【映画2006】犬神家の一族
新宿スカラ1にてSRD鑑賞。
この劇場で映画を見るのは15年ぶりかもしれない。経年の重みにへたれて水平を保てなくなった座面。うしろの席で見る人を気遣い、座高を低く重心を前にして座り、映画を2時間強、観てるだけで、一朝一夕では回復できないダメージが腰に残る。
指定席ではないから、上映前には行列を作り、座席を確保しなければいけない。カップホルダーのない座席で、ドリンクを持つ手は冷たくなる。
シネコンとはちがう、むかしの映画館のよさを語る人もいるけれど、それは甘すぎるノスタルジーに過ぎない。
自分が上京したころは、ここは新しい映画館で立派な施設と思っていた。「ジェダイの復讐」をここで見たときの記憶はしっかりと残っている。大学一年のころ、東京でできた彼女と映画を観たのもここだった。
築34年の映画館で30年前のリメイク映画を観るというのは、なかなかに趣きがある。
やはりその時代に映画に目覚めた人間としては、角川映画の第一作である金田一耕介シリーズはすべて劇場で見ているし、市川崑の演出のリズムは心のどこかに植えつけられている。
また、金田一以降の「つる 鶴」だとか、「竹取物語」だとか、「映画女優」だとか、「鹿鳴館」だとか、「細雪」だとか、「幸福」だとか、「古都」だとかといった、この監督の絢爛豪華な"映像美"作品に辟易もしたりした。映像にうつす対象が豪華であればいいってものじゃない。映像美の作家であることに異論はないけれど、豪華美術の作家とは思えない。
映画では金田一シリーズ、テレビでは「木枯し紋次郎」がおれの好きな市川崑だ。やせ我慢がかっこいい時代を、モダニズムのリズムとアングルで切りとったときの市川崑が好きだ。 それは因習の世界をモダンの視点で見つめた横溝正史の世界観とどこか通じるものがある。
新作「犬神家の一族」には、松嶋菜々子(リング)、奥菜恵(呪怨)、深田恭子(リング)という一瀬隆重プロデューサー贔屓の女優陣が出ているのだが、そこだけが平成で、あとは戦後とオリンピックと猟奇殺人とエキスポが同時にあった昭和。戦後30年の時代に終戦直後の地方都市を描くあの世界観。モダンと因習がないまぜになった空間がたしかにあった。
見ているあいだは、「そうそう! こういう作品はこうだったなぁ」と、にやにやしながら見てしまう。
大野雄二の「愛のバラード」もすばらしく、つまり「犬神家」は、このメロディなのだといとおしく思えてしまう。
俳優陣のすばらしい演技はこの映画の見どころだが、松嶋菜々子はミスキャストで、あまり感心しなかった。この世界では違和感がめだつ。たとえば、佐清などとならぶと身長差がいびつで、ロマンスを描くには滑稽な構図となる。松嶋以外のすべての女優が、自分の見せ場を最大限に使っているのに、松嶋だけが居心地も悪く、アイコンとして存在するのみだ。
大きく気になったのそこだ。ただ、松嶋に代われるような女優がいまの日本にいるのかは、難しいところなのだが……。
すべての事件を"解説"して、那須湖畔の町を去る金田一の後姿は、なにか永遠へと通じる階段をあがっていくようで、せつなく悲しかった。
ほんとうによくできているが、やはり特殊な作品だ。行為そのものが形式を変えたノスタルジーなのではないか。同じ時代に観客として金田一を見た、一瀬プロデューサーの市川崑監督へのラブレターとしては理解できるのだけれど……。
それなりには楽しんだ。猟奇風の探偵映画がふつうに存在したあの時代は、いい時代だったと思う。あれからたくさんの映画を観て、一回りしてから、見直す「犬神家」のおもしろさもあるのだけれど、では10年後に新作と旧作のどちらが生き残っているかといわれれば、旧作と断言する。
旧作にあった犬神佐兵衛翁の怨念が新作では薄くなっており、だからこそ、この事件の生み出した因果関係が浅くなっているからだ。
新宿スカラは来年の2月に閉館するそうだ。
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