« 門前仲町「ふく田」 | メイン | デス・レース »

【舞台・観劇】グッドナイト スリイプタイト

 パルコ劇場にて鑑賞。

 映画ではなく、テレビではなく、やはり三谷幸喜の本領は舞台にある。ただ、こけら落とし公演として、シアタークリエで上演された「恐れを知らぬ川上音二郎一座」も悪くはなかったけれど、川上音二郎を演じるユースケ・サンタマリアの危うさが危うさのままにしかならず、もったいないことになっていた。

 それにくらべて、ホームグラウンドともいうべきパルコ劇場で、磐石の出演者とともに、作・演出をした新作「グッドナイト スリイプタイト」は、おそるべき完成度の作品として、隅から隅まで堪能できた。

 どこにでもいる夫婦の関係、離婚する夫婦の距離、男と女のほんの些細なことが人生の進路を変えていく30年間の歴史を精緻にかつ繊細に描いた作品だ。

 盆がステージの上にある回り舞台が目を引く。円形の舞台の半分に壁があり、舞台が回転することで、それが幕の代わりになったり、背景の壁面になったりする。回り舞台上にはふたつのベッドがある。あるときはつながって、ダブルベッドになり、果てしなく遠くになり、夫婦の距離感を具体的に示す。

 舞台下手には4人編成の楽団。ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット。この四人が音楽だけではなく、着信音やテープの巻き戻しまで含めた音響効果、ちょっとした演技もこなす。

 舞台上手にはLED風の掲示板。5桁の数字が表示される。夫婦の「日数」であることは、はっきりとわかる。

 黒電話から折りたたみ式携帯電話まで、電話機が小道具として時代の風俗を描写する。

 そういった装置を使いつつ、中井貴一と戸田恵子が20代から50代までを演じる芝居だ。戸田恵子がすばらしいことは、もはや自明といってもいいことだが、「コンフィダント -絆-」のスーラ役につづいて、三谷幸喜の舞台に登場した中井貴一にも舌を巻いた。

 舞台俳優としての経験は乏しい中井貴一ではあるが、舞台臭さのないキャラクターをよく利用している。見ようによっては凡庸にも思える作曲家の夫を演じている。さまざまな起業をして闊達に働く妻と、不器用で無邪気に妻を愛している夫。おたがいに憎みあっているわけではない。なぜこの夫婦が別れなければいけなくなったのか。

 ささやかな記憶の相違がある。同一のものに対する見解の相違がある。成立したかのように見えてもすれ違う会話がある。男と女が根本的に違う生き物である以上、それは仕方のないことだ。うまくいっているときにはその違いが豊かさの源になるのだが、そうでないときは、ふたりの距離を果てしなく遠く感じさせる。

 取りかえしのつかないことには急性と慢性がある。うっかりいった一言は急性で処置次第では治りも早いのだが、それが重なると慢性となり、ふたりの進む軌道さえ変えてしまう。

 舞台上では結婚生活を送るものならだれもが"思い当たる"ことがつぎつぎにくりひろげられていく。人のよさそうな中井貴一の生来のずるさや小心が、透けて見えてくる。行き当たりばったりに生きているかのような戸田恵子の細心がみえてくる。

「どうして離婚したの?」と単刀直入に聞いてくる人もいるが、十数年もいっしょにいた夫婦が別れる理由は一口ではいえないよ。その一口ではいえないあれやこれやがじつに手際よくまとめられている。

 舞台のふたりは20代から50代までめまぐるしく変わっていく。さっきまで離婚直前のしょぼくれた夫だったのに、回り舞台が一回りすると、新婚旅行先で将来を語る新進の作曲家になっている。それがきわめて自然なのだ。違和感を感じることはひとつもなかった。

   

 中井貴一、戸田恵子という年齢を感じさせないふたりを配している効果もあるのだが、笑うためにきている観客には歌って踊る中井貴一を見せつつ、そっと気持ちを静め、いつの間にか、いちばん近い人間として、一組の夫婦の30年を見守る気分にさせてくれる構成のみごとさは半端なものではなかった。

 奇跡もなければ、ドラマチックな展開はない静かでささやかな大河ドラマは、おとなの愛のせつないハッピーエンドで幕を閉じる。

※こちらのエントリーもどうぞ。

« 門前仲町「ふく田」 | メイン | デス・レース »

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメントを投稿

ネットでラクラクチケット予約購入、e席リザーブでシックスワンダフリー

最近のエントリー

カウンターetc

人気ブログランキング - ゲームの王道 atom rss2.0
total カウンタ:today カウンタ:yesterday カウンタ

Pagerank/ページランク

人気記事ランキング

Google Adsense