【映画2008】テラビシアにかける橋
ワーナー・マイカル・シネマズ 板橋11番スクリーンにてSRD鑑賞。
先日、酒を飲みながら、若く聡明な女性と話をしたとき、「45歳の男の中には15歳から45歳まで、男のぜんぶが入っているんですよ」なんてことを話した。ちょっとちがった。「45歳の男の中には10歳から45歳まで、男のぜんぶが入っている」
「テラビシアにかける橋」を見ていると、10歳のころの手触りが帰ってきた。
昭和37年に生まれたときから、3階建てのビルの我が家の前には路面電車が走り、土とか自然が身近にほとんどなかった。ただ、家の向かいには駐車場があり、この駐車場は小学五年生のころまで、整地しておらず、雑草が生い茂る空き地だった。
実家は酒屋だったので、ビールケースなどはたくさんあり、この空き地に持ち込んでは、秘密基地を作ったものだ。国鉄でふたつ先の駅の私立小学校に通っていたので、近所に友だちもいない。
想像と現実が交差する王国の中で、「変身サイボーグ1号」とか各種ブロックを持ち込んで、ひとり遊んでいた。質はともかくとして、物語の大量生産をしていた場所が、あの空き地だった。
ぼくはひとりぼっちで夢想していたのだが、「テラビシアにかける橋」では、もうむやみにかわいい女の子が夢想のパートナーになってくれるではないか。しかも「チャーリーとチョコレート工場」、「リーピング」でもう圧倒的に美しかったアナソフィア・ロブだ。
もうね。10歳のぼくは映画の中に感情移入しまくりですよ。
原作は知らない。映画の冒頭で、どことも知らないアメリカの田舎が描写される。1950年代あたりの時代設定かと思っていたら、学校のシーンで、「Electronic Deviceの持込禁止」なんてセリフが出たうえに、ゲームボーイアドバンスが登場して、のけぞった。これ、現代の話だったの?
原作ではヴァージニア州となっているが、ロケ地は、ニュージーランドのオークランド周辺だという。
設定を現代に移しているとはいえ、素朴な環境の中、働いて生きている人々のリアリティは、デリケートかつ骨太に描かれている。そんな中で、自分が誰かを好きになること、異性と世界を共有する喜び、ひとりの目では見えないものが、ふたりになると見えてくる感動が、ひとつひとつ描かれていく。
Just close your eyes and keep your mind wide open.
てれくさいフレーズだけれど、その言葉のままに心を開き、物語に吸い込まれていった。作劇そのものはオーソドックスで、ご都合主義といえる展開なのだが、だからこそ、後半は泣けてしょうがなかったよ。秘密の道具はないけれど、これはさまざまな異界にいくことで、少年の成長を描く大長編「ドラえもん」の作劇に近いジュブナイルなのだろう。
すべて見終わったとき、タイトルまでふくめた世界のすべてが腑に落ちる。
10歳のころ、現実と背中合わせに見ていたもうひとつの国は、45歳の自分にとっても身近に感じられるものなのだ。
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