【映画2007】愛の流刑地
ワーナーマイカルシネマズ板橋10番スクリーンにてSRD鑑賞。
自分の立場をはっきり書いておけば、渡辺淳一は必要であると思っている。彼にはどんどん書いていただきたい。「桜の樹の下で」、「化身」、「失楽園」、「別れぬ理由」、「化粧」なんて作品がなければ、黒木瞳とか、七瀬なつみだとか、川島なお美だとか、いろんな女優が映画やテレビで脱ぐことはなかった。
おれ的にはヘアヌード仕掛け人、高須基仁とおなじレベル。
渡辺淳一の小説を買うことはいっさいないが、一年間に10本くらいエロ小説を書きまくっていただいて、一年間に(テレビと映画で)20人くらいの女優を脱がせまくっていただきたい。おれはハードディスクを開けて待ってるから。
さて、「愛の流刑地」だ。「サビはじまり」ということばはあるが、これは「アエギはじまり」の映画である。開幕いきなり、豊川悦司が寺島しのぶとバッコンバッコンだ! 東京千駄ヶ谷のどこか見慣れた景色の中に寺島しのぶのあえぎ声が響きわたる。
「本当に愛しているなら、私を殺して」寺島しのぶに求められるまま、騎乗位で上に乗っている寺島しのぶの首を絞めちゃうトヨエツ。
トヨエツは最近、書けなくなっている作家役らしいが、だからといって殺すことはないだろう! 作家のくせにメタファーとか、知らないんだと一瞬思った私は、当然のことながら、「愛の流刑地」を読んでおりません。
ただもう問題は、寺島しのぶという女優に色気とか、そういうものをいっさい感じないことで、せっかく尻とか、乳首とか出しているのに、あんまりエロくないんだよな。
「赤目四十八瀧心中未遂」とか、「ヴァイブレータ」とか、映画としてはいいと思ったんだが、なんだか、だめだ。いや寺島さんは悪くないかもしれない。おれがダメなのかもしれない。寺島インポとかいわれてもかまわないが、寺島さんに全裸になられてもマイサンは寝たままだよ。
立ち姿で顔の存在感が大きいというか、ありていに言えば、顔のでかい女優だなとは思うけど、なんか、だめなんだ。テレビ版では高岡早紀だそうで、どちらかといえば見飽きた裸だが、寺島しのぶよりはずっといいかも。
劇中何ヶ所かある濡れ場は映像的に恥じらいは感じないのだが、なんか、出会って初めてするセックスで「ください」とかいって、中出しをせがむ寺島しのぶには、別の意味の恥ずかしさを感じたよ。
はっきりいおう。セリフはぜんぶどれもこれも端から端まで恥ずかしい。なんだか「カリオストロの城」のクラリスがうっかり、子供を3人くらい作ったあと、20歳くらい加齢して、日本人になって、売れない作家と不倫に走ってそれでもまだ、「ドロボーさん」とかいっているような薄気味悪さだ。
浴衣に着替えてやる気まんまんなのに「おまかせします」という都合のよさ、やってる最中に「わたし、どうしてしまったんでしょう」と、実況中継するメンタリティ。
ああ、もうセックス野獣とカマトトが華麗に合体したようなすばらしさ。
トヨエツと寺島の初めての出会いで、日差しをさえぎるために挙げた手のしぐさから「あなた、北陸の生まれでしょう」と、寺島にいうトヨエツ。「え、どうして、わかったんですか」と答える寺島に「あなたの手の動きがおわら風の盆に重なった」と、牽強付会に口説くトヨエツ。
もし「徳島なんです」といったら「ははははは! あれは阿波踊りだったか」と、ごまかすつもりだろうか。「高円寺なんです」といったら「あ、夏になると阿波踊りやってますね」と、いうつもりだったのだろうか。「島根なんです」といったら「そこはかとない安来節の香りが……」
トヨエツは数年、小説が書けなくなった作家。原作では55歳くらいだそうだが、映画では44歳の設定。この年齢で何年も小説が書けない作家はたいへんそうだ。人生がインポになっている状態だ。
そこにやってきたのが、若いころの作品が好きだという寺島なわけで、「ユアサンの大ファンです! あれはすごい」と、褒めてくれる。ああ、おれのマイサンもどうしてなかなかたいしたものだ!まんざらでもないと、思い直すトヨエツ。
彼女の存在をメタファーすると、バイアグラ。もう立たせるために、めざましい役割を果たす青い小粒さ。
京都の雨の中、寺島とやりたい一心で口説くトヨエツがいるのだが、うあこれがもう「ぽえむ」なくどき文句。poemでもpoetryでもポエムでもなく「ぽぽぽぽぽぽえむ」だ。作家でその陳腐さはないだろうと思うレベルのセリフを吐くのだけれど、寺島はそんなトヨエツの陳腐さにベタぼれだ。
