井」へ。

Water Garden」と、
そこから広がるリンクのかたがた30名ちかくの
「大もんじゃ大会」。

髪の毛が焼けた油の匂いになるまで、
食って、食って、食って、食う。


2000年12月31日(日)

新世紀は前橋で
イエネコ・アンジーといっしょに、家をかたづけたあと、
池袋西武で連休のスキーの予約をして、
新特急「あかぎ」で、前橋へ。
前橋はイエネコ・アンジーの実家である。

夜7時を過ぎた新特急の車内は、がらがらに空いている。
帰省ラッシュなんて、とっくに終わっているのだ。
1車両に、3組くらいしかいない。
むずがる子供の声がむきだしで響くばかり。
せつない年の瀬なり。

脱力しつつ、紅白歌合戦を見て、
富士見村の珊瑚寺地蔵堂に初詣。
21世紀は、除夜の鐘撞きの列の中で迎える。

群馬のからっ風は、むちゃくちゃ寒い。
吹きさらしの中、凍えそうになる。


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