世界貿易センタービル連続テロ事件
仕事の関係で、
アメリカ各地の資料を大量に駆使して作業をしている。
そんなさなか、今回のような事件が起こると、
いびつな興奮状態になる。
テロに対抗するため、
断固たる処置、毅然とした対応をする。
それは「ルール」だ。
今回の事件は
「核テロリズム」の可能性を
増大させた。
旅客機によるカミカゼ攻撃をやる連中が
「核」を手に入れたら……。
ぼくらの知っている都市が放射能に汚染されたら……。
その恐怖は「ルール」の徹底を
さらにうながす。
パレスチナの子どもたちが喜ぶ映像を
だれがどんな意図で流したのだろう?
あの無邪気さは、ぞっとする。
それは、ぼくの住む世界の当然の反応だ。
あの絵は、湾岸戦争の「油にまみれた水鳥」の映像と
おなじじゃないか。
生理的反応を世論に結びつける「絵」という誘導。
あれは、あの地の「世論」なのか。
多数派意見なのか。
疑わしい。
だれかが恐怖を増幅しようとしている。
「ルール」を強固なものにしようとしている。
無から有が生じない以上、そこに「意図」はある。
悲しいことだが、この時点において、
それは当然の意図なのだ。
そう思わざるをえない。
さて、近いうちに、カミカゼテロリストたちの名は
人の口の端にされるだろう。
こちらに住む人間にとって、かれらは「犯罪者」だが、
あちらの住人にとって、かれらは「英雄」である。
あちらの住人にとって、それは望むところ。
ドラマに欠かせない「英雄」が生まれることで、
退潮の兆しがある「運動」の土壌に
強力な肥料が投入されるのだから。
新たな世代、若い世代は、英雄にあこがれるものだから。
だからこそ、あんな派手な……、
トム・クランシーの小説を凌駕する「絵」を
描いたのだろう。
あれこそは、貧者の「ハリウッド映画」なのだ。
カオスに憧れる世代を刺激する作品なのだ。
そんな、死臭あふれ、豊穣なカオスを阻止するためにも
一刻もはやいルールの適用は……、
断固たる「ルール」の適用は……、
世論を誘導するだれかの「意図」は……、
「いたしかたない」と、いわざるをえない。
やつらはアメリカと自由主義諸国に対して
罪を犯しただけではない。
彼らを支持する無垢な人々に対しても、
催畸性の毒を流している。
その毒はさらなる毒を生み、すべてを食いつくす。
自分と自分のかかわる人すべてが「生きる」ためには、
ピンポイントでやつらを「殺す」ことが理想だけれど、
そんなきれいな処刑が不可能なことくらい、わかっている。
ああ……。
そんな未来はいやだけど、
そんな明日はみたくないけど、
「ルール」の断固たる適用を望まざるをえない自分。
どうしてくれようか、この事件。
どうしてくれようか、この自分。