人間はほめて育つ。ああ、ほめることの効果はつまり、こういうことなのだな。なんだか、都合のいいカマトト敬語の氾濫の中で、トヨエツの心のマイサンはおずおずと立ちはじめる。ちなみにトヨエツの物理的マイサンはとっくに立っているんだけどね。心のマイサンは「小説を書こうかな」と思い立つ。立つ。立っちゃう。
性的嗜好なんて、人間に固有のものでなく外的な言葉によって後天的に作り上げられたものであり、なによりも社会的なものであることはミシェル・フーコーが説いている通りだけれど、この作品は、三文作家がセックスセラピーによって、社会的存在意義をとりもどす、おれさま人生回春記だ。
なにはともあれ、寺島のバイアグラっぷりや都合のよさっぷり、ぽえむなセリフはすさまじく、映画を見ながら、つぎはどんなセリフをいうかを脳トレしてたら、自分の思っているセリフよりもかならず、半歩ダサい内容に、予想を裏切る快感がありまくりだよ。
天から降りてきためくるめくような据え膳、据え膳、据え膳、据え膳に、いただきます。おいしい。ヤムヤムと食べつのり、「おれはすごい! だって、女がマジでおれに殺してくれというくらいおれにほれてるんだぜ。おれはグレート。おれはすごい。こんなことやれるなんて、男なんて勝ち組さ! 勝ち組は小説もバリバリ書いちゃうよ」なんて、自意識リセットして励みまくる。
トヨエツは寺島との情交の一部始終をテレコに録音しており、あとの裁判でこれが重要な証拠とされるのだけれど「なぜ録音したのですか」という法廷での質問に、「いや、なんとなく」と答える意味不明。「なんとなく」がうけるのは「明石家サンタ」の電話くらいだ。
はっきりとそのテープはズリネタにすると、なぜいえない! 一粒で二度おいしい。場合によっては三度おいしい。と、いえよ。それがいえなければ、せめて作家として「取材のため」と、なぜいえない。植草一秀でももうちょっとマシな言い訳をするぞ。
京都の定宿が駅ビルのグランヴィアだとか、お泊り旅行の旅先が箱根プリンスというのは、そこはかとなくせつないなぁ。そういえば、おれも泊まったことがある場所だぞ。三児の母のクラリスが「おまかせします」とはいわなかったけどな。
どうも主人公のキャラクターが芯のところでぶれているのだ。
寺島インポなおれだけど、この映画の見どころは、寺島しのぶではなく、長谷川京子だ。むかし格闘技番組「SRS」にでていたころの印象しかなかったのは、おれの不明だけれど、全身着エロ状態。脱いでる寺島しのぶの100倍エロい。
事件を担当する女検事役なのだが、八方破れな色気が全方面に放射されている。性の暴走おっぱい検事。
調書作成でむだに胸が開いている服を着ているし、回想シーンでむだに雨に濡れるし、裁判所ではむだに鼻にかかった声で尋問する。それが映画的に反映されるかといえば、まったくされない。ほんとにむだだ。そのむだっぷりがいさぎよい。
長谷川京子の演技レベルはちょっとどうかと思う程度で、「なに、むだにさかってんだよ」と突っ込みを入れたくなったけど、「もう話なんかどうでもいいから、被告のトヨエツとその場でやっちゃえ」とスクリーンにむかって応援しましたよ。やらなかったけど。あたりまえか。でも、やってほしかったなぁ。
連載中やその後の「愛の流刑地」は、つっこみサイトがたくさんあって、なかなか楽しいことになってたみたいだけど、今も残っているウェブページを見ると、細かいところとか、ラスト回りは変更されているみたいだね。原作のおれさま部分を吸収する形で、きちんとしたオチをつけようとする努力はあったみたいだね。
「富司純子の顔に免じて、ここはおひかえなすって」という、おさめ方をしているのは、それはそれで映画的なオチなのかもしれない。富司純子は最近、大活躍だ。新作「犬神家の一族」でも、説得力を担当していたし、「フラガール」の母親役もあつかったし、「寝ずの番」のセクシー後家っぷりもたいしたものだった。こまったときの富司純子は、最強カードだ。
撮影も東宝映画がきちんと製作しているだけあって、こまかいところまで、きちんとしているのに感心した。平井堅のテーマもうまく、とんちきな話の割りになんとなく、感動して帰れるから、興行価値も高い作品だと思う。
おれは長谷川京子だけで、いいけどな。

コメント
初めまして。TBいただきます。
感想、すごく笑えました!!
