【日常】ほっとけない正義を疑え
街中でもよく見かけるようになったホワイトバンドだが、赤い羽根のような募金だと思って、300円のバンドを買っても、貧困国にそのお金は1円もいかず、国内のNGOやNPOに流れる仕組みで、ちょっとした話題になっている。
これに関して、いろいろと読みふけっていたら、公式blogに事務局長の今田克司というひとが、こんなことを書いていた。
しかしながら、「代金は実費と団体運営費に消え」という言い方は、誤解を招く可能性があります。すでにこのウエブサイトで円グラフを使って公開していますように、いまのところ、ホワイトバンドの売り上げのうち、約3割はホワイトバンドの原価および製作経費として使われ、約4割は流通関連経費として使われています。残りの約3割を、「世界の貧困をなくすための活動費」に充てる予定です。この「世界の貧困をなくすための活動費」は、「団体運営費」とは異なり、明確な意図と目的をもって、キャンペーンの一環としてその目的を果たすために、「消える」ものではなく、「使われる」ものです。 こういったお金の使い方は、「チャリティー」には慣れていても、「ジャスティス」を求めるキャンぺーンには不馴れな日本において、目新しいものであり、それゆえ、受け入れにくいものかもしれません。
約3割の90円が原価および製作経費といわれるが、100円ショップでなにが買えるかを考えると、たかがゴムバンドにずいぶん高い原価および製作経費をかけているなと思う。事実上のコストは数円という話もある。
なんだ、そのジャスティスを求めるキャンペーンってやつは!? 正義という日本語があるにもかかわらず、ジャスティスといいかえているところが、あやしい。「庶民の手によって、ジャスティス(正義の裁き)を」ということなのか。
17世紀にアメリカのセーラムで正義の名のもとに、なにが裁かれたのか、関東大震災のときに庶民の手がだれを裁いたのか、1905年、民衆が正義を叫んだ日比谷焼打事件が、40年後にどんな悲劇を生んだのか。ナチスを生んだのはヒトラーではない。民衆なのだ。
「ホワイトバンドはチャリティではない」との批判に応えたつもりだろうが、外套の中に短剣がちらりと見えたよ。
おれは「ブッシュの正義」にはうんざりだが、「庶民の正義」にはまるっきり信を置いていない。
声なしで「にゃあ」と口を開く猫は愛くるしいが、声なしで、正義を求めろと唱えるホワイトバンドは醜悪だ。
アフリカの貧困を救うために、「債務の帳消し」が必要という問題の単純化も胡散臭い。
しかもこの旗振り役があいまいで、美辞麗句を連ねる運動の行き着く先は善意にあふれた愚民を作る未来ではないのか。
※こちらのエントリーもどうぞ。

