【回顧】おれと20世紀立体映像
生まれてはじめて立体映画を観たのは1969年7月、小学一年生のときである。
八幡区中央町にあった映画館で観た「飛びだす冒険映画 赤影」だった。当時はパートカラーならぬパート3Dで、一部のアクションシーンが立体になり、立体になる前には、赤影さんや白影さんがスクリーンに立って、「さあ、飛び出すメガネをかけよう」みたいなことを指導してくれた。ぼくらは素直に赤と青のメガネをかけて、立体を楽しんだ。
アナグリフ式といわれる赤青メガネの立体映像だが、大きな弱点があり、メガネをかけるとモノトーンになってしまうのだ。
それでもなんとなく立体メガネをかけて映画を観るのは楽しく、赤影さんが「さあメガネを外そう」といっても、しつこくかけていた覚えがある。
その後、小学4年生のときにみた「飛びだす人造人間キカイダー」ではジローが、合図をしてくれた。東映ではそのあと「飛び出す立体映画 イナズマン」も公開しているのだが、これは観た記憶がない。
そのころは小学館の学年誌に赤青メガネがついて、絵やイラスト、漫画を立体で読んでいた。3Dで「ドラえもん」なんかを読むというのも強引な企画である。
また、付録や駄菓子屋の店先では、双眼鏡型の3Dメガネというのもあった。右目用と左目用のレンチキュラーレンズ(平面で同心円状の凹凸がついたレンズ)がついており、それを通して、右目用の画像と左目用の画像をみると、写真が立体にみえるというもの。
1974年には、シェリーが主演する「オズの魔法使い」が飛び出すドラマとして登場しているが、ほとんど観ていない。1978年のアニメ「家なき子」は、ステレオクローム方式を採用しており、メガネがなくても楽しめ、メガネがあると、もっと立体視ができるという触れ込みだった。マルチプレーン撮影を多用していることが特徴的で、出崎統の演出もすばらしかった。
大学生になったあと、1983年にはちょっとした3Dブームがあった。まず、6月テレビ東京が3D映画を放送したのだ。タイトルは「ゴリラの復讐(1954年)」。「モルグ街の殺人」みたいな類人猿推理映画で、アン・バンクロフトが出ていた。赤青の3Dメガネをつけるのだが、このメガネを都内のセブンイレブンで販売していた。赤と青だけれど、モノトーンではなく特殊な方式でカラーで見られるとかいっていた。
映画には特番もついており、テレビ東京が社運をかけるみたいな勢いだった。
そのあとは「13日の金曜日3D」とか、「ジョーズ3D」が登場する。このとき、偏光メガネ式の3Dが身近に登場したのだと思う。
1985年のつくば科学万博は3D映像のオンパレードだったそうだが、ぼくはいっていない。いま考えるとかなり残念だ。
さらに1986年にはVHDの3Dシステム、1987年には「ファミコン3Dシステム」が発売される。これらは液晶シャッター方式で、60iのフレームで液晶シャッターを切り替えていたので、フリッカーは半端ではなく、普及するところまでいかなかった。さすがに自分では買わなかったが、当時出入りしていた編集部や編プロで体験した覚えがある。
3Dで記念碑的な作品としては1987年の「キャプテンEO」オープンだ。ルーカス製作、コッポラ監督、マイケル・ジャクソン主演というのは大きな話題になったし、偏光メガネ式の立体映像だけでなく、スモークやレーザーも併用し、かなり派手な演出だったが、スクリーンから、手元までやってくるファーボールなど、印象的だった。
当時、いっしょにいった妹の片目の視力が悪く立体視ができなかったのでちょっとかわいそうだった。
1993年、裸眼立体視のブームがくる。小学館で「C.G.ステレオグラム」というシリーズを作っていた。平行法はわりと簡単にできたが、交差法がなかなかできなかった。
1994年には、LDプレイヤーとPCエンジンやメガドライブをつなげ、別売りの液晶シャッター式ゴーグルで立体映像ゲームを楽しめるレーザーアクティブという規格があったけれど、これは未体験だ。
1996年の3Dにはふたつのトピックがある。任天堂ヴァーチャルボーイの発売と新宿の高島屋東京IMAXシアター開業だ。ヴァーチャルボーイは買ったし、新宿には何回もいったなぁ。
ざっとおもいだすかぎり、これが20世紀におれが体験した3Dだ。
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