特に「おわら盆」でくどくネタ(爆)
あたしも新聞連載時にもう笑えるやら呆れるやら・・
最終話の菊爺による「愛の流刑地」の解釈には
大爆笑でした。
映画館では泣いている人もいるらしく
ああ、すごいな・・映画の再構築の力ってすごいんだなって
思ってたんですが・・・。
原作のイメージが強すぎて、たとえレディースデーでも
映画館にいくのはキツいので、DVDで観ようと思ってます。
投稿者: Eureka | 2007年01月20日 20:00
コメントをありがとうございます。映画館で泣かれる方は泣きたくてこの映画を選んだわけでしょうから、きっとよかったのでしょうね。
まぁ、そんな反応こみで、映画館で見るのも、おもしろい体験だと思いました。
ほんと、富司純子パワー恐るべしです。娘の不始末は親が片づける!って感じでしたよ。
投稿者: 柴尾英令 | 2007年01月21日 11:24
柴尾さんもお聴きになったと思いますが、昨年6月23日コラムの花道・豊崎由美さんの「渡辺淳ちゃん祭り」。
久しぶりに聴きかえしました。何度聴いてもオモロです。
そして今回の日記。
柴尾さん、炎上してますね(笑)
>一年間に10本くらいエロ小説を書きまくっていただいて、一年間に(テレビと映画で)20人くらいの女優を脱がせまくっていただきたい。
渡辺淳一の価値はココにあったのですね!
この映画必ず観てきます。
ハセキョーを中心に・・・
投稿者: わんだ | 2007年01月23日 02:24
淳ちゃん祭り、うかうかとチェックしましたよ。
今日は「それでもボクはやってない」というすばらしい映画を見たのですが、瀬戸朝香の弁護士では、ハセキョーの悩殺検事にはまるでかないませんでした。なにより、ちがう国の裁判でした。
ハセキョーをぜひ観にいってください。ちなみに映画館内で牛丼は食べない程度に(謎)。
投稿者: 柴尾英令 | 2007年01月23日 03:13
柴尾さんのご意見、笑わせていただきました(爆笑)
私も寺島しのぶさんには萌えませんでした。
美乳&美脚とは思ったけど、
後半の絡みのシーンで、
体全身に均等に汗をかいている姿(スタッフが塗ったとうかがえる)
を見て“引き”ました。
長谷川京子は、某紙のインタビューで「エマニュアル・ベアールのような女優になりたい」と言っていたけど「リュディビーヌ・サニエ」を目指した方が得策だと思いました。
投稿者: みかん | 2007年01月26日 10:14
みかんさんのblogも拝見しました。すっごく楽しいです。早速RSSリーダーに入れ、トラックバックも入れさせていただきました。
興行的にはトヨエツの臀部というのは立派なもので、価値があるんでしょうけど、映画の説得力で考えると、「あんれまぁ」というみごとさでしたね。
リュディビーヌ・サニエかエマニュアル・ベアールかという件に関して、私見を述べさせていただきますと、どっちも脱いでいるわけだから、ハセキョー、あなたも早く脱げと……。
そう祈念しながら、ドラマ「華麗なる一族」を見守っています。
投稿者: 柴尾英令 | 2007年01月26日 20:43
はじめまして。
うーん突っ込みどころ…
私は京都での雨のシーンで、雨に濡れてる設定らしいトヨエツの頭も体も渇ききっていたことが凄く気になりました。
寺島が傘を差しかけて…って「いや全然濡れてませんから」と心の中で独り突っ込み。
脱がせ屋の津川雅彦がお役御免らしく、脇に回らされてるのも時代の変化を感じます。
投稿者: はちぞう | 2007年02月12日 14:10
■はちぞうさん
あの雨の中でのシーンのへっぽこポエムの応酬にもまいっちゃいましたよね。津川さんも自分で監督するようになり、そっちで下品なパワーを炸裂させているので、今回はお休みなんでしょう。
投稿者: 柴尾英令 | 2007年02月15日 19:32