【映画2006】DEATH NOTE -デスノート-前編
ワーナーマイカルシネマズ板橋3番スクリーンにてSRD鑑賞。
そもそも「デスノート」は滑稽な話だ。
ノートに名前を書くだけで他者を殺せる設定はともかく、それを追うのがICPOに依頼された「L」と呼ばれる"数々の迷宮入り事件を解決してきた謎の名探偵"というのに「は?」といいたくなるし、その「L」が何の権力でか、FBIをあごで使えるのには「ひ?」とおかしく思うし、警視庁の面々もその名探偵さんに唯々諾々と従うのは「ふ!」とつぶやきたくなる。さらに"トップアイドル"の弥海砂が、主人公に惚れ、第二のデスノートを駆使するあたりは「へ?」と、虚をつかれ、デスノートのルールはなぜだか英語で書かれていることなど、しらふで考えると「ほおお!?」とため息をつきたくなる。
リアリティでいえば、「インターポールの銭形警部」とそんなに変わることがない。
これはすべて小畑健という圧倒的な画力の漫画家がいてこそ、成立する話なのだろう。
それが実写という空間の中でどのように料理されるのか。
「セブン」や「ファイトクラブ」のデヴィッド・フィンチャーばりに、スタイリッシュな演出とトリッキーな構成で攻めてくれれば、理想的なのだろうが、それは無理な相談だ。
土曜日のワーナーマイカルシネマズは、2スクリーン公開でもけっこうな入り。さすがにジャンプ原作だけあって、ふだん、映画を見つけないような方々が多い。 これは「少年ジャンプ」の中心読者層とぴったり重なると思うし、そういう方が見るには非常に分かりやすい映画になっていた。
「ALWAYS 三丁目の夕日」では、日本の老若男女が存分に楽しめるように、くどくどとセリフを重ねて、ここは泣くところと強調していた。
「デスノート」は「サイコサスペンス風」な装いをしているものの、それは立ち食いそば屋における「手打ち風」程度の「風(ふう)」であり、「クレヨンしんちゃん」と「ALWAYS 三丁目の夕日」の間に正しく位置するような、親しみやすさあふれる作品だった。
ドラえもんとのび太の関係が、そのまま、死神と夜神月になっただけのことと考えてもいい。
なんかね。ちょいワル少年が、悪いやつをちょちょいと殺し、ノートの裏技をうまく発見していい気になっている映画で、それをたいへん分かりやすく展開している。
そういう意味で、とてもよくできていると感心したし、良くも悪くも宮部みゆきの「クロスファイア」をああいう映画にした金子修介監督らしい作品になっていたとも思う。キャラクターの設定に説得力はないし、映画のリズムとしてはもっさりしていたし、もっとブラックな笑いを含めてもいいと思ったのだが、そのあたりを期待しすぎるのも、ちょっと……ね。
悪が悪として裁かれることなく、放置されるのを目の当たりにした夜神月。彼が手にした六法全書を投げ捨てると同時に、デスノートを手に入れるという、人を裁く動機を映画的に解決するシーンは、少年ならではの図式的な正義感を満足させる分かりやすい「説明」だろう。
また、夜神月の幼なじみとして、映画オリジナルのキャラクター、秋野詩織を入れたことは成功しているんだろうね。FBIのレイとその婚約者ナオミとのコントラストの中で、ドラマを動かしている。
うれしかったのは、映画のそこかしこに見える懐かしい光景だ。地下鉄シーンはすべて福岡市営地下鉄でロケーションされているし、美術館の一部シーンは北九州市立美術館で撮影されている。個人的にたいへんよく知っている景色だけに気持ちいい。
10月に公開される後編も劇場で見ることにするよ。
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