もともと湯船につかりながら、本を読むのは好きだった。風呂では本を読むために明るめの照明をつけているくらいだ。今回、レーシック手術を受けた恩恵のひとつに、風呂読書の充実がある。
定期的に曇りを取らなければならない眼鏡や、浴槽に落っことすことがこわいコンタクトレンズにくらべて、裸眼は楽だ。最近は思う存分、風呂読書。
雑誌や文庫を読んでもいいのだが、湯気や湿気を吸って、くしゃくしゃになる。じつはハードカバーの上質紙が、いちばんくしゃくしゃにならずに、安心して読めたりする。もちろん、濡れた手でさわらないように、タオルを3枚くらいもって、風呂に入るんだけどね。
バスソルトを落としたぬるめのお湯につかりながら、塩野七生の「ローマ人の物語」の最新刊「キリストの勝利」を読む。
シリーズの最近2冊ほどは、かなり期待はずれなものだった。前巻「最後の努力」は、「作者が「ひと」に対する興味を失っているのかもしれない」とmixiで評し、「かつてハンニバルやカエサル、アウグストゥス、といった人物を描いたときの瑞々しさは失せ、愚痴めいた記述と、繰言のような描写の反復が目立つのが残念ではある。」と、書いた。
しかし、今回はちがう。抜群におもしろいのだ。
世間には、半分誉め半分けなすことをモットーにしているのではないかと思う人がいる。この種の人は、この奇妙なバランスをとることで、責任を回避しているのだ。言い換えれば、勇気のない人である。コンスタンティウスも、このタイプの人間の一人だった。
などと、人間の心性をくっきり描写する塩野節が帰ってきた観さえある。
今回登場するのは、結果的に父、コンスタンティヌスの遺志を継ぎ、キリスト教を支援したコンスタンティウス帝、キリスト教に対し、最後の抵抗を試み、ローマの神々の再興をたくらんだ"背教者"ユリアヌス帝、そして、キリスト教をローマの国教とすべく、その力をふるったミラノ司教アンブロシウス。
自分の意に染まぬものをつぎつぎと抹殺し、その挙句に帝国統治さえも困難にしてしまったコンスタンティウスと、宦官たちの暗躍。そして、哲学の徒として生き残り、皇帝としてキリスト教に抵抗したユリアヌス。
このあたりは、辻邦生の「背教者ユリアヌス」でも描かれた歴史絵巻だ。そちらも30年くらい前に読み、ディテールは忘れていたものの、鮮烈な印象を受けたものだ。
ゲルマン出身の皇帝がキリスト教に帰依し、ローマの神々が抹殺されていくさまは、それだけでもたいへんにメランコリックなものだが、さすがは塩野七生。叙情に流されず、当時の人々がキリスト教になびいていくプロセスについても、深くて、くっきりした洞察を見せてくれる。
やはりユリアヌスという逸材が、まな板の上に乗ると、筆もさえるんだなぁ。
この手の本のレビューを書くと、ローマ人の名前が覚えにくくて……などと、言われることが多い。たしかにローマ人の名前はとても覚えにくい。コンスタンティ"ヌ"スとコンスタンティ"ウ"スなんて、なんで、そんな名前をつけたかといいたくなってしまう。
でもね。塩野七生のテキストは巧みで、文脈でだれがだれだかわかっちゃうんだよね。これはほんとにすごい。1年もすれば、だれがだれだか、かなり忘れているのは事実だけど、それもまたよし!
あまりにもおもしろくて、風呂に入ったのが午後10時30分。風呂から出たのが午前2時40分だったのは、ここだけの話だ。