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【映画2012】アメイジング・スパイダーマン

 最高! 男たちが命をかけて若者に道を示す。若者はひたすらに気高く道を歩む。ご都合主義のきらいはあれどハリウッド作劇の最高峰といってもいいだろう。

 父のキャラクターがさまざまな形で分散し、主人公を導く映画だ。主人公も素直なキャラクターではない。その主人公の受容のプロセスが過不足なく描かれている。作用と反作用のゼロサムゲームだ。

 前三部作が「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というアンクル・ベンのことばから始まる呪縛と啓示の物語であったとするなら、今回は喪失からはじまる再生と交流の物語だろう。喪失には死、肉体、友情、愛などがあり、そのすべてがさまざまな形で再生する。

 「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という全三部作の呪いは、「スパイダーマン2」で主人公をキリスト教的受難劇と、祈りによる復活のドラマへと導いた。

 一方、「アメイジング・スパイダーマン」は肉体や環境のやむを得ない喪失によって、おのずと主人公の選択は限られてくる。もちろん、Responsibilityのことばは残っているが、主人公の自覚による選択と決定は確実にクローズアップされている。また、学校のいじめっこであるフラシュとの対決の構図がそのまま、本作の敵であるリザードとの対決に拡大されている。

 なくしてしまった肉親を取りもどすためにヒーローになった少年と、なくしてしまった肉体をとりもどそうという"夢"から敵になってしまった科学者。だから、戦いの決着は敵の撃破とはならない。

 屈指の名作ではあるが、絶対悪、絶対的エゴイズムを排除しているのが敵の弱さに見えてしまうのも事実だろう。だが、その弱さが、失ったものを取りもどそうという生身の人間、神ならぬ人間の姿に見えるのだ。それがティーンを主人公とするヒーローものの意味なのだろう。彼らは成長するのだ。

 そのあたりが、前作からリブートした意味なのだろう。

 ちなみにエンドロールがひどいというのは、日本オリジナル主題歌の強引な挿入によるものだ。余韻を楽しんでいるときに、SPYAIRとかいう和製ロックバンドのふにゃふにゃした自分探しな歌詞のロックが響いて、あらゆる余韻をふっ飛ばす。

「逃げてー! みんな逃げてー!」そう言いたくなってしまう。

 曲には「蜘蛛の巣のようにからみあって」とか「蜘蛛の巣のような現実を生きる」とか、中途半端にスパイダーマンを意識した歌詞が入ってて、それが耳に入るたびにげんなりするんだ。映画における蜘蛛の巣の象徴する意志や道といった意味とまったく逆の内容だ。

 ソニーさまが、「世界でどこよりも早く映画を見せてやる。そのかわり、邦楽のスポンサー付きね」といわれてる気がしてならない。違法ダウンロード有罪化につづいて、またやった感。

 CGは、旧三部作からさらに進化している。序盤からじわじわと活躍の空間を広げていくのも最高だし、細かな見栄を入れているのがすばらしい。

 

 今回、女優が前三部作から改良されて、エマ・ストーンになった。エマ・ストーン、「ヘルプ」での演技も出色だったが、今回は絶対領域を意識したコスチュームなど、かなりがんばっている。「エマ・ワトソンでよかったね」といったら、同行した友人たちから、絵の具をこぼされた彼女がいいとのことば。Hannah Marksって、女優かな。たしかにかわいかったけど、出演シーンがカットされた印象だ。次作以降も登板するのだろうか。

 前三部作では、製作途中で崩壊したワールド・トレードセンターを消すのに、時間がかかったとかいわれてたね。今回のニューヨークの処理はいろいろ考えられてて興味深かった。

※こちらのエントリーもどうぞ。

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